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1、シャンプー

(何だか髪が決まらなくなってきたな) 白河誠は、鏡の中の自分を見ながらそう感じた。営業である誠は、毎朝常に「清潔感」のある身だしなみに気を使っている。そのため、髪型はある程度短くしていた。自分でアイロンがけしたシャツに、派手ではないセンスの良いネクタイ。サラリーマンでオシャレ度を出すのはここだろうと、ネクタイの数は膨らむ一方。その甲斐もあって、社内の女子社員から好評を得ている。 (襟足も伸びてきているし、美容室予約しないとな) この週末なら、時間が合えば予約が取れるだろう。早速、携帯を胸ポケットから取り出し、メールを打った。相手は誠を担当している美容師の藤川だ。本来なら美容室へ電話予約するのだが、藤川と意気投合した誠は携帯番号を交換し、メールで直接、予約するという待遇を受けていた。 『明後日の十一時、カットお願いします』 そう送信すると五分くらいして、返信が届いた。 『かしこまりました。お待ちしてます!』 決して暇ではないはずの藤川だが、毎回返信が早い。きっとプライベートでもマメに返信するのだろう。生真面目な彼が誠にとっては心地よかった。 誠が通っている美容室【Green】は、いつも盛況だ。客は女性が多いが他の美容室に比べると、男性客が少なくない。安価な美容室を選ばず【Green】を選ぶ男性客は、お洒落な身なりをした若者かそれなりに落ち着いた大人の男性。誠と同じように営業や接客の仕事をしているように見える。 店内のスタッフも半数は男性。女性ばかりではないところが、男性客が多い要因かもしれない。何よりも「技術」が良いスタッフが多く、中でも藤川は指名料が要るほどの腕前だ。その腕前なのに驕らず人柄は温厚で、藤川目当てに通う客も多い。 予約の時間に店の扉を開けると、元気に店内のスタッフが迎えてくれた。誠はスタッフともほぼ顔見知りだ。その奥からひょこっと藤川が顔を出して近寄ってくる。 「いらっしゃい、白河さん」 落ち着いた声で藤川が誠に挨拶をする。人懐っこいその笑顔に誠も思わず釣られて笑顔になった。上着を藤川に渡し、誘導された席に座り一息つく。間髪入れずに若い女性スタッフがクロスをかけてくれた。 「暫くお待ち下さいねー」 可愛らしい声でそう言うと、鏡から消える。その鏡の奥にふと、見覚えのない男性スタッフが映っていることに、誠は気づいた。 背が高く、髪型はパーマが強くかけたツーブロック。その髪の毛の色は銀髪と言っていいほどのグレーアッシュ。耳には赤いピアス、と美容師らしい派手さだ。印象的なのは、服装のスタイルが綺麗めのスーツであること。アンバランスなのに、何故かしっくりきている。本人の顔がそもそも上品そうな顔だからだろうか。 (不思議な子だな) 誠がそう思ってると、藤川が鏡越しに手を振って再度挨拶をしてきた。 「少し伸びましたねぇ。白河さんの許容範囲、超えちゃってる」 髪にソッと触れて藤川がそう言うと誠は頷きながら、忙しくて来れなくてと笑う。藤川はぐるりと髪の長さをチェックした。 「今日はカットだけでよいですか?」 「うん。よろしく」 藤川は後ろを向いて、カット前のシャンプー担当を呼ぶ。鏡越しに見えたシャンプー担当は、先程見ていたあの銀髪の男性スタッフだ。 「彼は二週間前に入りまして。白河さんはお初ですね」 藤川が男性スタッフに挨拶をするよう、促した。一歩前に出て彼は軽く会釈する。 「小山です」 意外にも低い声でそう挨拶をした。切れ長の目は刀のようで、接客には向いていない感じだ。遠くからだと上品に見えたその顔は、どちらかというと無愛想。鏡越しに小山に見入っていると、藤川が笑いながらシャンプー台へとすすめる。 「見事な髪の色でしょ。