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庭師テツの番外編 鎮守の森 39

 おれの躰の消えない傷を『生き抜いてきた勲章』と?  そんな発想は、おれにはなかった。  どう答えたらいいのか分からず、黙りこくってしまった。 「あの、良かったら、これを着て下さい」 「……あぁ」 「ケイトさんが着ていた作務衣は、お洗濯しておきますので」 「捨ててくれ」  もう不要だ。  どうせ着たって……すぐにアイツに裸に剥かれるだけだ。 「……何か温かいものをお持ちします」  柊一さんから渡された新しい衣類は浴衣と似ていて、今まで触れたこともない滑らかな生地で光沢があり、しっとりと手に吸い付いた。腰紐で結ぶだけで足下が心許なく感じたが、とても着心地のよい物だった。  そして俺がいる場所は屋敷の離れで、柊一さん以外の人はいないようなので安堵した。  これは束の間の休息で、彼の好意に甘えるのも最初で最後だ。  ぶれないように、自分に強く言い聞かせた。  ぼんやりとカーテンの隙間から外を眺めると、美しい洋風の庭が広がっていた。俺が紛れ込んだ『秘密の庭園』はあの辺りか。庭の一番奥、塀に囲まれているので、ここから中は覗けなかった。  何故だ?   どうして……いつの間にあんな場所に入り込んだのか。 「無意識に何を求めていたのか。まさか今更……救いを? はっ!」  自嘲してしまう。 「ケイトさん、入りますね」 「……あぁ」  やがて、お盆に温かいスープとパンを載せた柊一さんが再びやってきた。 「あ!」 「……何?」  おれの顔を見るなり赤面したので、不思議に思った。 「すみません。ケイトさん、改めて見ると、とてもお綺麗で……あっこんな表現、失礼ですよね」 「……いや」  部屋の鏡に、自分を映して驚いた。そして久しぶりにまじまじと見た己の容貌に、暗い気持ちになった。  この顔のせいだ。この女顔のせいで、おれは選ばれてしまった。女子の代わりに生け贄になったのだ。だがその反面、不思議な気持ちが芽生えていた。  もしもテツさんが……小綺麗にした今のおれを見たら、どう思うか。  そんなことを気にした自分が、恥ずかしくなった。 「くそっ、なんで……」  きっと久しぶりに温かい食べ物を食べ、温かい紅茶を飲んで、満たされたせいだ。こんな甘い気持ちになったのは。  躰を清めたおれに残されたのは、明日の儀式を待つ事だけなのに。 「ケイトさん、あの……怒らないで聞いて下さい。あれからテツさんが、ずっと探しています」 「……」 「何か深い事情があるのは重々察しています。でもあなたを助けたいと思って必死です。だから、どうか諦めないで欲しいのです」  今更だ。もう遅い……  つい投げやりな態度を取ってしまった。 「はっ、柊一さんには死んだ方が楽になる人生なんて……到底分からないでしょうね! 」  これで終わりだ。この清廉潔白な青年に愛想を尽かされるだろう。前向きにひたむきに生きている人に向かって、おれは思いっきり毒を吐いてしまった。  ところが柊一さんは雷に打たれたように立ち尽くし、ほらりと涙を流した。 「……分かります! 僕も両親を一度に失い、失業し……自分の躰を欲望に塗れた男に売ろうとし、最後には疲れ果てて、病弱な弟を道連れに……全部投げ捨てて死を選ぼうとしたことがあります! でも寸前で助けてもらいました。それが海里さんでした! 」 「なっ……」  人は見かけによらない。  見えているだけが、全てではないのか。    幸せそうな柊一さんにも、人に言えないような悲しい過去があったのか。 「ケイトさんも一人ではありません。今もテツさんが血眼になって探しています」 「テツさんがおれを……どうして?」 「あなたが大切だから……愛しているからに決まっています!」 「……愛」  その言葉に触れた瞬間、会いたい気持ちが溢れてきてしまった。    穢される前にテツさんにこの躰に触れてもらいたい、抱いてもらいたい。 「……あっ」  絶対に抱いてはいけない欲が生まれてしまった。儀式に参加出来るのはおぼこ(処女)のみ、絶対に破ってはいけない決まり事なのに。 「おれも……会いたい、テツさんに……」  おれの口からとうとう漏れてしまった言葉を、柊一さんは静かに拾ってくれた。

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