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第30話 未差さんに相談だ!

「風邪?」  マスクに気づいた伍塁はすぐに実玖の顔を覗き込んだ。 「少し……喉が……」  わざとらしく喉を押さえ視線を落とした実玖は、ヒゲがはみ出ていないか気になって、そっと上目使いで伍塁の様子をうかがう。 「花粉症でも喉が痛くなったり、風邪みたいな症状が出ることがあるらしいから、医者に行こう」  伍塁は自分のおでこと実玖のおでこにそれぞれ手を当てて、熱を確認しながら目で強く促した。伍塁の瞳は真っ直ぐ実玖を見て離れない。    嘘をついていることが後ろめたく、うつむいて「自分で行けますので大丈夫です」と実玖が言ったのをさらに伍塁は調子が悪いのかと思ったようだ。 「打ち合わせのついでに送っていくよ、つらそうだし」  周りを見回してジャケットを見つけ実玖の肩にかけてから、伍塁もカーディガンを羽織っている。 「いえ、わたくしは問題ありません。伍塁様はお仕事に遅れるといけませんので」 「いいよ、車のほうが実玖もつらくないよ」 「そんなに悪くないので、心配は無用です」 「気にしなくていい、それに悪いかどうか見てもらわないとわからないし」  丁寧に断れば断るほど、伍塁は遠慮してると思い心配をする。    実玖がどうしたらいいか考えていたとき、伍塁はポケットに手を入れてスマホを取り出した。音はしないがコールがあったようだ。 「おはようございます。……はい、今から伺いますので……はいよろしくお願いします」  今日の仕事先から電話のようだ。このまま送り出そうと、実玖は伍塁のバッグを持って廊下に出る。 「お客様がお待ちしてます。わたくしは自分でいけます。気をつけて、いってらっしゃいませ」  伍塁は廊下を歩き、見送る実玖の顔を見ながら心配そうに「やっぱり送って行く」と言ったが、玄関の外まで送り出すとあきらめたように「何かあったら連絡して」と出かけていった。  心配されたままではいけない。ますます何とかしなくては、と実玖は急いで部屋の片付けを済ませ家を出た。  通りにでてバスに乗った。財布からお金を出すより便利だからと、伍塁にバスや電車に乗れるカードを渡されている。買い物も行きは歩いて、帰りはバスに乗ることもある。  最近は一人でニンゲンとして出かけることに、違和感がなくなってきた。  それにしても、いつもは人間の髭しか生えなかったのに、なんで一本だけ猫ひげがはえてしまったのか。  伍塁にあやしまれるのは絶対避けたい。もし、猫だったことがバレたら、どう思われるのだろう。化け猫とか幽霊とか、そういう風に思われるのだろうか。  猫と何度も話をしているうちに、自分が気が付かないだけで、猫がえりしてるんだろうか。 もしかして人間にもこういう髭がはえることがあるのではないか。もしそうだったら、隠さなくてもいいのではないだろうか。  実玖はバスに乗っている間、考えた。考えただけでわからないまま、忘れないように指を折って数えた四つ目のバス停で降りた。  ここから歩いて5分くらいだが、歩いてなんていられる気分ではなく、実玖は走って行く。  風を受けて目を細め、全力で手足を動かすと体が軽く、少しだけモヤモヤが減った気がした。  大通りから角をひとつ曲がった先に目的地はあった。  マスクを外しながら階段を二段飛ばしで駆け上がり、真宝野家政ふ紹介所の居間に挨拶もなく慌ただしく駆け込んだ。 「所長さん、あのっ! 大変なんですっ! ヒゲがっ……1本だけ、ヒゲっ、生えて……、ネコのっ……きましたっ」 「……」 「あっ……未差(みさ)さんでした! こんにちは、ご無沙汰してますっ! あの、大変……なんですヒゲがっ、ヒゲがっ……伸びちゃってっ、切れなくてっ……、引っ張ったら、痛くて、伍塁様にはっ、見つかると困るのでっ……」  息が切れ、早く伝えたい心が言葉を慌てさせ、何を言っているか全く要領を得ない。  未差はお茶を飲みながら騒がしい実玖を不思議なものを見るようにチラチラ見ている。 「おちついて、まずはお茶を飲みなさい」 と、ふたつの湯のみにお茶を行ったり来たり、注ぎ換えながら冷ましてくれた。  それでもお茶が熱くて飲むことができず、深呼吸して息を整えながら、冷凍庫から氷を勝手に二欠片出してきた。氷を入れたお茶をひと口飲んでからまた深呼吸し、落ち着いて「失礼しました」と頭を下げる。 「伍塁様が不審に思うといけないので、マスクで隠していました」  自分の顔の左側を押し出すように見せた。  未差は近づけられた頬のヒゲを間近で見て、ふふんと笑って鼻をひくひくさせた。 「それはね、福髭だから。大事にしなさい。抜けたら財布に入れておくと金運が上がるわよ」  実玖は「福髭」という言葉に一瞬いい事だと思ったがそうじゃない。 「無理です、猫のヒゲはそんなに簡単に抜けないです、伍塁様にみつかってしまいます……困ります」 「じゃあ、抜いちゃえば?」  未差はなんでもない事のように平然としている。 「えーーーー」  やっぱり抜くしかないのか、実玖は猫がヒゲを失くすイメージしか湧かず、実際髭を切られた猫の話を初めて聞いた時の衝撃と同じくらい、気持ちが萎えた。 「実はさっき引っ張ってみたんです。ですが抜ける気配はなくて、根元が赤く痛くなっただけなんです」  ピンと張った猫ヒゲを指先でつまんで引っ張りながら声が小さくなった。  ふと、うさぎのヒゲが生えたことあるか聞こうと思って、なんと聞いたらよいか考えていた。 「たぶん、痛みなく抜いてくれるところがあるから、紹介するわ。漢方の処方やエステをやってる、元クマのお店」  未差は「連絡しとくから今から行きなさい」と住所が書いてある、小さな手作り風のカードを実玖に渡した。

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