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第2話

『あの馬鹿に話すも話さねェも、おめェの好きにしろ』  ひしゃげた煙草を銜えながら、仙太郎は部屋を後にした。 「……どうしろってんだ」  呟いたトキは、缶から溢れている飴を何とはなしに積み上げる。  勝手に秘密共有者にされた。あの朝倉の元恋人の義父の手によって、体よく共犯にされた。ひっくり返せば親密であると、認められた結果かもしれないが。  朝倉本人に言うべきか、否か。  真実を知る権利というならば、言うべきだろう。しかし、裏に隠された元旦那の思惑や朝倉の抱えた精神負担などを加味した場合、果たしてすべてを伝えることの意義はどこに落ち着けるものか。あの男の中の、今までの元旦那の人物像を変えるかもしれない。しかも生きているならまだしも故人を、告げ口するかのように。そして仙太郎のフィルターを通した上で、当時存在すらしていない自分に。朝倉の横にいると決めた、元旦那と似たような位置に立った己が。歯がゆいというようよりも、漠然とした八方塞がり。  まず大前提に、この選択を第三者である自分が判断していいものか。  たぶん仙太郎も似たようなことを考え、そしてコレ幸いとその役を自分に押し付けたのだろう。とんだオヤジだ。 「…………ぉ、かえ、り……」  唸りながら寝ころべば、いつの間にか帰宅していた部屋の主が訝し気に視線を寄越していた。 「ああ」  変にどもったトキに興味もなさそうに返事をして、ネクタイを引き抜く。 「おやっさん来てたのか」 「う、ん……」  妙に後ろめたいのは、隠し事を打ち明けられたからか。  ため息をつきながら一升瓶を片す、スキンヘッドを眺める。 「今度飲んだくれが来たら、こっちから空けろって言っとけ」  開けられた襖から覗く、酒瓶の多すぎる数にトキは顎を引く。 「あの人ながらに心配してるのは解っているが限度がある。先にあっちの内臓がクタバる」  ぼやいた恋人から、この数が同時に仙太郎が部屋に足を運んだ数であることを知らされる。 「まあ、これからは減るだろうが」 「――え?」  トキの疑問は拾われず、放り投げられた紙袋。 「未成年はこっちだ」  洋菓子が二つ。 「買ってきたの?」 「新作あった」  まさか、そのスキンヘッド強面黒スーツという出で立ちでスイーツ専門店の扉を潜ったのではないだろう、と言外に投げかければアッサリと返される。しかも今回がはじめてではないらしい。店員の引きつった顔が安易に思い浮かべられる。  見た目と反して、朝倉はかなりの甘党だ。 「……なぁ」 「なんだ、おやっさんに何か入れ知恵されたか?」 「そうでもないけど」  違うとは言い切れないのが悲しいところだ。煮え切らないトキを一瞥して、朝倉は袋から菓子をひとつ取り出す。 「ん」  手ずから口に運ばれ、そのまま齧る。広がる甘酸っぱさ。もごもごと口を動かすトキを見やりながら、男は手の内の菓子を今度は己の口へ。 「シナモン効いてるな」 「うん」  ひとつを二人で分ける。間接キスだ。目の前の男は気づいていない可能性もある。それ以上のこともしているが、この手の無意識な甘さがこの男から何とはなしにされると顔から火を噴きだしそうなほど羞恥を覚える。そんなトキの葛藤など知らないだろうなと、上下に動く喉仏をぼんやりと眺める。 「まだ食いたいなら自分で買え」  そうだけど、違う。  どうやら物欲しそうに見えたらしい男は、さらに別の甘味を取り出す。 「なんか淹れる?」 「適当に出す」  頬張りつつ冷蔵庫を開いた朝倉は、数秒固まってから無言で振り返った。 「好きにしていいって言ったじゃん」  視線の意味を正しく受け取って、トキはしたり顔を作った。  成長期の高校生に財布を丸投げした結果だ。ほぼアルコールしか入っていなかったのが一転、色とりどりの食材に溢れた庫内。窓辺に並んだ調味料。気づいているだろうか、増えた調理器具を。  同棲のようだと、仙太郎には揶揄られた。あながち間違ってはないだろう。学生の身分である自分の行く場所など限られている。 「俺は飯は作れないぞ」  さも面倒くさそうに眉間を寄せる朝倉に反論する。 「作れないんじゃなくて、作らないの間違いだろう」  炊飯器も勝手に買った。米をといだらボタンを押すだけだ。これからの時代生きるためには男女ともに必要だと祖母に料理を仕込まれ、さらに父親からの限られた資金の中でやり繰りして生活する技能もトキにはある。 「作れない。身体動く程度には食ってる」 「『身体が資本』なんだろ? 今までどうしてたんだよ。まさかおやっさんに(たか)ってた訳じゃないだろ」 「馬鹿か」  いつぞやの言葉で混ぜっ返すと、渋面になる。