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第164 深淵を覗いて 2

「力のない者の言葉など、しょせん妄言にしかなりえない。その妄言に酔った自分は心地良かったか? 一族の為だと言いながら、お前の行為をいったい誰が望んでいた? お前の妄想に、一族の数多の命を巻き込んだだけだ」 「……生きてさえいれば、良いというのですか。それこそ、他部族に侮られて、蹂躙されても、生きてさえいれば良いとでも!? そんな訳がないでしょう!! だから私は、間違っていなかったはずなんです!」 「だが、貴様がどれだけ誇りを叫ぼうと、しょせん兎は兎でしかない。空を飛べる羽など持ちはしない。貴様以外の者達は、それを知っていたという事だろう。貴様の行為は、空を求めて、必死に飛ぼうと地で両手をバタつかせている姿でしかない。ハッキリ言って、滑稽な姿は見物だったぞ」 ギガイの嘲るような言葉に、イシュカがカッとなって顔を上げた。だが、その直後にレフラの事に思い至り、ハハハッと大きな声で笑い始める。 「では、ギガイ様は私達跳び族を、しょせんは取るに足らない兎だと、侮っているという事ですね。ならばレフラもかなり滑稽だ。寵妃だと持て囃されて、その実は心の内では嘲られているのですから」 その事実があまりにもおかしくて仕方が無かった。込み上げる笑いが止まらなくて、冷たい石の牢の中に、イシュカの笑う音だけが響いていた。 黙って見ているギガイが何を思っているかは、分からない。図星を指されたとして、この黒族の長には何の痛手にもならないだろう。それでも、まんまと騙されているあの異母兄弟の事を思えば、流されて生きてきたレフラにはふさわしい気がしていた。 「レフラがお前と同じだと? お前はどこまでも愚かだな」 だけど、本気でおかしくて仕方が無いというような、ギガイの声が聞こえてくる。 「貴様とアレを同じと思うはずがない。私はアレを侮ってはいない。跳び族だからと侮る理由がないからな」 続けて聞こえたギガイの言葉に、イシュカは大きく目を見開いた。 「ただ私は、跳び族でありながら空でも飛ぼうと地上であがく貴様を、愚かだと言っただけだ」 それに、と続けたギガイの口元が一瞬緩む。 「アレは流されたのではなく、受け入れただけだ。レフラは貴様と違って強いからな」 その垣間見えた表情が、この七部族の長が本心から告げているのだと知らしめていた。その表情に呑まれて、イシュカが呆然とする。 覇王として君臨するギガイが告げた言葉は、意識の底に沈めていた、何かをイシュカに気付かせた。 「受け入れた、アイツの強さ、だと……」 ポツリと呟いた声は、自分の声ではないようだった。 「どんなに否定しようと、種族としての在りようがある。それを最も否定する貴様こそが、最も跳び族を卑しめていると知るべきだったな」 「……うそ、だ。そんな、はずはない。だって、俺はずっと、一族を思っていて、ずっと誇り高く、あろうとして……」 「まぁ、この後は貴様1人でせいぜい考えろ。私が来たのは、教え諭す為ではない」 イシュカを嘲るように笑っていたギガイの顔から、スッと表情が消えていく。そのまま向けられた視線は、首筋に鋭利なナイフを押しつけられたような気にさせた。 「……では、なんの、ために……」 「今回の件は間違いなく、お前の愚かさが招いた結果だと、知らしめる為だ」 その言葉にイシュカは目を見開いた。 イシュカの考え、振る舞い1つで、違う結果があったのだと。もう後戻りできない状況で、選べたはずの別の未来があったのだと。誰かの口からハッキリと告げられる事実は、イシュカの心を折るには十分だった。 「ちがう、ちがう!! だって、一族のことを思い、護っていたのは、俺だった!! それなのに、レフラが! アイツが!!」 「くだらんな」 「ずっと、ずっと、俺は、一族のために! それなのに!!!」 「一族のため? 貴様のエゴだったようにしか聞こえないが、まぁ、私にとってはどうでも良い。ただ、アレを傷付けた貴様が腹立たしい。本来なら、嬲り殺してやりたいが、そうすればレフラの傷になるからな」 だから。 そう言葉を切ったこの黒族の長を、イシュカは引き攣った顔で見上げるしかなかった。 「貴様はそうやって、最後の時まで苦悩しながら死んでいけ」 向けられた冷酷な顔に、もう何も言えなくなる。 「処刑執行は三日後。緋族、白族とも同時刻に行う」 その言葉を最後に、ギガイが踵を返した。 「くそ、くそ、俺は認めない、俺は俺はーーー!!」 死ぬことは構わなかった。負うべき責任から逃れる気はなかった。そうやって、誇りを持って死んでいきたかった。 イシュカは噛みしめた唇の隙間から、うめき声を漏らしながら、石の床に蹲るしかなかった。

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