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第2話

        ***  砂漠の楽園と誉れ高い大国アルバールは、若き国王、アスラン・パーディシャー・アルバールの治世下にある。王都には国中で最も優秀な騎士が集められた王属騎士団があり、繁栄の象徴である王都を護っている。  二十三歳になったセナは、騎士の正装である白の装束と、首と両手首を守る革の防具を身に纏い、王属騎士団団長の執務室へ入った。 「失礼します。団長、例の書簡です」  胸元に縛っていた書簡を手にし、頭を下げれば、四十半ばの団長は年齢に似合う渋みと貫禄の映える顔立ちを満足そうに緩め、頷いた。 「ご苦労だった」  四か月に一度、セナはこうして団長の執務室を訪れる。四か月という決まった期間は、セナの発情周期だ。  団長だけは、セナがオメガであることと、それに関する秘密を知っている。 セナが訓練兵だったころ、団長は訓練所の視察に訪れる道程で毒蛇に噛まれ、瀕死の状態に陥った。たまたまその現場に通りかかったセナは、教わったばかりの救命処置を施し、団長の命を救った。的確な応急処置がなければ、団長は今ここにいない。セナは図らずして恩人になっていた。  そのおかげで、オメガであることを話せた。セナの苦労と努力を知っているからこそ、団長のほうから発情期の対策を提案してくれた。 セナは発情期の兆候を感じると団長に知らせ、書簡を受け取り、機密文書の単独伝令という命を受けて騎士団基地を出る。そして、発情期が終わると返事を受け取ったふりをして書簡を返すのだ。  執務室には団長とセナ以外に誰もいない。いい機会だと、団長が一つ咳払いをする。 「家族はどうしている」  騎士は七日に一度休みが貰える。セナは毎週必ず、家族に会いにいく。四歳になる娘ミラだ。 「おかげさまで元気に暮らしています」  初めての発情期で、セナは妊娠した。気づいたのは、まだ体型に現れていなかった三か月ごろ。自分がオメガだったと知り、番までできてしまったけれど、血の滲むような努力の末に騎士になった自負から、辞める決心がつけられず、重大な秘密を抱えたまま騎士団に残っていたころだった。 剣術の訓練中に眩暈がして足元がふらつき、怪我を負った。傷は深かったものの、幸いにも早期回復が見込めるものだったが、問題はそのときに妊娠がわかったことだ。自分がオメガで、不本意なかたちでアルファと番になり、さらには番の子が腹にいるのだと知って、底の見えない絶望に突き落とされた。それでも、セナは必死に、妊娠の事実は隠してほしいと医者に頼み込んだ。騎士団に残る望みはもうない。けれど、せめて諦めがつくまでは隠したいと、涙ながらに頼んだのだ。 ただならぬ様子を不憫に思った医者は、破傷風の恐れありとして、回復するまで無期限の休職が必要と、上官への手紙に書いてくれた。  そうして密かにミラを産み、助けを必要としていたセナは、団長にすべてを話した。 「寺院の教育は有望な若者を育てる。君がそれを証明しているのだ、不安はなかろう」 「恐れ入ります」  ミラはセナが育った寺院の孤児院に預けている。団長以外にオメガと知られては、騎士団にはいられない。だから、自分が産んだけれど、娘として届け出てあげられなかった。 「いずれ後進に団長の席を譲る日がくるのが、少々残念だ」  団長が退役するまで、セナは王属騎士団で勤める。王属騎士の報酬は、庶民にとって大金だからだ。そして、ミラを育てられるだけ蓄えを築き、団長の退役と共に退団して、ミラと共に暮らす。  孤児だった自分が初めて得た、たった一人の家族だ。授かった理由は思いがけないものだったけれど、今のセナにとって日々努力を重ねる糧であり、希望だ。 「失礼します。国王陛下がお見えになります」  執務室に入ってきた騎士が、国王の訪問を告げる。セナは団長に敬礼して、広場へ駆けて出た。そして、急いで隊列の最前列に立つ。  最前列に並ぶのは一等騎士だけだ。セナは剣術、馬術、日誌や報告書の作成など、すべての任務において優秀とされ、先日一等騎士に昇格した。 今までのように自分より大きな騎士の後ろに隠れてしまうのではなく、士官たちの姿がよく見える最前列は、立っていて気分も良いし誇らしい。無意識に胸を張っていると、司令部のある棟のかげから馬に乗った国王と近衛騎士が現れた。 「国王陛下の御成り!」  士官の声に、セナたち騎士は一斉に敬礼する。一糸乱れぬ様子を見て、二十歳の国王、アスラン・パーディシャー・アルバールは満足そうに微笑んだ。  初めて間近で見たアスランは、肖像画よりももっと男性的な魅力に溢れていた。彫りの深い目元と凛々しい眉、高い鼻梁は気高さを表すように整っていて、透けた生地の上着を通して、騎士のように鍛えられた腕も見える。立て襟の正装には金糸の刺繍が施されていて、雲一つない空から降り注ぐ陽光に煌めいて眩しいほどだ。  国王としてアルファとして、溢れる自信と誇りが、優雅に馬を操る姿に表れていた。  騎士全員の顔を確かめるよう、左端から馬を歩かせたアスランは、右端にいるセナの前に来ると馬を止めて降りた。そして興味深そうな表情でセナに近づいてくる。 「初めて見る顔だな。名は?」 「セナ・シーパと申します。陛下」  頭を下げて屈み、数拍待ってから面を上げると、アスランはじっとこちらを見たままだった。  逞しい体格のアスランは背も高い。主君や上官を見上げ続けるのは無礼と取られることもあるため、アスランの目を見るかどうか迷っていると、頭の上から声がかかる。 「美麗な騎士がいたものだ。最前列に立っているということは、一等騎士か。剣術試合に出るのだろう。活躍を期待している」  他の兵団から訪ねてくる士官たちは、小柄なセナを見ると騎士団にいるのが信じられないといった顔をする。一等騎士の証しとして最前列に並んでいればなおさらだ。けれど、アスランに疑った様子はなく、来週王宮で行われる騎士の剣術試合でセナの剣技を見るのを楽しみにしていると言って、整った容貌に笑みを浮かべていた。  見上げると、視線が合った。アスランはセナが目を合わせるのを待っていたようだ。 「王宮で会おう」  そう言って、若き国王はセナのむき出しの肩に触れた。 「……!」  アルバールでは、国王は神に選ばれた存在と信じられている。その国王が一騎士に、しかも平民に触れるのは異例のことだ。突然与えられた名誉に呆然とするセナを、他の騎士たちは羨ましそうに見ている。アスランも、セナがどれほど特別に感じているかわかっている様子で、もう一度セナに笑顔を向けてから、近衛騎士と士官たちを連れて去っていった。

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