僕も面接の時驚いたんですけどね」 小山は少しだけ口元緩めながら、誠を誘導した。 (この髪で面接受けたのか。すごいな) 美容師の採用がどのようなものかは誠は知らないが、良い度胸をしているな、ということだけは分かった。 誠が小山の顔を鏡越しに見入ってしまったのは、彼が自分の「好み」の顔だから。最近、恋愛にご無沙汰だった誠はついつい端正な顔に目が行ってしまった。シャンプー台までの、ほんの少しの移動で気になったのは、彼の姿勢。スッと背筋を伸ばし歩く姿が、誠に突き刺さった。 (姿勢がいい奴に弱いんだよな…) そう思いつつ、シャンプー台の前の椅子に腰掛ける。小山は少し台を上げつつ、椅子を倒して頭の位置を確認する。 「難しくないですか?」 きっと年下であろう彼の低い声が聞こえて、大丈夫と誠は答えた。そして不意に彼と目が合う。ちょうど小山が誠を見下したような位置になった。小山の冷ややかな一重。鋭い眼光。ゾクゾクっとした。 (うわ、ヤバイ…!) 「…顔、隠しますね」 ガーゼで顔を覆い、ホッとした。誠は自分の顔が熱を持っていることに気づいたからだ。きっと今赤面している筈だ。 「シャンプーしていきますね。お湯、熱かったら教えてください」 小山はそういうと、湯を流しながら誠の髪を洗っていく。小山の指でシャンプーをして貰いながら、誠は何とか平常心を取り戻しつつあった。 (ああ、この子シャンプー上手いな) 他人にシャンプーをして貰うのは何と気持ちいいことか。誠はすっかりリラックスしていた。力加減もちょうどよくてこのまま、眠ってしまいそうだ。 完全にリラックスモードに入っていた誠だが、小山の指が耳の辺りを洗ってる時に、突然背中がゾクと泡立つ。 (うわっ!) 小山が耳朶を触ってきたのだ。しかも、何度も。初めは偶然かと思っていたが、途中から明らかに意識的に触れてきている。耳の後ろ、耳朶と弱いところを触れられて誠は鼓動が高まっていく。せっかくリラックスしていた身体がまた硬直する。力を入れようがない、こんな無防備な姿ではどうしようもない。 (何してんだ、こいつ…!) すると突然シャンプー最中なのに、顔を覆ってたガーゼを小山はゆっくり外して誠の顔を覗き込んできた。うっすら、微笑みながら小山は誠の耳元で低く囁く。 「気持ちいいとこ、ありますか?」 「あれ、白河さんは?」 シャンプー台から移動してきた小山は藤川に聞かれて、タオルを畳みながら答えた。 「トイレですよ、すぐ戻られます」 そんな二人の会話がトイレの中へ聞こえて、誠は憤慨する。 (何なんだよ、アイツ…!) 耳元で囁かれた後も、シャンプーというよりも「愛撫」に近い小山の指の動きに、誠の身体はすっかり敏感になっていた。トリートメントが終わる頃には立ち上がれないほどだった。身体の中心のソレが反応しかけていて、シャンプー台から降りる時に、真っ赤な顔をしてトイレに行きたいと小山に伝えた。 「どうぞ、ごゆっくりと」 フッと笑った小山にはきっと気付かれている。トイレに入ると誠は慌ててスラックスから膨張してしまってるソレを取り出して、扱く。 出先でこんなことするなんて、と羞恥で顔が燃えそうだ。さっきまでの小山の指の感触を思い出しながら、誠は声を抑えて自分自身を高みに連れていく。そして… 「…ッ!」 身体がすっかり火照っていたせいで、あっという間に白濁したものを放出する。その後、慌ててそこに常備されていた消臭スプレーを振りまいた。 席に戻ってきた誠に、藤川が声をかけながらクロスを広げる。 「大丈夫ですか?」 「あー、ちょっとね。何だかお腹痛くなって」 そこは突っ込まないで欲しい、と思いながら鏡を見た。鏡の中の小山は何もなかったかのように、床に落ちている髪の毛を掃除している。藤川に髪を切ってもらっている最中にも、チラチラと見てしまう。