この男、自分では強面でとっつきにくい人間だと思っているだろうが、付き合いを深くすれば思いの外動く表情に気づいているのか、いや気づいていないなと打ち消す。仙太郎の情報では、口数は多くないが上司や後輩からの受けもそれなりにいいらしい。 「……あいつが作ってた」  元恋人であり、元旦那であり――二卵性双生児の兄である男が。  ヒクリ。  知らず、喉が引きつる。  己の振った話ではあったが、図られたように出てくる人物に心構えができていなかった。 「ナニに固執しているかは、知らないが」  言い置いて、朝倉は続ける。 「あいつが居なくなって、……まあ、言い方はアレだが、引き籠っていた俺の虚勢を剥ぎ取ったのはお前だ。臆病なオッサンを眩しい場所まで引きずり出した」  そんなの知らない。  いつの間にか隣に腰を下ろした朝倉は外を眺めていた。その先では三毛のしっぽが躍る。 「お前は、俺が選んだ男だ。胸を張れ」  クシャ。  輪状に日焼けの残る指が、トキの前髪を上げる。 「あいつは……特化して料理が好きでもなかったクセに、時間の許す限り作っていた。夜勤入りも明けも。腹に入れば何でも同じだと思っていた、作り甲斐のない俺なんかに。見たこともない食材や、使い方がサッパリ解らん専用器具を取り寄せたりもしていた。ソースも手作りしたり、まぁ手の込んだ物だった。今思えば、ひたすら甘やかされていたんだろうな」  細められた双眸が、過ぎる日を垣間見る。  一見すれば、何もできない朝倉の世話を焼くという名目上。しかし裏を返せば、何から何まで全てを己の手の内で、自分というフィルターを通さなければ生命活動すら維持できない、依存される存在を作る。深くて他人には理解できないほの暗い執着は、仙太郎の目からの話で安易に想像できる。そして何も言わずあえて甘んじている朝倉に、兄である男も許しを見出していたのだろう。  トキも朝倉の横で、元旦那と似た位置に立ってはじめて知る思考。 『アイツには、双子の弟しかなかったから、どうやって雁字搦めにしようかってェのばっか根っこにあったんだろうよ』  耳に響く仙太郎の言葉。  依存し依存される、たった二人だけの世界。  果たして自分は、元旦那のようにならないだろうか。  本人はくたびれたオッサンと皮肉ったが、実際のところは頑丈な鎧をまとった中身は寂しがり屋だ。そして飄々として何にも関心していない様で、裏では猫にも自分にも手を差し伸べてしまうお人よし。  朝倉は他者の存在を否定しない。  だから受け入れてもらえている、許されていると勘違いして胡座(あぐら)をかいてしまう。彼の本心がどうであれ。  ちらつく、血走る濁った眼、見栄っ張りなハリボテだけの威厳。  父親も朝倉の元旦那も、相手の個に目を向けず、最終的には己の欲だけを押し付けた形となった。自分もそうならないという保証はない。仙太郎が静かに見守り続けていた、動き出した朝倉の時間を妨げないだろうか。自分は、どう頑張っても彼らに比べて生きる年数が違い、同時に経験も乏しい。だからこそ、視界は狭まり囲みたくなる。自分の手の届く場所に、朝倉を。  先日それこそ目の前の男と『俺は、お前の可能性が怖い』『あんたの今までの経験が怖い』と互いに言い合ったばかりだ。  痛みを感じ、握りしめていた拳に爪を立てていたのに気づく。 「お前は」  寄越される視線に、やわらかさが含まれる。 「俺に『これから』の未来を創ってくれる」 「……え、」 「食材や調味料を買い、自炊を促して。増える皿に、こんなにかゆい嬉しさを覚えるだなんて知らなかった。果ては、もがきながらくたばる姿を見ているという」  いつぞやの告白を。 「お前が、自分を見ろと言っただろうが。今はお前だけだ」  祖母や母を見送って、己の発した言葉の重さを改めて知った。そして決意も新たに。  自分にも、この男だけ。 「――まぁ、お前にもあいつにも、それぞれ良し悪しはある。第一に同じフィールドで比べるのは違うだろう。それに俺は他人にドウコウと口を出せるほど、デキた人間じゃあないし、賢くもない」  これで仕舞とばかりに、冗談めかしながら締めくくられる。  ああ、そうだ。  一見、捻くれているようで、その実シンプルな男だ。  ――手を。  手を、伸ばしたのは無意識。 「トキ?」  引き寄せるぬくもり。  ほろ苦さと甘さを同時に纏った以前のチグハグさから、たぶん本来だろう角の取れた甘い口内に。  抗議を上げるでもなく、薄く開かれた唇に許しを得る。  多くを問わない、やさしさに救われる。 「あんたが、欲しい――

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