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その後の日々 『冬郷家を守る人』 16
おれたちが本館のリビングに入ると、皆、勢揃いしていた。
使用人が一番最後で良かったのかよと突っ込みたくもなったが、誰もそんなことは気にしていないようだった。
「おはようございます、皆さん」
テツさんが慣れた様子で堂々と挨拶をしたので、おれも見様見真似で
続けてみた。
「……お……はよう」
くそっ、慣れないな。こんな朝の挨拶……
だって鎮守の森の社では、誰も俺に声なんて掛けてくれなかった。
おはよう。
おやすみ。
いただきます。
ごちそうさま。
ありがとう。
人間として基本の挨拶は殆ど口に出すこともなく、10年近く過ごしてきた。
社に住む鬼だと子供らに石を投げられたことも、大人達に禍々しい存在だと火をつけられそうになったことだってある。この年まで生きてこられたのが不思議な程、過酷な日々だった。
今考えれば黄泉の国の入り口であった女性、つまり瑠衣さんの母親に守られていたのだ。弱り果てた時、命を捨てたい時、いつも『生きて』と励ましてくれたのは、あの女性だった。
『生きているって、それだけでも凄いことなの』
俺にいつも言い聞かせてくれた女性が、瑠衣さんのお母さんだったなんてな。
彼女はおれに最終的には森宮家への恨みを果たすことを課したが、それまでは違った。もしかしたら、おれに瑠衣さんの面影を重ね、実の息子のように思っていたのかもしれない。熱を出した時には冷たい手を額にあててくれた優しい女性だったから。
「おはようございます。テツさんケイトさん。お腹が空いたでしょう。さぁ朝食をたっぷりと食べて下さい」
一番奥のテーブルに座っている柊一さんが、この家の当主らしく声を掛けてくれた。テーブルの上には、あの日、彼がバスケットで持たせてくれたサンドイッチやスコーンなどのご馳走が並んでいて、腹がぐうっと鳴った。
朝になってテツさんに抱かれたせいか、腹が空いていた。あれは結構体力を使うんだな。だから椅子に座るなりサンドイッチを手で掴んで頬張ったら、瑠衣さんに窘められてしまった。
「くすっ……桂人いいかい? 作ってくれた人への感謝と食べ物の命をいただく感謝の気持ちを込めて、これからは『いただきます』と言ってから食べるといいよ」
瑠衣さんの話し方は高圧的でないので嫌な気分にならなかった。それにあの女性を思い出させる、優しい雰囲気が漂っていた。
「あぁ分かった」
「それから紅茶を飲んでからの方がいいよ。喉に詰まらせたら大変だ」
「ふぅん……物事にはいろんな順番があるんだな」
「そうだよ。僕がちゃんと教えてあげる」
「あぁ瑠衣さんになら」
「嬉しいよ。僕達は暫く日本に滞在するから、僕が教えられることは全部君に伝えたいんだ。よろしくね」
瑠衣さんの想いは、あの人の想いと重なった。
「あの人もおれに優しかったが、瑠衣さんも優しいな。おれ、あんたのお母さんには散々世話になった。辛い時には慰めてもらい、励ましてもらった」
伝えたいことは、口に出して伝えた方がいいと思った。
「あ、ありがとう。君には恨まれても仕方ないのに、母を優しいと言ってくれて……嬉しいよ」
おれの言葉を受けて、瑠衣さんは清らかな涙を浮かべた。
その透明な雫を見て……ふと思い出した。
「あの人は朝露みたいに透明感があって、綺麗だった」
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