何であんなことしたのかと本人に聞きたくてたまらない。 「白河さん、すみません。ちょっと外しますね」 耳元で聴こえていた藤川のハサミの音が途切れて、そのまま奥に退いた。どうやら他のスタッフに呼ばれたらしい。藤川を待ちながら大きくあくびをする。指名の多い藤川はたまに抜けることが多く、相変わらずの人気ぶりだなあと誠はぼんやりと考えていた。 「白河さん」 背後から呼ばれて驚くと、鏡の中にいたのは銀髪の彼だった。まさか声をかけてくるとは思わなくて、誠は体が硬直する。何も言葉が出ない誠の前の鏡面台に、白いカードを置いて小山は鏡越しに話しかけてきた。 「これ忘れないように、持って帰って下さい」 小山はニコリともせず、無表情な顔を鏡の中の誠に向けた。 (最近の若者はよく分からないな…) 小山が置いていった白いカードを手に持ち、誠はため息をついた。そのカードにボールペンで書いてあったのは「小山」と十一桁の番号。小山の携帯番号であることは明白なのだか……。 あれから藤川がすぐ戻ってきたので、このカードをポケットに入れた。カットが終わって会計を済ませて店を出るまで、小山の姿は見えなかった。ただ、手には彼の携帯番号が残った。電話をかけろということなのだろうが、あんなことをして客に怒られるとか、訴えられる、とか思わないのだろうかと頭を抱えたくなる。 こちらから電話をかける義理もない筈なのに、頭から離れない理由は、彼と目が合った時のあの瞳。鋭い眼光に今も背中がぞくりとする。触れられる前から強烈な印象を与えた小山。彼に繋がることが出来るこの誘惑に、誠は勝てそうもない。 モヤモヤしながら過ごしてしまった休日は、気づけは二十一時を超えていた。明日以降もこんな気持ちでいるのは御免だと、とうとうその携帯番号に発信する。五回ほど呼び出し音が流れ、小山が電話先に出た。 『もしもし』 電話先の低い声に、誠は喉がヒクついて言葉が出ない。小山は訝しむ様子だったがやがて… 『…白河さん、ですか』 自分の名前を呼ばれて驚く。 「…そう、だ」 そう答えるのが精一杯で、何故か赤面してしまう。いい歳したサラリーマンが何してんだよと自分でも情けなくなる。 『ちょうど良かった。今、帰宅中で』 「遅くまでお疲れ様」 『…白河さんにそんな言葉かけてもらえるとは思いませんでした。今日のことを考えたら』 いきなり核心をついてきたので、誠は慌てた。 「き、聞きたかったんだけど、何であんなこと…」 『…だってして欲しそうな顔してましたよ』 「へっ」 『シャンプー台で目があった時に。僕のこと気になってるんだろうなって。だから、触ってみようって』 「って、何でそこで触る?」 『取り敢えず触れてみたいじゃないですか』 (…話が通じない) 白河は、一つため息をついた。それが聞こえたのか、小山が切り出す。 『ねえ白河さん。もっと、触れて欲しくない?僕はもっと触れたい』 その声に、自分の鼓動が早打ちしていくのに気がついた。昼間の感触を思い出したからだ。誠が答えずにいると、畳み掛けるように小山が言う。 『僕、**駅から電車に乗るんだけど、白河さんち近いでしょ』 ギョッとして誠は思わず携帯を落としそうになった。小山は恐らく顧客名簿から誠の住所を盗み見したのだろう。何故そこまでするのか、もう誠には理解できない。理解は出来ないが、自分の中でフツフツと湧き上がってきた感情に気がついた。 誠は一呼吸置いてゆっくり答える。 「…いいよ。家、来なよ。望むところだ」 (アイツが来たら、主導権握ってやる。あんな訳の分からない奴にやられっぱなしでいられるもんか) 急に態度が変わった誠に、小山はクスッと笑う。 『じゃあ、行くから。待ってて』 【1.シャンプー 了】

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