285 / 505

庭師テツの番外編 鎮守の森 41

 テツさんに会いたいと願ったのは、おれ自身だ。  だが、まさか願うと同時に、テツさんがおれを呼ぶ声が届くなんて思いもしなかったので、激しく動揺してしまった。 「どうしよう……どうしたら……」  だって、おれは慣れていない。  願えば叶う事なんて、この人生でただの一度もなかったから。 ……  行きたくない!  生贄になんてなりたくない!  女子《おなご》の姿なんて嫌だ。  そんなもの着たくない!  おれは男だ!  いやだぁ──  殺さないで!  怖い!  死にたくない!  痛い……痛い……  助けて!   父さん母さんおれを守って、隠して!  どうして?  もう嫌だ。  社に戻りたくない。  狭い、狭いよ……  暗くて怖い。  腹が空いた。  誰かと話したい。  孤独だ。  ここは寒いよ。  ここは暑いよ。  お願いだ、行かないで!  おれを連れて行って……   ……  かつて声の限り叫んだ悲しい過去が、まざまざと蘇って来る。  どんなに願っても何一つ叶えられなかったのに、どうしてテツさんは、おれの願いを、いとも簡単に叶えてくれるのか。  おれは金縛りにあったように動けなかった。  立っていられない程の動揺に、足が竦んでしまった。 「テツさんの声がします。ケイトさん! ここにテツさんを呼んでもいいですか」 「……」  戸惑っていると、柊一さんが判断してくれた。 「僕が呼んできますから、待っていてください」  心臓が高鳴る。  恐怖でなく期待なのか、これは…… **** 「どこだ! どこにいる? 桂人──っ」  俺は庭中に響き渡る声で、大声で叫んだ!  何度も何度も、桂人にしっかり聴こえるように。  この中にいる。冬郷家の屋敷にいる。そう確信していたからだ。  どこだ……どこにいる?    俺を恐れるな! 怖がらずに姿を見せろ。  すぐにおまえの元に駆け付けるから!!!  秘密の庭園から、ぐるりと庭を見渡した。  それから白い煉瓦造りの屋敷を見上げた。  するとこちらに血相を変えて駆け寄ってくる人影が見えた。 「テツさん!!」  それは柊一だった。必死の形相だ。 「どうした? 何か分かったのか」 「はい! ケイトさんが待っています」 「なんだって? やはりここにいたのか」 「早くこっちにいらしてください。あなたを待っています」  いつも海里さんに守られて可愛らしく微笑んでいる柊一だったが、この顔は……冬郷家を背負う当主の顔だ。  凛々しい面もあるんだな。  柊一を信じて、ついて行こう。  それにしても俺の前を走り抜けて行く柊一の背には、まるで白い羽が生えているようだ。  彼はおれと桂人の橋渡しをしてくれている。  頭の中で、弟が渡してくれた絵巻物を思い出した。  白い世界……それは柊一を包み込むこの冬郷家のことなのか。  では黒い世界は……  柊一は本館には入らず、その横の小路を走った。 「どこへ?」 「こちらです!」  そこには離れの棟があった。 「この離れの2階にケイトさんがいます。テツさんを待っています、どうぞ行かれて下さい。……その……朝までここには誰も来ません。二人だけで過ごして欲しいです。どうか!」 「ありがとう。恩に着る」  柊一に見送られ、俺は離れの階段を駆け上った。  ずっと探し求めていた人に逢うために!  

ともだちにシェアしよう!