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第3話

 剣術試合前の休日、セナは娘のミラと一日を過ごしていた。 ミラを預けている寺院付属の孤児院は、聖典にのっとり厳格な生活を子供たちに教える。セナも同じ環境で育ったから、ミラがどんな生活をしているのか容易に想像ができる。まだ四歳になったばかりで、外の世界を知らないから、ミラが不満を漏らすことはない。それでも、一緒に暮らせないぶん、会える日には甘やかしたくなるのが、親心というものだろう。  今日は港の近くで開かれている縁日に連れてきた。伝統料理や異国の菓子、子供の玩具に踊りの小舞台と、ミラは目を輝かせている。 「セナは王様を見たことがある?」  ミラがセナを名前で呼ぶのは、親子ではなく、大切な家族と伝えているからだ。いつか一緒に暮らせるようになったときに真実を話そうと思うが、今はそれだけで充分だと思っている。 「このあいだ、王様に会ったよ」 「王様はどんなだった?」 言葉が達者になってきたこのごろ、質問するのがミラの中で流行しているらしい。ときどき答えに困るくらい、たくさん質問される。 「とても立派な人だった。金色の衣装を着ていて、乗っていた馬にもたくさん飾りがついていたよ」 「すてきな人?」  孤児院の少女たちを真似たのか、ませた問いかけだ。肩に触れられたときのことを思い出し、セナは一瞬答えに詰まってしまう。 「そうだね。素敵な人だったよ」  王族アルファの風格は想像以上だった。騎士団にもアルファは何人もいるが、アスランほどの存在感を覚えたことはない。 「王様は優しい?」 「優しい方だと思うよ」  肩に触れられたのには驚いた。なぜアスランが神助を授けてくれたのかしばらく考えたが、最前列にいた騎士の中で一番弱そうなセナを勇気づけるためだったという結論に至った。それでも真摯な眼差しを向けてくれる国王だ。優しい人に違いない。  ミラの興味が縁日に戻った。色々なものを指さし、あれはなんだと訊かれながら歩いているうちに、いつの間にか縁日の端まで来ていた。 「そろそろ寺院に戻ろう」 「もっと歩きたい」 「もう一度縁日を見るほうが、先に行くよりもきっと楽しいよ」  もうすこし進めば、売春街に近づいてしまう。幼いミラにはそこがどんな場所かわからなくとも、見慣れた光景の一部にしたくない。  それに、セナにとっては苦痛な経験をした場所だ。  オメガを助産した経験が最も多いのは、売春街の医者だ。破傷風と偽って休職しているあいだに噂を耳にしたセナは、その医者を探した。そして、出産の日まで売春街を出てすぐのところにある小屋を借りて身を隠し、医者の手を借りてミラを産んだ。  男性オメガにとって出産の身体的負担は非常に大きく、セナは数週間高熱にうなされた。医者と薬代、生まれたばかりのミラを任せた乳母への支払いは、わずかな貯金では到底足らず、意識が回復したころには借金を背負っていた。セナは売春街の人間ではないけれど、借金をした相手はそうだ。返済のあてがなければミラを取り上げられてしまう。ただでさえ弱りきっていたセナは、ミラをきつく抱いて号泣し、借金は必ず返すからミラを奪わないでくれと、土に額を擦りつけて懇願した。  あの日の絶望は忘れない。まともに身体を動かせない状態で、支えてくれる番もなく、これ以上ないほど疲れ果てていたセナには、ミラを生きる希望と思えるほどの余裕がなかった。それでもやはり、自分の娘は命に代えても守ると、本能から誓った。  それから四年。団長のおかげで騎士団に戻り、借金は返して蓄えもできた。あと数年勤められれば、ミラと共に暮らす目途が立つ。  一緒に暮らせば、思いきり甘やかせてやりたい。今までできなかったぶんも、毎日一緒に過ごして、ミラの花嫁姿を見るまで、ずっと一緒にいたい。 「さあ、みんなのぶんの果物を買っていこう」  迷子にならないようにもう一度手を繋いだ。今は、この小さくて温かい手が、確かな希望だ。

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