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おいてきぼりっこ

「おい、若ェの」 「なんだよ、飲んだくれ」 「おりャあ今日は気分がいい」  いつものように朝倉の部屋に上がり込めば、先客がデカい態度でトキを振り返った。一升瓶を抱えながら、ほの赤い頬で目じりの皺を深くする。その光景も見慣れるほどに朝倉の元に通いつめ、さらに朝倉の義父であるこの男・仙太郎(せんたろう)と交わした言葉の多さを物語る。 「今日は何の日だ?」 「祝日」  そのためトキも授業もなく、この部屋に赴いたのだから。――まぁ、祝日でなくとも好きな時に来るのだが。 「馬鹿者、敬老の日だろぉが」 「おやっさん、あんたそんなに年じゃないだろう」  半目になって恋人の義父を見返せば、プカリと煙を吹きかけられる。こんなところでも、普段からの恋人の気遣いを知らされる。 「口の減らねェガキだな。ちったぁ老人を敬え。んで年寄りの昔話を黙って聞け。そうだなぁ、昔々おめェがまだ種にもなってない頃――」 「種?」  勝手に話しだした男に小首をかしげれば、意地の悪そうな視線が寄越される。 「オタマジャクシとタマゴ」  人差し指を、逆の手で作られた輪っかに出入りする仕草。 「……くっそジジイ!」  トキの怒声が狭い部屋に響いた。  むかぁしむかし。うだつの上がらない一人の警官がいました。早くに親を亡くし、女房には逃げられ、妹は音信不通で生きているのか死んでいるのかもわかりません。そして定年退職した先輩から放られ、担当となった事件が暗礁(あんしょう)に乗り上げて頭を抱えていました――ひとりのガキが現れるまでは。 『おじさん、協力してあげるよ』 『……タンテイごっこは他所行ってやってこ――』  己の胸元まであるかどうかの身長に興味なく警官は言い放ちましたが、子供の手にしている動画にくぎ付けになりました。ソレはまさに、男が喉から手が出るほど欲しかった決定的瞬間。 『――何が目的だ。タダじゃねェんだろ?』  男が所属している組織は大きいですが、基本的には外部には情報は漏らしませんし、漏れたら死活問題です。なのに、渇望していた情報をピンポイントで射ていました。さらにソレは一般人には到底手に入る代物でもありませんし、命の危険どころか下手したら己のみならず周囲をも巻き込んで抹消される危険性を孕む、組織の氷山の一角を崩す大変重要な資料です。  ぷかり。  二人の間で男がふかした煙が上がります。 『潜入が必要なら、ぼくも協力するよ』  世界的にも優秀とされている男の所属している組織と、さらにその公の機関が手をこまねいている果てしなく黒いグレーな組織と、二重の危険をあえて冒してまでの少年の意思の強さと覚悟をその瞳から汲み取りました。  そしてそれほど優秀な子供のクセに、あえて何の変哲もない一般市民から毛の生えた程度の男に声をかけてくる理由に個人的に興味をそそられました。 『だから、ぼくのタカラモノ一緒に探して。お巡りさんでしょ?』  少年はにっこりと微笑みました。 「それが朝倉?」 「んなワケねェだろ、あの常春(とこはる)頭が」  さも当然のごとく、半目の男は紫煙と共に吐き出す。 「……どこが?」  自分からしたら、充分後ろ向きの根暗なオッサンだ。  柑橘味の飴を含んで、抗議すれば何でもないことのように返される。 「ぁあ? あいつよりも元(つがい)のほうが異常に捻くれてたぞ」 「いや、ソレってあんたの息子だろ?」  目の前の男は、朝倉の元旦那の父親だ。改めて考えれば、トキから見ればただの他人でしかない。 「アレは倅だが、世間のセガレとはちげェ」 「そんな風には言ってなかったぞ」  朝倉の口ぶりからすれば、元旦那はそれなりに常識人のように聞こえていた。 「ベタ惚れだったからなァ」 「ソレを、俺に、言うのか?」  不機嫌を隠し切れないトキは、細められ深い色をした瞳とかち合う。  一応でも、現恋人である自分に対して。