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第122 衆人の中 6
明日、遅くとも明後日には、共に跳び族の地へ発つ約束を取り付けた。
準備の為にと、一旦イシュカと分かれたナネッテのそばに、隠れていた臣下の者が5名ほど現れる。
「ナネッテ様、いったい何を……」
「こんな事がギガイ様に知られれば、一族が滅ぼされてしまいます! お戻り下さい!」
この中では歳が若い2人が、顔を青ざめさせていた。
「何を言っている!? お前達は、このままナネッテ様に死ねと言うのか!!」
「ギガイ様が求めていたのは、族長の交代です! ナネッテ様の首ではありません!」
「だが、シャルガはこれを機に、ナネッテ様の殺害を目論んでいるんだぞ!」
大して力のない第4夫人の息子だと、女系の一族の中で軽んじてきた人物だった。だが最近になって急速に力を蓄え始めていた中での、この事態なのだ。
形勢の逆転となった今、ずっとナネッテの側近として仕え続けていたこの3人も、身の危険が迫っていることを悟っていた。その為か、まだ年若い2人へ声を荒げる3人は、一歩も引く様子が見られなかった。
「ですが、ナネッテ様が北の領地へ退くならば、命の保証はして下さると仰ってました!」
「そんな口約束が、守られる保証がどこにある!!」
「それでも、こんな事をなさっては、一族まるごと滅びます!」
一族の存続が関わるのなら一層……。2人の顔からは、そんな悲壮感さえ漂っていた。
だが、歳を取る中で狡猾さを身につけた者にとっては、愚直としか言えない真っ直ぐさは煩わしい。それはこの2人に対しても、十分に当てはまっていた。
側近の中で、最も歳がいった男の顔が、首元まで赤黒くなっている。怒りに血が上っているのが、見て取れる。その男が怒鳴りつけようと、息を大きく吸い込んだタイミングだった。
「貴女達の言いたいことは良く分かったわ」
場の喧噪に合わない落ち着いた声で、ナネッテがその場の争いを一旦は納める。
「貴女達が一族のため、と言うなら仕方ないわね」
そう言って、ナネッテが苦笑染みた笑みを浮かべた。
ナネッテの言葉に、分かってくれたのか、と2人の顔がパッと華やいでいく。
「最後まで、お供させて頂きます! ですから、共に北の領地へ参りましょう」
そこへ向かったとして、本当に命の保証があるかは分からない。それでも最後までお供はするつもりだと、ギュッと拳を握りしめて、ナネッテを見つめる2人の目には、覚悟がハッキリと浮かんでいる。
「まぁ、ありがとう。私は役に立ってくれる子は好きよ……ねぇ、貴方達のどっちが、最も役立ってくれるかしら?」
「……えっ、それはどういう事でしょうか?」
「別に、言葉のままよ。貴女は私の役に立ってくれるかしら?」
「はい、もちろんですが……」
「そう、なら貴女にしましょう」
ニコッと笑ったナネッテが、若い1人へ手を伸ばす。
「ナネッテ様……な、にを……ひゅうッ……あぁぁ、あああ……ぐぁ……」
触れた指先から送り込まれる魅毒で、一気に脳の神経を焼き切っていく。
媚薬だと思われがちな魅毒だが、その本質は麻薬に近い。摂取の仕方によっては媚薬とも、劇薬ともなる毒だった。
しかも、白族長だったナネッテが、日頃隠し持つ毒だ。その毒の全てが、手加減なく一気に送り込まれれば、同じ白族だとしても、抗う術は全くなかった。
「ねぇ、貴女はどうかしら? まだ一族の為に、戻った方が良いと思うかしら?」
ナネッテの足下に、つい数秒前まで自分と同じように話し、歩いていた筈の人間が、壊れた人形のようになっているのだ。
残った若い臣下は、さっきまでの気概は失った様子が表情から見て取れた。
「……い、いい、え……」
「そう、良かったわ。私は一族ではなくて、私に役立つ子と一緒に居たいのよ。だって、そうでしょう?」
ナネッテがフフフと艶やかに笑って見せる。
「私をやすやすと見捨てた者達を、なぜ私が気にかけなければなならないの? それに私は、こんなところで終わったりはしないの。分かるかしら?」
その問いに、顔を青ざめながら、ひたすら首を振る姿に満足したのだろう。
「本当ね、貴女はあの子の説得に、だいぶ役立ってくれたわ。ありがとう」
足下に崩れ落ちていた人形を、ナネッテが愛おしそうに一撫でした。その指から送り込まれた毒が、止めになったようだった。身体がビクッビクッと何度か跳ねて、そのままグシャと崩れ落ちる。
「じゃあ、貴女。これを人目の付かない所にでも、捨てておいて」
壊れた人形が、ただの肉塊になった後、ナネッテはもはや土気色をした若い臣下へ微笑んだ。
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