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第2話

 細い紫煙がゆるく風に流される。  本当に何も残さない男だ。  遺骨さえも。  ヤツの望み通りとはいえ散骨され、『存在()』った形跡はことごとく消されている。あとは朝倉とおやっさんと、他の共通する人間の思い出くらいだけだろう。  好きでもない煙草をしゃぶっていたのも、忘れないための無意識の行動だったのかもしれないと自らを振り返る。  独特な匂いを立ち上らせながら、線香が故人を(とむら)う。  昨日朝倉が自宅に戻ったのは、命日の前日だからだ。よもやトキがいるとは、考えもしなかった。ひとり(から)い酒を(あお)り、鬱々と感傷に浸る。ただそれだけを思い描いていたのが、いい意味で見事に裏切られた。  そうして予測しない許しをもらい、これほどまでに軽い心持ちでこの日を迎えられるとは思ってもみなかった。 「……悪かった」  唸りつつ探しあぐねたものは、存外ありきたりなものだった。項に手を当てつつ零した言葉は風に攫われる。  当時、別れた時の些細な言い合いの謝罪を、はじめて口にする。恥ずかしい話、真正面から向き合う心構えができていなかった。  自己満足なのは承知している。  今更だとへそを曲げられるかもしれない。だが、最終的には苦笑交じりに朝倉を許す(ふところ)の深い男であった。 「結局は、忘れようと、していた」  短い懺悔(ざんげ)は誰にも届かない。  あの男との思い出は、何にも代えがたい。  自分に施してくれた様々。自分は彼に何を返していたのかと言われれば、何もない。好意に胡座(あぐら)をかいていたと言われても、否定できない。まず、それだけの価値を自らに見いだせていなかったというのもある。  どちらにせよ、何もしていなかったのは事実だ。 『いいんだ、忘れなくて。今までのあんたがあって、今のあんたが居るんだから』  トキから送られた言葉に、あの男の存在を生かされる。言い放った当人は無意識だろうが、その思考に救われる。  忘れようとしていたつもりはなかった。しかし日々忙殺されていなければ、居ない中で生きていけなかった。ひっくり返せば、過去の者にしようとしていたのに気づかされる。  確かに過去の男ではあるが、その存在を自分の中で抹消するか否かは全く(おもむき)が変わってくる。  慣れない首元の感触が意識を逸らす。  ふ、と頬がゆるむ。 「仕切り直しだ」  これこそ自己満足であるが。  トク、トク、トク。  封を切って流れるように注ぐ。 「生きている時に、もう一度あんたと交わしたかった」  アルコールの入ったグラスを傾ける。 「しあわせだった。ありがとう」

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