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庭師テツの番外編 鎮守の森 41
テツさんに会いたいと願ったのは、おれ自身だ。
だが、まさか願うと同時に、テツさんがおれを呼ぶ声が届くなんて思いもしなかったので、激しく動揺してしまった。
「どうしよう……どうしたら……」
だって、おれは慣れていない。
願えば叶う事なんて、この人生でただの一度もなかったから。
……
行きたくない!
生贄になんてなりたくない!
女子《おなご》の姿なんて嫌だ。
そんなもの着たくない!
おれは男だ!
いやだぁ──
殺さないで!
怖い!
死にたくない!
痛い……痛い……
助けて!
父さん母さんおれを守って、隠して!
どうして?
もう嫌だ。
社に戻りたくない。
狭い、狭いよ……
暗くて怖い。
腹が空いた。
誰かと話したい。
孤独だ。
ここは寒いよ。
ここは暑いよ。
お願いだ、行かないで!
おれを連れて行って……
……
かつて声の限り叫んだ悲しい過去が、まざまざと蘇って来る。
どんなに願っても何一つ叶えられなかったのに、どうしてテツさんは、おれの願いを、いとも簡単に叶えてくれるのか。
おれは金縛りにあったように動けなかった。
立っていられない程の動揺に、足が竦んでしまった。
「テツさんの声がします。ケイトさん! ここにテツさんを呼んでもいいですか」
「……」
戸惑っていると、柊一さんが判断してくれた。
「僕が呼んできますから、待っていてください」
心臓が高鳴る。
恐怖でなく期待なのか、これは……
****
「どこだ! どこにいる? 桂人──っ」
俺は庭中に響き渡る声で、大声で叫んだ!
何度も何度も、桂人にしっかり聴こえるように。
この中にいる。冬郷家の屋敷にいる。そう確信していたからだ。
どこだ……どこにいる?
俺を恐れるな! 怖がらずに姿を見せろ。
すぐにおまえの元に駆け付けるから!!!
秘密の庭園から、ぐるりと庭を見渡した。
それから白い煉瓦造りの屋敷を見上げた。
するとこちらに血相を変えて駆け寄ってくる人影が見えた。
「テツさん!!」
それは柊一だった。必死の形相だ。
「どうした? 何か分かったのか」
「はい! ケイトさんが待っています」
「なんだって? やはりここにいたのか」
「早くこっちにいらしてください。あなたを待っています」
いつも海里さんに守られて可愛らしく微笑んでいる柊一だったが、この顔は……冬郷家を背負う当主の顔だ。
凛々しい面もあるんだな。
柊一を信じて、ついて行こう。
それにしても俺の前を走り抜けて行く柊一の背には、まるで白い羽が生えているようだ。
彼はおれと桂人の橋渡しをしてくれている。
頭の中で、弟が渡してくれた絵巻物を思い出した。
白い世界……それは柊一を包み込むこの冬郷家のことなのか。
では黒い世界は……
柊一は本館には入らず、その横の小路を走った。
「どこへ?」
「こちらです!」
そこには離れの棟があった。
「この離れの2階にケイトさんがいます。テツさんを待っています、どうぞ行かれて下さい。……その……朝までここには誰も来ません。二人だけで過ごして欲しいです。どうか!」
「ありがとう。恩に着る」
柊一に見送られ、俺は離れの階段を駆け上った。
ずっと探し求めていた人に逢うために!
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