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第1話

 アラビア海の南東に位置する王国アルバール。三方を砂漠に囲まれているこの国は一年を通して気温が高く、空気も乾燥している。緑の少ない国だが、大きな街がいくつもあり、活気に溢れている。アラビア海の海上貿易と、砂漠の向こう側へ貿易を中継する要所として、繁栄を誇っているからだ。  大きな帆を畳んだ貿易船がいくつも停泊する港を臨む王都には、王属騎士団基地がある。厳しい訓練を優秀な成績で修めた者だけが入団を許されるのが、王属騎士団だ。  今年入団できた五人のうちの一人であるセナ・シーパは、騎士には珍しく平民出身で、しかも、生まれてすぐに両親を亡くし、寺院付属の孤児院で育ったという異例の存在だった。幼いころから馬術や剣術の稽古をしてきた貴族の次男、三男たちに負けないよう、血の滲むような努力を重ね、首席で訓練所を卒業した。 小柄の痩身と淡い褐色の肌、長いまつげに縁取られた垂れ目がちな目元という中性的な容貌も相まって、本人の知らないあいだに注目の的になっていた。  入団日にはもう王属騎士団の全員がセナの名を知っていた。先輩騎士には目立つ平民を虐めてやろうという者もいたようだが、噂よりもさらに小柄なセナを見ると、まだ十八歳なのだから、じき体格が大きくなるだろうと慰めてくれた。それくらい、頼りなく、可憐にも見える容姿をしていた。  入団から三か月、騎士団の任務と寮生活に慣れてきたときだった。セナの身体に異変が起きた。 「は……、はぁっ」  突然体温が上がり、心臓が激しく打った。寮の相部屋で一人、動悸と火照りに呼吸が乱れ、もがき苦しんでいると、なぜか下着が濡れるのを感じた。 (まさか……!)  異変の原因に思い当たった瞬間、火照っているはずの顔から血の気が引いた。だが身体の奥から抗えない熱が生まれ、また頬が上気する。  下着の湿りが顕著になり、衣服の下で身体の中心が頭をもたげた。気づいてしまった異変の理由に、セナは混乱するしかなかった。  まさか、自分がオメガだったなんて。  オメガは王属騎士どころか、下位の憲兵や一般兵にもなれない。発情によって任務に支障が出るからではなく、身内にオメガがいれば、世間から隠すか奴隷として売ってしまうのがアルバールの暗黙の掟だからだ。 通常なら、オメガ性に生まれていれば訓練所時代に発情期を迎えている。セナには、一度も発情期やそれに似た症状すら起こったことがなかった。だから自分はベータで、退役の日までアルバールに仕えるのだと信じていた。それなのに、王属騎士になれた今になって発情期を迎え、オメガだったと知ることになるなんて。  混乱が絶望に変わり、それでも身体は発情期特有の熱を生み続ける。  発情の苦しさと非情な現実による苦痛から、涙を溢れさせて寝台に伏せたセナの背後で、誰かが部屋に入ってくる音がした。 「先に部屋に戻っていたなら、掃除をしておくのが新米の役目だろう」  同室の騎士ヤウズだ。怠慢な態度が原因で下位兵団への降格が危ぶまれ、賭博で借金を抱えているとまで噂される落第騎士は、様子のおかしいセナを見て目の色を変えた。 「お前、オメガだったのか」  セナ自身が今知った事実に、ヤウズは嘲笑を浮かべる。 「卑しい生まれだ。オメガだったとしても不思議はないな」  優秀なセナを理不尽にも目の敵にして、日ごろから何かと口汚くセナを罵る下劣な男は、嫌な笑みを浮かべて腰帯を外した。  混乱から抜け出せず、何も言えなかったセナだが、不穏な気配を感じ身体を起こした。けれど背後から寝台に押しつけられてしまう。 「俺たちアルファにとって、発情期のオメガは高級娼婦よりも具合がいいと聞いた」  セナにとって絶望的な状況を嘲笑うヤウズは、セナの口に布を詰め込む。 「んんっ!」  苦しさに声を上げたが、くぐもったうめき声にしかならなかった。うまく息ができず、身体も思いどおりに動かせなくて、さらに混乱するセナの両手首を、ヤウズが腰帯で縛る。 「おとなしく脚を開け、淫売が」  質の悪い嘲笑を上げるヤウズの下で、セナは必死に抵抗した。  翌朝、発情期の症状はほとんど治まっていた。オメガや発情期についてはよく知らなくて、なぜ症状が落ち着いたのかはわからなかった。  わかったことは残酷な事実だけ。うなじに歯型がはっきりと残っていて、ヤウズが番になったこと。そして、番になったのは恋や愛情が理由ではなく、醜い嫉妬心を満たすための行為の最中に、ヤウズが後先も考えずにセナのうなじを噛んだからだということ。  悔しさに、涙が涸れるまで泣いた。その日から数日は任務にも就けないほど憔悴して、このまま立ち上がれない気さえした。 セナに起こったことを想像もしていない他の騎士たちは、質の悪い風邪だろうと言ってそっとしてくれた。生い立ちを枷とせず、必死の努力を積み重ねてきたセナを誰もが慮ってくれた。たった一人ヤウズを除いて。  セナが屈辱と絶望からなんとか立ち上がったころには、ヤウズは騎士団から姿を消していた。誰にも行方を知らせず、セナに一言も詫びることなく、突然姿を消した。セナはその後、番の居場所がわからぬまま、現実を受け止めて生きるしかなかった。

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