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第28 黒族長の定め 3

まるで喉元に牙を突き立てられたようだった。唾を飲み込む事さえ許されないような緊張を感じて、エクストルの頬を汗が伝う。 たった今の一言が、長からの更なる不興を買った事は明らかだった。何がそれほどの逆鱗に触れたのか。戸惑うエクストルの耳にもう一度、ギガイの唸るような声が聞こえた。 「あれは私の御饌だ」 それだけの言葉だった。だがもともとエクストルは、選民意識で思想が固まりながらも頭は切れると賞されていた。 その瞬間に自身の判断の誤りに気がついて、顔が絶望に染まっていく。 数多いる跳び族の一人だと思っていた。御饌として嫁いで来たとはいえ、レフラを取るに足らない存在だと疑わなかった。 その事自体が間違いだったのだ。 たとえ道ばたに落ちている数多の砂利の一つだったとしても、それに所有者の名が刻まれていたとしたら。それが絶対的な力を持つ、主の名前だったとしたら。それでも取るに足らない砂利だと言えるのか。 御饌はただの通称ではない。 御饌だけが黒族長へ嫁ぐのであって、嫁いで来る者を御饌と呼ぶのではないのだ。そこを分かっていなかった。 「も、も、申し訳、ございません…」 その様にギガイが冷たい目を向けていた。 「何を謝るのだ。一族の事を思っての事だったのだろう」 ギガイの言葉に縋るような想いを抱く。だがそんなエクストルを見つめ返したギガイの表情からは、それが恩情からの言葉とは思えなかった。 「お前がそれほどまでにこの一族を愛しているとは思わなかった。それならば、お前自身が族長となるが良い」 何を言われたのか分からない、といった体でエクストルが呆然とギガイを見上げた。状況を見守っていた周りもざわざわと騒ぎ出す。 この中で動じないのはその発言をしたギガイと、常に側にあり続けたリュクトワスの二人だけだった。 「なに、私へ意見を出す程だ。お前自身が長となり、一族を導いて行けば良い」 顎でエクストルの方を示せば、心得ていたリュクトワスが数人の近衛に付いてくるよう合図をする。 そのまま壇上を降りてエクストルと医癒官を取り囲んだ。 「では、ポラトフの谷へ参りましょう」 その言葉に周囲の者も目を見開く。 「お忘れですか、黒族長の掟を。二晩をそこで過ごして無事に生還できれば、貴方は族長となる資格を得る」 「む、無理だ!!」 「強さこそがこの世の(ことわり)です。七部族を治める黒族の長がそれごときで死ぬようでは話しになりません。ギガイ様とてそこを経て、今のお立場におりますため、早急なご準備を」 別名、魔種の餌場とも呼ばれる谷だ。立ち入ったが最後、狂った磁場に感覚が捕らわれ、谷の出口どころか上下さえも分からなくなる。 昼夜問わずに四方から襲いかかる魔種のせいで休息さえもろくに取れない環境では、思考も肉体もすぐに正常な機能を失ってしまう。 そんな中で二晩。まず上手く一晩目を超えられた者も、休憩も食事も水も摂れない限界の中、二回目の夜を迎える前に心が折れる。そうすれば最後、その身体は魔種の餌になるだけだった。

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