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金古堂の柏木

 伍塁(いつる)がトーストの端に金柑のジャムをのせてひと口かじった時に、インターフォンが鳴った。  実玖(みるく)はまだ席に着く前で、そのままインターフォンに向かい応対する。 「はい、おはようございます」 「あれ? 伍塁は?」  知らない男が名乗りもせず覗き込むようにこちらを見ている。モニターに映った姿を不審に思い伍塁に伺いを立てた。 「伍塁様、もしかして伍塁様のお知り合いでしょうか。黄色い髪の方が伍塁様の名を呼んでいます」  食べていたトーストを飲みこみ、紅茶に口をつけてから伍塁は一瞬顔をしかめた。 「早いな。今日一緒に仕事に行く相手。まだ食事中だから入れてやって」  実玖は門まで迎えに出た。戸の錠を開けると同時にその男は中へ入ってきて、一人で玄関に向かっていってしまった。  実玖は慌てて戸を閉め後を追いかけ、後ろから声をかける。 「あのっ、伍塁様はまだ食事中ですので。ご案内します」 「いいよ、わかってるって。おじゃましまーす」  男は靴を脱ぎ捨て勝手に上がり、伍塁がいる食卓までさっさと進む。実玖は脱ぎ捨てられた靴を揃えて急いで後を追った。 「お、美味そうだな」  伍塁は斜めに視線をあげて口をゆがめる。 「早い。遠足にいく小学生じゃないんだから、そんなに慌てるなよ」  ぶっきらぼうに答える伍塁の態度に実玖は驚くのと同時に、腹の奥から何か膨らんでくる感じがした。  お客様で横柄な人は時々いるが、それとも少し違う。この男の馴れ馴れしく踏み込んだ態度が気になるのだ。  テーブルに片手を置き、伍塁の肩にもう片方の手を掛けるのを見て、実玖の見えないしっぽが逆立った。 「紅茶をいれますので、どうぞおかけ下さい」 「いいよ、こいつにそんなのいらない」  伍塁様が「こいつ」と言ってる。こいつって誰なのか、聞きたいのに聞きづらい。 「え、飲ませてよ。伍塁んとこの紅茶なら高級で美味そうじゃん」 「お食事は……」 「朝飯は済んでるから紅茶だけ飲ませて」  実玖は伍塁を呼び捨てにすることや、あっけらかんとした態度にも、いちいち心の中のしっぽが立ち上がった。だが伍塁のお客様だと思い平静を装って紅茶を差し出した。 「どうぞ」 「サンキュー」  実玖は「失礼します」と、自分の席に着きトーストに手をかけた。 「あ、ごめん。こいつは大学時代の同級生で金古堂(きんこどう)の柏木、骨董屋なんだ」  柏木は熱い紅茶に一旦口をつけて離し、実玖に片手を挙げて挨拶としたらしい。  実玖は手を膝に置き軽く頭を下げる。 「で、彼はうちの家政夫。香染実玖。仕事も手伝ってもらってるから今日も同行するけど、いじめるなよ」  実玖は柏木と視線を合わせてからしっかり頭を下げた。柏木は目を動かして実玖の上をなぞった。その視線にまたしっぽが反応する気がする。気のせいなのだ、実玖にしっぽはない。  当たり前のように隣に座って伍塁と会話をする伍塁と柏木は、かなり親しく見えた。実玖は口に入れた作りたてのジャムの味も二人が気になり、よくわからなかった。  食事の後、伍塁に呼ばれて部屋について行った。前を歩く伍塁の背中が、いつもより遠く感じる。せっかく同行して仕事を覚えられるのに。  振り払えない微妙な苛立ちを消したくて、両手を伸ばして上げグーパーグーパーとした時に思わず声が出た。 「んにゃ」 「ん? ねこ?」  伍塁は伸びをしてる実玖を振り返って目じりを下げる。思わず声が出た実玖は慌てて手を下ろした。 「あいつ、馴れ馴れしいけど悪いやつじゃないから」  実玖の気持ちを読んだかのような伍塁の言葉に、頷くだけで言葉を返せなかったのは、猫みたいな声を出してしまって焦ったからだ。  伍塁の部屋に行き、たたんである服を渡された。 「僕のだけど、サイズ大きめだから着れると思う。学生時代から使ってるからボロだけど、作業する時はこれを着ていくんだ」  柔らかく着古しであるツナギ。伍塁が着ていたものと聞き実玖は思わず抱きしめて匂いを嗅いだ。 「臭くないよね?」 「あ、すみません。臭くないです、いい匂いです」  伍塁は実玖の肩をポンとたたいた。 「僕も着替えるから実玖も着替えて」  実玖は隣の自室で着替え、着ているツナギの肩の辺りや袖に鼻を当てて匂いを嗅いだ。伍塁の匂いがする。洗濯してあっても、する。 「伍塁様、用意出来ました」 「ちょうどいいね、よかった」 「伍塁様は何でも似合いますね」 「実玖も何でも似合うよ」  同じものを着ている伍塁を見ただけで実玖の気持ちは明るくなった。

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