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第13 唯一無二の御饌 3

通常の狼の比にならない巨大な身体で岩を割り、木々を薙いで、大地を抉る。派生する衝撃波を足がかりに次へ蹴り出し、時には空さえ駆け抜けていく。 腹の中が経験した事のないような熱を持ち、目の前が怒りで霞んでいた。 医癒棟の地下は、子を宿した御饌の為の部屋なのだ。 いったいそこで何をしようとしているのか。 エクストルをレフラの傍へ宛がったのはギガイ自身だ。 黒族としての誇りが高すぎる為か、他種族への言動に気になる点はあったが、何よりも忠誠心の強い男だった。そして黒族で最も優れた診察眼を持つ医癒者だった。 レフラの不調を見逃さないよう宛がった時に、不必要に触れる事はおろか、不必要に見る事さえも禁じていたはずなのだ。 いつにないギガイの言葉をどのように受け止めたのかは分からないが、黒族の中では族長の言葉は絶対だった。その規律への忠誠を疑った事はなかった。 もしこれでレフラの身に何かが生じているのなら、それはギガイの落ち度でしかない。 そうなれば随一の能力を持った主席者だとしても、ギガイにとっては躊躇なく排除する相手にしか成り得ない。 逸るギガイの脳裏に、かつて一度だけ見たレフラの姿が浮かび上がる。 黒族とは異なる線の細さに白金の姿。 きっとあのまま大きくなったのだろう。 そうだとすれば、例え黒族の中では腕力の劣る文官相手だとしても、跳び族のレフラには敵うような相手ではない。 あの日からずっとずっとあの姿を、守るべき存在だと心に刻んで生きてきたのに。 ギガイの喉が低く唸り、捲れた口の端からは牙が剥き出しとなっていた。 邂逅はたった一度だけ、遠くから見かけただけの事だった。 辛いと思う事さえ許されないような日々の中。 母の言葉を支えにして過ごしているような時期に、こっそりと訪れた跳び族の地で、名前に応えるレフラを見つけたのだ。 名前だけしか知らなかった自分の御饌が、しっかりとこの世に存在している事を確認して、なぜかそれだけで目頭が熱くなって涙が零れた。 話したわけでも触れたわけでもないのに、胸を締め付ける感情に驚いたが、それ以上に自分が泣けるのだと知った衝撃は忘れられない。 素振りでもしていたのだろうか。 背後から呼びかけてきた人物に、身体に合わない長剣を取り上げられてしまっていた。その直後から拗ねる様が微笑ましくて、思わずギガイの口元が綻んでしまう。 だが不意に俯く横顔が陰ったように見えたかと思えば、何かを耳打ちされた後には顔に花が咲いていた。 コロコロと変わる表情にいつまでも見ていたいと、愛おしさを抱いた。 それと同時に、レフラの傍らに存在する、誰とも分からない跳び族の者が妬ましく、煩わしかった。 まだ自分は傍に寄ることさえ許されない。 だけど、いつか手に入れた時からは、その存在を傍で守るのだと、改めて心に誓った時だった。 (あれは私の御饌だ!!) あの日は名前さえ呼ぶ事が出来なかったが、ずっとずっと求めていた。ようやく言葉を交わして共に居られる、生涯唯一の愛おしい番。 自分以外の誰かが容易く触れて良いような相手ではないのだ。

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