283 / 505
庭師テツの番外編 鎮守の森 39
おれの躰の消えない傷を『生き抜いてきた勲章』と?
そんな発想は、おれにはなかった。
どう答えたらいいのか分からず、黙りこくってしまった。
「あの、良かったら、これを着て下さい」
「……あぁ」
「ケイトさんが着ていた作務衣は、お洗濯しておきますので」
「捨ててくれ」
もう不要だ。
どうせ着たって……すぐにアイツに裸に剥かれるだけだ。
「……何か温かいものをお持ちします」
柊一さんから渡された新しい衣類は浴衣と似ていて、今まで触れたこともない滑らかな生地で光沢があり、しっとりと手に吸い付いた。腰紐で結ぶだけで足下が心許なく感じたが、とても着心地のよい物だった。
そして俺がいる場所は屋敷の離れで、柊一さん以外の人はいないようなので安堵した。
これは束の間の休息で、彼の好意に甘えるのも最初で最後だ。
ぶれないように、自分に強く言い聞かせた。
ぼんやりとカーテンの隙間から外を眺めると、美しい洋風の庭が広がっていた。俺が紛れ込んだ『秘密の庭園』はあの辺りか。庭の一番奥、塀に囲まれているので、ここから中は覗けなかった。
何故だ?
どうして……いつの間にあんな場所に入り込んだのか。
「無意識に何を求めていたのか。まさか今更……救いを? はっ!」
自嘲してしまう。
「ケイトさん、入りますね」
「……あぁ」
やがて、お盆に温かいスープとパンを載せた柊一さんが再びやってきた。
「あ!」
「……何?」
おれの顔を見るなり赤面したので、不思議に思った。
「すみません。ケイトさん、改めて見ると、とてもお綺麗で……あっこんな表現、失礼ですよね」
「……いや」
部屋の鏡に、自分を映して驚いた。そして久しぶりにまじまじと見た己の容貌に、暗い気持ちになった。
この顔のせいだ。この女顔のせいで、おれは選ばれてしまった。女子の代わりに生け贄になったのだ。だがその反面、不思議な気持ちが芽生えていた。
もしもテツさんが……小綺麗にした今のおれを見たら、どう思うか。
そんなことを気にした自分が、恥ずかしくなった。
「くそっ、なんで……」
きっと久しぶりに温かい食べ物を食べ、温かい紅茶を飲んで、満たされたせいだ。こんな甘い気持ちになったのは。
躰を清めたおれに残されたのは、明日の儀式を待つ事だけなのに。
「ケイトさん、あの……怒らないで聞いて下さい。あれからテツさんが、ずっと探しています」
「……」
「何か深い事情があるのは重々察しています。でもあなたを助けたいと思って必死です。だから、どうか諦めないで欲しいのです」
今更だ。もう遅い……
つい投げやりな態度を取ってしまった。
「はっ、柊一さんには死んだ方が楽になる人生なんて……到底分からないでしょうね! 」
これで終わりだ。この清廉潔白な青年に愛想を尽かされるだろう。前向きにひたむきに生きている人に向かって、おれは思いっきり毒を吐いてしまった。
ところが柊一さんは雷に打たれたように立ち尽くし、ほらりと涙を流した。
「……分かります! 僕も両親を一度に失い、失業し……自分の躰を欲望に塗れた男に売ろうとし、最後には疲れ果てて、病弱な弟を道連れに……全部投げ捨てて死を選ぼうとしたことがあります! でも寸前で助けてもらいました。それが海里さんでした! 」
「なっ……」
人は見かけによらない。
見えているだけが、全てではないのか。
幸せそうな柊一さんにも、人に言えないような悲しい過去があったのか。
「ケイトさんも一人ではありません。今もテツさんが血眼になって探しています」
「テツさんがおれを……どうして?」
「あなたが大切だから……愛しているからに決まっています!」
「……愛」
その言葉に触れた瞬間、会いたい気持ちが溢れてきてしまった。
穢される前にテツさんにこの躰に触れてもらいたい、抱いてもらいたい。
「……あっ」
絶対に抱いてはいけない欲が生まれてしまった。儀式に参加出来るのはおぼこ(処女)のみ、絶対に破ってはいけない決まり事なのに。
「おれも……会いたい、テツさんに……」
おれの口からとうとう漏れてしまった言葉を、柊一さんは静かに拾ってくれた。
ともだちにシェアしよう!