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庭師テツの番外編 鎮守の森 57
「桂人《けいと》か。遅かったな」
「……違います」
「お、お前は! 」
白装束に身を包み社に正座で待機していると、カタリと木戸が開いた。
てっきり桂人が入って来たと思ったが、現れた人物は別人だった。いや……私がよく知る人物だった。
「……今の雄一郎さんは……何かに取り憑かれていますね」
「う、分かるのか」
「えぇ、あなたは結局……あれからずっと、この家に囚われています。生贄の桂人を抱いても、何の解決にもならないことを知っているくせに……本当は誰よりもご自分の家族を愛したい人なのに」
「……う、私はお前に心配してもらえる立場ではない。なのに何故……そのようなことを」
全部……図星だった。
旧家の重圧は私の心を苛み、逆らえずに……結局このような禍々しい儀式を執り行うことになってしまった。
夜空に浮かぶ十五夜が儀式の始まったことを知らせている。庭のススキが風に煽られるように、ゆらゆらと揺れているのが、木戸の向こうに見えた。
私が父の命令で茶室で嗅いだ香は、人間の奥深い所に忍ばせている邪悪な部分を狂暴化してしまったようだ。だから妻も子もいる身分で、美しい男……桂人に手を出そうなどと不埒な事を。
「私は、本当は優しく穏やかな主人で、いい父親でありたかっただけなのに、私にこんな邪悪な部分があるなんて、儀式にかこつけて桂人を抱きたいという欲望に塗れて……苦しい。お、お願いだ! どうか助けてくれ」
「……人には誰にでも隠したい部分があるのかもしれません。そんな……ほんの小さな芽を、悪鬼の住む巨木へと育ててしまうのが、森宮家自体の慣習と長い年月伝わってきた、あの香です」
私自身の秘めたる心が、醜い巨木へと……
がっくしと項垂れてしまった。
「打ち勝ちたい。己の欲に……だが、この育ち過ぎてしまった巨木をどうやって倒したらいいのか、私には術が分からない」
「これをはるばるお持ちしました。秘伝の『乳香』です。数あるハーブの中でも特に浄化や除霊などに力があると言われており、霊的な作用をかき消すそうです。これを手に取るかどうかは、あなた次第。雄一郎さんの代で終わりにしたいのなら、少しでも後悔しているのなら……この香を今すぐ焚くべきです」
****
「さぁ行って。あとは桂人自身が解決すべきだ」
「だが、おれはもう純潔じゃない……別の男と……テツさんと結ばれた」
「大丈夫、知っている。でも確か必要なのは『純潔の破瓜の血液』だったはずだよ」
「だからもう、その資格がないんだ! 」
思わず声を張り上げてしまった。
だが、その人は不思議そうな顔で緩やかに首を横に振った。
「大丈夫だ。君にはその資格があるよ。いや……資格ではなく、君のその血が必要なんだ。長年の呪いを止めるために」
生贄を食らうことで存続してきた森宮家にかけられた呪いを解くには、純潔の生贄同士が交わった時の血が必要だと……?
その人は、おれが身に纏っていた白いシーツを指さした。これは昨夜テツさんは結ばれた時に、おれの躰から流れた破瓜の血だ。
「その血で神剣を拭えば……」
「でも、社の中には雄一郎がいるのに……おれはどうしたら……」
「大丈夫。君に危害は加えないだろう。彼は、本来はそういう人間ではないんだ。獰猛な彼は、香の力で彼の心の闇を増大させてしまった結果……今頃はきっともう」
その言葉を信じていいのか。
本当におれは雄一郎に抱かれなくて済むのか。
信じてみよう、いずれにせよ、もう後には引けない。
おれは、白い曼珠沙華の精のような人から不思議な助言を受けた。これが本当に役立つのか分からない。でも信じたい……
社の重たい木戸を開く──
「この香りは……」
社の湿った空気に充満する香りの正体は、何だ?
社内には、清々しい香が炊かれていた。
深い森林を彷彿させるような爽やかで清涼感のある香りで、鎮守の森を思い出した。よく肌に馴染んだ香りが不安を和らげてくれたので、前向きな気持ちになった。
とにかくやってみよう。おれが出来ることを、最後まで諦めずに。
三途の川でおれを生かしたあの人の無念な想いも……テツさんへの恋心も……それぞれに、ちゃんと行き場があるはずだ。
テツさんを冥途に連れて行かせない。そしておれも逝きたくない。
世でふたりで生きて行くための方法を探したい。
同時に、あの人も……この世の呪縛から解き放ってあげたい。
「桂人です……遅くなりました」
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