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第5話
独身騎士のための寮に戻ったセナは、遅い昼食のあと荷物をまとめた。といっても、私物はほとんどなく、返却する必要のある布団や敷き布を畳んだくらいだ。
そこへ、団長がやってきた。同室の騎士は部屋にいたが、席を外すよう命じられて出ていった。
「近衛の役目は騎士の誉れだ。胸を張って王宮に行くといい」
セナの不安は、近衛騎士になってしまうと、今までのように発情期を隠せないことだ。番がいるせいか、セナの発情期は話に聞いた他のオメガよりも周期が長い。あと三か月ほどは発情期が来ないはずだけれど、隠せなければ騎士生命はそこで終わる。
あと三か月で辞めるなんて予定外だ。褒美に大金を貰ったけれど、騎士団を追われてしまえば、ミラとの生活は遠ざかる。発情期のせいでろくな仕事には就けないし、幼いミラを置いて働きに出かけるわけにもいかない。だから、蓄えはできる限り増やしておきたかった。
「打つ手は考えておく。が、セナも事情を話す心の準備はしておいてくれ」
「はい」
「もし今まで隠し通せた理由を訊かれたら、私のことも話せばいい」
「それはできません」
この四年間、頼れる人がいたことが幸運だった。団長が便宜をはかってくれたことは、拷問されても絶対に言わない。
「陛下が平民の私には務まらないとお気づきになれば、騎士団に戻してくださるかもしれません」
新しい職務はまっとうするつもりだ。けれど、場違いすぎて邪魔になってしまうかもしれないし、アスランも気まぐれが過ぎたと悟るかもしれない。
これ以上心配をかけたくなくて、笑顔で言えば、団長は見送りの敬礼を送ってくれた。
「騎士の名に恥じぬ働きを期待している」
苦労と努力を誰よりも理解してくれている団長に、セナは最敬礼を送って騎士団基地を後にした。
王宮に着くと、ただちに自室となる部屋へ案内された。近衛騎士を含め、国王に仕える者たちに与えられる個室だった。
寝台だけでなく、机と椅子もあり、さらには部屋の中で水浴みができるようになっている。あまりの贅沢さに驚いていると、廊下に繋がる扉が開き、そこからアスランが姿を見せた。
「陛下」
突然のことに驚きながらも頭を下げると、アスランは満足そうに微笑んでセナの肩に触れる。
「待っていたぞ」
「このような部屋を与えていただき、身に余る光栄でございます」
「己が家と思って使うといい」
「ありがたく――」
「飾りが足りないな。そこの者、花と果実を持ってこい」
セナの戸惑いに気づいていないアスランは、案内してくれた者にそう指示をしてからセナのほうへ向き直る。
「他に欲しいものはあるか」
「いえ」
「新しく近衛騎士を迎える祝いだ。欲しいものを言え」
「お心遣いだけ」
世の中には考える必要もなく欲しいものがすぐ言葉になる者が多いのだろうか。そんなことを考えてしまうほど、何も欲しがらないセナをアスランは不思議そうに見ている。
「誠に慎ましい騎士だ。美麗な容姿によく似合う」
不思議そうにしながらも褒めてくれたアスランは、連れてきた従者が持っていた近衛騎士の制服を広げてセナに見せてきた。
「選ばれし騎士の証しだ」
白の装束の上に羽織る、袖のない上着は、紺色の生地のいたるところに刺繍が施されている。背中には大きく王家の紋章が刺繍されて、遠くからでも一目で近衛騎士とわかる。
「着て見せよ」
目の前で上着を着ろと言われたのだと思ったのに、アスランはセナの背後にまわり、着せようとしてくれる。
着替えも従者に任せるはずの国王が、あろうことか一騎士に上着を着せるなんて。室内にいる全員が唖然とするなか、アスランはセナに上着を着せて、仕上げに頭に被っている大きな布、グドラごと黒い髪を束ねて上着の内から外へと出した。
「美しい髪だ。それに、香を纏っているのか? 良い匂いもする」
自分に起こっていることが信じられず、必死に落ち着きを取り繕っていたセナは、慌てて答える。
「香は使っておりません。髪は……しばらく散髪していません」
国王のアスランも含め、ほとんどの男性は肩にかかるくらいまでしか髪を伸ばさないが、セナはそれよりも長く、肩が完全に隠れるくらい伸ばしている。騎士の正装の一部である、首につける防具のおかげでうなじの歯型は誰にも見られないが、万一のために伸ばしているのだ。
「艶があって綺麗な黒髪だ。羨む女も多いだろう」
丈夫で艶やかな漆黒の髪が美女の条件でもある。セナは確かに、癖のない丈夫な髪質をしている。女性と話す機会などほとんどないので、褒められることはないが、ミラがこの髪質を受け継いだことは嬉しく思っている。
「女性とはあまり話したことがありません」
アルバールの女性は目元以外の全身を衣服で隠して生活し、夫以外の男性とはあまり関わらない。ゆえに、結婚するまで家族以外の女性とまともに話したことのない男性は珍しくない。
「そうか」
騎士ほどの報酬があれば、それこそ売春街の常連客になれる。遊びを知らないセナの様子を見て、アスランは満足そうに笑った。
「今日からは、この上着を常に身につけていろ」
「かしこまりました」
「心配するな。替えはいくらでも用意する」
汚してしまうことなど気にしなくてもいい。王属騎士の待遇は良かったが、近衛騎士になるとより良くなるようだ。
感謝を伝えるために屈んで頭を下げると、アスランは微笑んでから踵を返した。そして何者のためにも立ち止まらない、国王らしい堂々とした歩調で去っていった。
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