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【番外編】掌の誓い 前編

「佳人を狙ってる人がいる?」 「まあ、一言で言うとそういうことです」と東竜太は小さな声で返した。  東が勤める会社はオフィス街の一角にある。その近辺には食事を取れる店が多くあり、12時を過ぎるとサラリーマンやOLで街は賑わう。いつもの東はコンビニ弁当で昼をすませてしまうのだが、今日は違った。会社からは少し歩くことになるが、混雑してなくコーヒーが美味しい穴場のカフェに来ていた。豆の香りが芳しく、ゆったりとしたクラシック音楽が流れる店内はシックな色合いの造りで、カウンター席とテーブル席がある。  東は窓際の席に座っていた。目の前には上司である大屋敷と、その妻、蓮太郎がいる。こうしているのは、他でもない東が「ご相談したいことがあります」と2人に持ちかけたからだった。そしてその内容は『恋人に好意を寄せる男がいるかもしれない』ということだった。  東が恋人の赤松佳人と結ばれて半年が経った。今では半同棲のような状態で、休みの日になると互いの家に泊まっている。まだ一緒に暮らしているわけではないが、佳人とは番という特別な関係にある。自分たちの関係は良好だと自負しているし、将来的には同棲することはもちろん、結婚もするつもりだ。  しかし先日、見知らぬ男が佳人と話している所を見かけた。しかもやたらと親しげに。そのことをきっかけにその男の顔を覚えると、その男はかなりの頻度で佳人が働くパン屋に通っていることに気づいた。休日にパン屋に寄ると、2回に1回は鉢合う。  それだけなら常連で話は終わるのだが、男は毎回、東が店に来ると物凄い形相でこちらを睨んでくるのだ。その目には明らかに敵意がこもっていて、この男は自分を敵視している──もし佳人から東と交際していることを聞いていて、その上で自分に敵意を向けいてるとしたら、それは自分をライバル視……つまり恋敵として見ているのではないかと思ったわけである。 「佳人はなんて言ってたの?」 「特には……ただの友達だからありえないとは言ってましたけど」 「本当かなあ。あの子、人からの好意に鈍いからなあ」 「人間不信も前よりは良くなったみたいだけど、完全に克服したわけじゃないのに、知らないうちに仲良い人ができているのも不安になるよね」  大屋敷が腕を組んでうーんと唸る。蓮太郎と大屋敷の言うことはその通りで、東も同じことを懸念していた。  佳人がそう言っていても相手がどう思っているかは本人にしか分からない。正直な所、あんな目を向けられ何もないとも思えない。 「あと……これはただの勘なんですけど、その男、危ない感じがするんですよね。もし俺の予想通り佳人のことを好きだとしたら、何をしてくるか読めないというか」  問題は自分に敵意を向けられることではない。何をしでかすか分からない雰囲気のあの男が、佳人に何かしないか心配で、万が一の事態を防ぐため、手を打てないかということだ。  佳人は男だが第二次性はΩだ。Ωは他の性より体が小さいという身体的特徴があり、佳人もその例に漏れない。他の男に比べ、だいぶ小柄だし、力も弱い。気や言葉は人一倍強いが、力勝負になった場合、βの男相手でも勝ち目はない。  しかも佳人は自分を好きになるような人は東しかいないと思っているようで、その点も頭が痛いのだ。贔屓目を除いても、佳人は美人だ。色白で体格も細いので、女からも男からももてる。しかし佳人はそんな人たちを全く相手にしていなかったので、東は佳人に惹かれている者が現れても気にならなかった。だからこそ、佳人とあの男が親しげに話している様子が目に焼き付いた。佳人が気を許している隙を狙われたらどうしよう、と考えていると夜も眠れなくなる。 「今話したことを佳人にそのまま話してみたら?」  蓮太郎がアップルジュースを飲みながら云う。 「佳人は友人と言っているのに、俺が口を出したら佳人を俺に縛り付けることになるような気がして……」  しかもただ東が怪しいと思っているだけで確信はない。本当に佳人とあの男が友人だったとして、東は佳人の交友関係に口を出すつ持ちはないし、それをすることは東の望みではない。佳人は長く人間不信に悩まされていた。その分、友人を大切にしてほしいと願っている。 「でも佳人にその気持ちを知ってもらわない限り、佳人はその男の人と仲良くし続けると思うよ。仲良くなればなるほど、東くんが不安に思っているようなことが起こる機会は増えると思う。それでもいいの?」 「よくないです」  それに関しては東は即答だった。 佳人には自由に生きて欲しい。でも自由に動き回れば動き回るほど……世界が開ければ開けるほど、危険は増えていく。佳人に自由でいてもらうことと、降り掛かる全ての危険から、東が佳人を守ることは矛盾していて、両立できることではないのだ。 分かっている。しかし自分がどうするべきか分からない。 佳人と再会した時、今まで佳人を傷つけてきた分、今度は守っていくと心に決めた。でもそれは小さい鳥籠に佳人を入れて、蝶よ花よと愛でることとは違う。 佳人を大事に守りたい。でも束縛したくはない。  答えを出せずに押し黙っているうちに、ウエイトレスが注文した料理を運んできた。目の前に置かれた熱々のグラタンに「わあ」と蓮太郎が嬉しそうな声をあげる。それを見て、隣に座る大屋敷が頬を甘く和らげた。 (俺たちもこんな風になれるだろうか)  お互いに尊重し合い、そして決して解けることのない関係を築けるだろうか。番という生物としてのシステムではなく、もっと心の深い所で、佳人とそう在りたい。  しかしそうなるにはどうしたらいいのか、ちっとも分からなかった。  昼休みが終わる時間も近づき、東の決心がつかないまま、話はお預けとなった。東は鳥肉の丼を頼んだが、どんな味がしたのかよく分からなかった。

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