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庭師テツの番外編 鎮守の森 52

 夜が明ける。  いよいよ『中秋の名月』だ。  10年ぶりの仕切り直しで『契りの儀式』が執り行われる日が、ついにやってきてしまった。  もう一度、父からの言葉を振り返ろう。  私は今宵、森宮家の社で『月との婚姻』という儀式を、桂人と二人きりで開催する。これは森宮家を後世に伝え、ますます繁栄させる効力がある古くからの慣習だ。  父や祖父の時代にも同じ儀式が行われたそうだから……今の私が存在するのは、過去の憐れな生贄たちのお陰かもしれない。  そもそも月見とは、秋の収穫に感謝するために月や収穫物にちなんだものをお供えするのが習わしだ。本来ならば水や酒がお供え物として選ばれ、お供えが終われば、皆で食べる事により、月や神様の力や恩恵を心身に宿すとされていた。    しかし森宮家の月見のお供えになるのは酒や水ではなく、生身の人間だ。  今回の生贄は、秋田の森宮神社に長年閉じ込めておいた桂人だ。  今日から私が森宮家に当主になるために、桂人を森宮家の社に閉じ込めて抱く。男同士で深く結合する。桂人を私の躰で貫いて、彼の躰から流れ落ちる純潔の血を神剣に沁み込ませるのが、儀式のすべてだ。  それにしても森宮家の息のかかった生贄を育てるための村出身の桂人は、月のように美しい男で、私は彼と顔を合わせてから……気もそぞろだ。  早く彼を抱きたい。この手で彼の肢体を隈なく愛撫し、喘がせて啼かせて……  朝に相応しくない色事に思いを馳せていると、電話がけたたましく鳴った。 「……もしもし?」 「旦那さまっ! あ、秋田の森宮です」  電話は分家からだった。つまり森宮神社を管理する土地の地主からだ。嫌な予感がする。 「おい、そんなに血相を変えて……何が起きた? 」 「大変です! 今日に限って大変なことが……」 「何が起きた? 早く言え! 」 「じ、実は昨夜激しい雷雨がありまして……よりによって落雷が社を直撃したようで……朝起きて『鎮守の森』が白い霧に包まれていたので不思議に思って駆け付けると、驚いたことに、あの社がなくなっていたのです!」 「なんと!」  何かが起きたのだ。想定外の何かが……  私は電話を切り、慌てて北の庭園の結界の先へと走った。  こんもりと盛り上がった丘と木々で隠された場所には、隠密の社があった。 「よかった。こちらは健在だ。だが急がねば、何か邪魔が入ったのかもしれぬ!」    万が一に備えて、妻と娘をすぐに妻の実家に避難させた。  ここ数日様子のおかしい私を妻は心配していた。申し訳ないことをしていると思うのに、この情動は止まらない。桂の香を嗅いでからすべての感覚が麻痺しているのだ。許せ…… 「あなた、一体何があったの? 私たちを捨てないで」 「あぁすべてが終われば、また元に戻るから……少しだけ辛抱してくれ」  酷い話だが、生贄は使い捨てだそうだ。つまり当主が抱くのは一度だけなのだ。その一度にかかっていると、父が話してくれた。  父の代の生贄は、一度の契りで当主との子を成してしまい、早死にしたのだ。  あの生贄の子は、私にとって刺激的で目の毒だった。あの時父が遠くに追い払ってくれてよかった。あれ以上の間違いを起こさないで済んだ。  だが結局私は……新たな生贄に手を出すのだ。  何も変わってない……むしろ酷くなっている。  もう振り返っても無駄だ。  これがこの家に生まれた定めなのだ。  どこまでが家の定めで、どこまでが己の情欲なのか…… 「桂人、今すぐに戻ってこい。私の元に……生贄として!」  身を清め、白い着物に身を包み、桂人を呼んだ。    張り詰めた空気がぐらりと揺らぐ。  桂人はけっして逆らえない。  どこで何をしようと……お前は生まれながらの生贄なのだから。  

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