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峠の先 5
「メリークリスマス!」
あっという間に、クリスマスの夜になっていた。
冬郷家のダイニングには大きなツリーが飾られ、食卓にはローストターキーやクリスマスプディングなど英国風のご馳走がすらりと並んでいた。
俺と柊一と雪也くんには馴染みがある光景だが、テツと桂人は困惑した顔を浮かべていた。
「めり? くりすます?」
「はは、桂人には今度英語を教えてやろう」
「う……これ以上は無理だ」
「瑠衣からも頼まれているよ。これからの時代、執事たるもの英語は話せるようにならないと」
「うっ、テツさん……助けてくれよ」
お、早速……甘えん坊な桂人だな。
「桂人、俺と一緒に学べ」
「ん……テツさんと一緒なら、やってみるが」
「いい子だ」
男っぽい話し方と艶めいた大人顔なのに……そのアンバランスさが溜まらないのだろう。テツはもう桂人に骨抜きにされているようだ。
和やかな雰囲気の中……雪也くんがさっきから沈んでいるようだ。
「雪也、どうしたの? 今日は大人しいね」
「兄さま、こんな幸せな光景はもう見られないかもしれないので、よく見ておこうと思って」
「えっ、何を言うんだ?」
柊一の顔色がさっと青ざめる。
「兄さま、心配かけてごめんなさい。来月には手術が迫っているから、その……」
雪也くんは幼い頃から『肥大型心筋症』という病気で闘病中だ。左心室の出口付近からトンネル状に狭くなるという症状が、揺るやかに進行していた。運動時の息切れや動悸、さらに胸痛、失神発作などが起こりやすいので、ずっと制約のある生活を余儀なくされているのだ。だから……手術に耐えうる体力をつけた今こそ、大がかりな手術だが異常心筋切除術など併せてして、心臓の負担を取り除いてやりたい。君を大人にしてやりたい。
だが、やはり心臓の外科的手術ともなると、幼心に不安なのだ。
「海里先生に聞いても? 手術に100%の成功はないですよね? だとしたらこのクリスマスが最期になる可能性だってあります。正直に言って下さい。僕、手術中に死んじゃうかもしれないんでしょう? 大人はみんな怖いことは隠すけれども」
聞き分けのよい雪也くんが、そんなことを言うなんて。いや違うな。今まで聞き分けが良すぎたのだ。いつも背伸びしていたのかもしれない。
「あぁ雪也……大丈夫だよ。兄さまがついている」
「兄さまが手術するわけじゃないんだ! 兄さまには僕の痛みや不安なんてこれっぽっちも分からないくせに」
一度口に出したら止まらなくなってしまったようで、雪也くんがポロポロと泣き喚く。
柊一はどう答えたらいいのか分からなくなり、困ったように眉根を寄せていた。
「雪也くん、何が怖いかしっかり話してくれ。俺が答えるよ。医師として君にすることを全部話してやる。完全に不安がなくなることはないかもしれないが、軽くなるまで付き合うよ」
机に伏せって泣く雪也くんを、子供のように抱き上げてやった。
「ほらひとりで泣かないで、おいで」
「か、海里先生……」
「いいから、甘えてご覧。俺を父親だと思ってくれていいから」
同年代の少年より一回り小さい、まだ小学生のような身体は軽々と持ち上がる。
「あ……うっ、ううう」
雪也くんが俺の肩に顔を埋めて、泣きじゃくる。
ずっと我慢していた不安が、爆発しているのだ。
俺は少し落ち着かせようと、雪也くんを暖炉の前に連れて行き、ゆりかごのように揺らしてやった。
「お母さま……お父さま……こわい。こわいです。あなたたちに会いたいけれども、僕、まだ死にたくない。生きたいんです。僕も兄さまと海里さんみたいに、心を委ねられる人と出会いたいし、兄さまのしあわせを見守りたいし……うっ、ううう……」
必死に話す様子が健気で、泣けてくる。
「生きていれば、死にたくないよな」
「かいりせんせ、ぼく……たすけて」
切ないまでの幼子のような声だった。
「俺が全力で執刀する。俺を信じて欲しい。雪也くんは俺の大切な息子のような存在だ。我が子ためにもがんばるよ」
「うっ……うう、せんせぇ……」
俺たちの会話を聞いていた桂人が、突然雪也くんの背中にそっと触れた。
「あぁそうか……雪也くん……やっぱり君の背中には羽が生えているんだな。だから大丈夫だ。ちゃんと黄泉の国近くまで行くことになっても……舞い戻って来られるよ。おれには見える。君の未来には黄金色の若葉が輝いている」
呪いめいた言葉を告げる桂人の様子に、ふと兄から預かった『鎮守の森』の資料を思い出した。
『生贄には女神の流れを汲む柏木家の……予知能力の強い血を代々森宮家は好んだ』と、書かれていた。
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