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第4話

 剣術試合の日、セナは初めて王宮に入った。王属騎士の中でも命を受けた士官しか立ち入れない場所は、真っ白な石の壁と見事な彫刻が見る者すべてを魅了する、白亜の宮殿だった。見晴らしの良い丘に築かれた王宮には大小いくつもの宝珠型の屋根があり、その大きさに圧倒され、またその屋根を支える建物の壮大さにも唖然とした。  試合が行われる中庭も、溢れんばかりの木々や花で飾られている。国の三方を砂漠に囲まれ、常に空気が乾燥しているアルバールでは、木や花の色彩は富の象徴でもある。これほど手入れが行き届いた緑と花々を見るのは初めてだ。日除けのために吊るされた、透けた布が風に揺られる様も幻想的で、夢を見ているような心地になった。 一列に並んで待機していると、王侯貴族が続々と集まってきた。剣術試合は伝統的な行事で、貴族たちは出場する一等騎士の誰が優勝するか、金貨を賭けて楽しむ。貴族家出身の騎士は見世物にされている気分になると不満を言うが、セナは気にしていない。優勝すれば褒美に金貨が十枚も貰えるからだ。  今日も勝つ気で臨む。他の一等騎士との剣術訓練は何度も経験していて、それぞれの騎士の特徴を覚えているから、油断しなければ勝てる自信もある。 「国王陛下の御成り!」  貴族たちが金貨を賭け終えたころ、アスランが現れた。大粒の翠玉で飾られた長剣を腰に差し、歴代の国王が受け継いできた煌びやかな宝石をいくつも身につけている。  中庭にいる全員が跪く姿を満足そうに眺めながら、アスランは紅色の絨毯が敷かれた国王の席に着いた。そして、初老の側近を呼び、金貨を賭ける騎士を指定した。  アスランが誰に賭けてもセナの気にすることではない。非力そうな容姿に自覚はあるし、誰も自分には賭けないと思っているからだ。 「余の誇りである騎士たちよ。健闘を祈る」  アスランのかけ声を合図に、試合が始まった。  セナは順調に勝ち進んだ。祭りごとだから泥臭い戦い方は好まれないし、怪我をしてまで勝たなければいけない試合でもないから、セナが相手になると早々に諦める者もいた。おかげでかすり傷一つなく最後まで残れた。  最後の相手は、セナを負かして騎士団内での立場を挽回したがっている、大柄で腕力も並外れている強敵だ。対してセナは一振りずつが弱いけれど、身軽さを活かして相手の間合いに一気に入り、急所を一突きするのを得意としている。  緊迫の勝負になったが、迫力で勝る相手の隙をつき、セナは見事に相手の背中をとった。  拍手が起こり、四方に頭を下げるセナを、アスランが呼ぶ。 「勝者よ、前へ」  呼吸を整え、煌びやかな絨毯の前で跪くと、アスランは面を上げるよう、指先でセナに命じる。 「そなたの容姿からは想像のつかない見事な剣技だった。おかげで余も独り勝ちだ」  独り勝ちとは。もしやアスランはセナの優勝に賭けていたということか。 驚いていると、アスランの側近が黒色の盆を運んできた。そこには百枚は下らないであろう大量の金貨が載せられている。 アスランは本当に、一人で賭けに勝っていた。 「身体が大きいだけが騎士の強さではないということだな」  そう言ったアスランは、差し出された金貨を見てから、セナに渡すよう手ぶりで側近に指示をする。 「勝者に敬意を」  アスランの一声で、貴族たちがセナに拍手を送る。そして、国王の先見の明を称賛する声がいくつも上がった。  王属騎士の年俸以上の褒美を目の前に差し出され、セナは慌てた。だが、アスランは躊躇うなと笑う。 「いつ何時も、誇り高く戦う騎士に褒美だ」  本気で戦っていなかった騎士がいることは、アスランもわかっている。だからこそ、一貫して真剣に戦ったセナを褒めてくれるのだ。 「光栄にございます」  十枚ほどの金貨なら。と、目立たないように怠けていた貴族家出身の騎士たちも、さすがに驚いて羨慕の視線を向けているのが、背中に感じる気配でわかる。  初めて試合に出た小柄な騎士だから必然的に大穴となり、一人だけが賭けていて、その一人がすべてを褒美にできる国王だったという、幸運すぎる偶然が重なったのだけれど、ほんのすこしだけ面白い気分になってしまった。 人一倍では収まらない努力を重ねなければ、貧しい平民にとって王属騎士団は居づらい場所だ。たまには心の中で笑ってもいいだろうと思っていると、アスランが目の前に片膝をつく。 「陛下っ」  側近が慌てた声を上げ、金貨の盆を落としそうになった。国王はどんな状況であっても誰かに跪くことはない。なのに、目線の高さを合わせるためとはいえ、ただの騎士に向かって膝をつくなんて、側近を含めた貴族たちが騒然としている。  一番驚いているのはセナだ。立ち上がるわけにもいかず、無暗に頭を下げるわけにもいかない。どうすればいいか判断できず、凍りついたセナをよそに、アスランは口角を上げる。 「余は力が好きだ。美麗な容姿に隠れたその力も、気に入ったぞ」  まっすぐに目を見つめ、アスランは白い石板についたセナの手を握った。  また身体に触れられ、心臓が止まりそうだ。そんなセナに、アスランはさらに意外なことを言う。 「余の近衛騎士となれ」  耳を疑うほかなく、セナはただただ呆然とした。 「私を、近衛騎士に……?」  近衛騎士になれるのは、国王の信頼に足る優れた騎士だけだ。常に国王の傍にいるため、貴族家出身者しか選ばれたことがないはず。  騎士にとって最も名誉ある役目だけれど、セナが感じたのは指名された喜びよりも不安だった。 「恐れながら、私は平民の出です」 「確かに、平民の近衛騎士は今までいなかった。だが、余が法だ。そなたは明日から近衛騎士になれ」  不安を謙遜ととられてしまい、断れなくなった。否、最初から辞退するという選択肢は与えられていない。  離れたところから様子を見ていた団長だけが、セナの不安に気づいていた。その他は誰もが、なぜ素直に喜ばないのかと訝しげな顔をしている。 「身に余る光栄にございます」  本心を知られないよう、石板に額がつくほど深く頭を下げれば、納得したアスランが頷く。 「その慎ましさも気に入ったぞ」  そう言って立ち上がったアスランは、側近にセナを近衛騎士として迎える準備をするように指示をした。 「有意義な試合であった」  アスランの挨拶で試合は終わった。小柄な平民が優勝し、近衛騎士の名誉を賜る結果を想像できていた者はいなかっただろう。一番驚いているのはセナ本人なのだから。  幾人かの一等騎士たちに声をかけられながら帰り支度を整えていると、皆がセナの背後に向かって敬礼した。振り向くと、アスランがそこに立っていた。 「陛下」  慌てて頭を下げると、アスランは楽しげな笑みを浮かべた。 「そなたを王宮に迎えるのを楽しみにしている」  不安を知る由もないアスランの笑顔は二十歳の青年らしい活発さに満ちていて、セナに対する純粋な興味を映している。 「明日から近衛騎士になるのだ。今夜から王宮に住むとよい」  近衛騎士は王宮内に部屋を与えられる。国王の命にいつでも応じられるからだ。  なぜそこまで気に入ってくれたのか。想像もつかないけれど、今のセナにできることは、戸惑いを隠して頭を下げることだけ。 「恐れ入ります」 「待っているぞ」  上機嫌な声でそう言って、アスランは去っていった。

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