聞けば聞くほど、元旦那はいかに朝倉を大切にしていたかという、話しか出てこない。まるで自分は朝倉に必要がないとでも、何度もすり込むかのように。 「年寄りの戯言だってェんだ。黙って聞け若造」  トキの苛立ちを鼻であしらった仙太郎は続けた。 『ソイツがおめェのタカラモノってェかい、ボウズ?』  仙太郎が顎をしゃくって示した先には、ベッドに横たわるひとりの少年。年端は付き添っている、証拠を掴んだ功労者の少年と同じか。 『そうだよ。大切な大切な、ぼくのタカラモノ』  こちらを振り向きもしないで、一心に向ける視線からも解ること。  追っていた事件を突き詰めていけば、孤児を保護する名目で人身売買を働いていた組織に行き着いた。抗争を繰り返している組織からは喉から手が出るほどの欲しい人材。慰み者としてだけではなく、洗脳も容易である上、食費も衣料費も断然大人より手軽にすむ。さらに子供だからと、相手に隙が生じやすく懐に入り込みやすい。出荷ギリギリに差し押さえられたのが、目の前で寝ているガキ。  蓋を開ければ、内部告発の格好である。オモテにもウラにも出さないが。持ち掛けた子と己だけの覚えだ。子供という隠れ蓑を上手く使い、知識と行動力は申し分ない。 『……ああ、唯一の肉親ってェヤツか』  手にした資料を目で追って、仙太郎は弾いた。求められて検査をした結果は、二卵性双生児。容姿は似ていないが、同じ種と腹で卵から分裂し成長し同じ年月を過ごし、同時に出生した命。 『この子は知らないよ』 『ぁあ? 知らずに一緒に施設で育ってるってェのか?』  んなまさかと声を漏らせば、ガラスのような瞳がやっと仙太郎を捉える。 『知らない』 『どこに利点がある』  兄弟だと認識があれば、孤独は少なくなるのではないか。この二人は孤児院出身だ。 『聞くけど、じゃあドコがいいの? 「お前が毎日キスをしているのは実の双子の兄だよ」って? この子は下らない世間の常識や倫理だのに混乱して逃げるよ』  目の前の少年は、果たして自分が認識している子供というものだろうか、と仙太郎は頭の片隅で思案した。どう考えても、同年代かそれ相応の知識と経験を積んでいるような――それもそうかと一人納得する。入手経路は不明であるが国の機関から情報を引き出し、あまつさえ手をこまねいている組織の情報を得てくる手腕があるのだ。ただの子供ではないだろう。 『――で? 俺にどうしろってェ?』  おかしいと思っていた。  いくら前任者から事件を任されていたとはいえ、仙太郎は巨大な組織の駒のひとつに過ぎない。まぁ、目の前の少年の手柄によって、今回有難迷惑な昇進はあるもののだ。 『世間なんて知らない』  少年の視線がベッドに向けられる。 『ぼくは、この子と静かに過ごしたいだけ』  そうして人知れず、一つのツギハギだらけの家族ができた。 「ちょっと待てっ!」 「なんでェ?」  話の腰を折って、トキは早口に捲し立てる。 「おかしいだろッ!?」 「ああ、だから頭おかしいってェ言ってんだろぉが」  何をいまさらと、腕を組む仙太郎に噛みつく。 「違う! だって、だったら、そしたら、アイツはッ……!!」  兄弟だったら、双子だったら、ならば朝倉の今もって抱えている後悔はなんだというのか。  知っていれば、恋人であり双子の兄の最期(さいご)の時を、場合によっては治療に参加できた。それなのに、知らなかった知らされていなかったばかりに同じ空間にすら入れてもらえず、たったひとり残される孤独と自責の念を噛み締め続けた。  蘇るは、数か月前に息を引き取った母の顔。大きい喪失は否めない。しかし、彼女を送り出してやることができたのは、ひとえに朝倉の存在が大きい。 「――ソレも、アイツは承知だった」  眉間にしわを寄せながらごま塩の後頭部を掻き絞り出される声に、仙太郎の苦悩も知らされる。 「死に際にあえて会わねェで『これで、あいつの深いところに居られる』ってェ笑ってたクソッタレだった」 「……どう、いう、こと」  引きつった舌で質問をしつつも、いやな予感が背筋を伝う。 「天才と何とかは紙一重ってェことだ。アイツが、腹ン中から一緒の双子の性格を知らねェわけがねェだろぉが」  苦い想いを一緒に飲み込むかのように、手の内の湯飲みを煽る姿を見守る。 「俺が病院に着いた時には、くっだんねェ無駄口叩いてたんだ。てめェで血縁であることを医者なり看護師になり医療従事者に、最悪本人に言う余裕はあったはずだ。いくらハラワタはみ出して、クタバル前だとしても、だ」  そうだ。  朝倉自身が肉親であることを知らなくとも、彼の口から伝えれば問題はないはず。  つまり。 「あえて、言わなかった」  すべてを知っていた。予測できていた。  あの男は、小競り合いで別れたまま己が鬼籍の住人になって、立ち会えない朝倉が心に傷を負うことを。承知の上であえて最期の時を一緒に過ごさず、血縁関係のある双子の弟としてではなく、悲嘆に暮れる恋人として。  普段は片鱗を見せないが、朝倉は結構な寂しがり屋だ。そんな人間をたった一人遺して。 「アイツには、双子の弟しかなかったから、どうやって雁字搦(がんじがら)めにしようかってェのばっか根っこにあったんだろうよ。現にあの馬鹿な弟は思惑通り、ずっと捕まったまンまだった」  狂気だ。 『ちっぽけながらも、しあわせだった』  はじめて朝倉から詳細を語られた時、確かにそう言っていた。懐かしんだその顔に浮かんだのは、曇りのない恋情。  顔を覆ったトキは呻いた。  これでは、あまりにも朝倉が――。  コト。  静まり返った室内に、湯呑の置かれた音が響く。 「別に、おめェにあのバカをしあわせにしろってェ言ってるわけじゃあねェ」  向けられる視線。 「どんな情操教育の賜物か知らねェが、犬猫の延長上でおめェを拾ったとしても、アイツ以外の存在である『おめェ』を認識したってェのが大進歩だ。――言っただろ? 『だった』つってェ」  過去形である理由。 「……あ、」  言わんとしている真意に、目を見開く。  元恋人で双子の兄である男に、囚われていた。  止まっていた、動き出した朝倉の時間。  実は朝倉本人も無意識の深い部分で、執着に気づいていた可能性もある。根暗ではあるが、言うほどオツムが弱い訳ではない。 「別れるな、ずっと傍に居て面倒見ろってェ訳じゃねェ。あの馬鹿も、おめェも、それぞれの道があるのは当然だ。きっかけがどうあれ、アイツが歩き出すってェ選択をした。オレはそれを見守るだけだ」  無精ひげの口角が弧を描く。 「今までまともな家族ってェのに、とンと縁ねェが、ツギハギだらけでもオレには立派な家族だ。早々にくたばったアイツも、馬鹿なアイツも、若造なおめェも、それぞれのしあわせを望んで何が悪ィ?」  細められた双眸と共に、目じりのしわが深くなる。  それは自分も同様。両親という名の者は二人揃っていたが、果たしてソレは世間一般の家族として括られる単位だったのかは甚だ疑問だ。気づいた時から父親という存在は、支配者であり雇用主であり搾取する者だった。母は病気がちで儚く、父や子供や借金などの現実から病院に逃げ込んでいた節もあった。唯一、指導という名の下で怒ってもらえ甘えられたのは小さな祖母だった。  そんな彼らに対して、家族というカテゴリーで括れるかと言われれば、そうばかりではないし、必ずしも枠に入れなくてもいいと考えられるようになったのは朝倉と仙太郎に出会ったからだろう。振り返ればトキ自身も家族という言葉に縛られていた節があったと、後になって気づく。 「……なんで、俺に?」  当人であるはずの朝倉も知らない重要事項を、赤の他人の自分に。  言葉少なに問いかけたトキに、仙太郎は白い歯を見せた。 「おりゃあ疲れた。耄碌(もうろく)ジジィは先も短けェし、酒も入って口も軽くなるってェもんさ。知ってるかいトキ? 俺には三人倅が居てなぁ、おめェも立派な俺の馬鹿息子のひとりだぜェ?」

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