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#1 アンバーとムスク

金髪碧眼の男を飼っている。 俺より少しだけ背が高く、つくりものじみて整った顔に、偽物くさい笑みをいつも張り付けている。 ステンレスの鍋が底をぐつぐつ言わせ始めたところで、そいつはようやく夢から覚めてやってきた。鍋を混ぜる手を止めない俺の両肩を、背後から寝起きの温みが包む。 「またカレー?」 耳元に落とされるのは、ゆっくりと湯煎にかけて融かし延ばしたような声だ。「文句があるなら食わなくていい」と視線も遣らずに返事をすると、視界の端の端で微かに金糸が揺れる。 「ないよ、文句、ない。おなかすいた」 寝てただけのくせにか。仕事帰りの家主を出迎えることすらせず。 「知らないの、千亜貴(ちあき)。睡眠だってカロリー消費するんだよ」 首筋を吐息が撫ぜた、と思ったのも束の間、やわらかくて生温かいものが触れる。思わず肩を竦める俺の反応が、(ぜん)はお気に入りらしかった。 ぐつぐつ、ぐつぐつ、と。 鍋の中身は絶えず強い香りのする気泡を吹き上げながら煮えている。 カレーは凄ぇんだぞ。スパイスの力で軽い風邪くらい治しちまうんだからな。お陰様で俺はここ数年は発熱知らずだ。ああ、熱といえばセックスしてえな。セックスしたい。うん、今すぐしたい。 「したい」 湧いた欲望が口をついて出る。目線は鍋に落としたまま。善は俺の腹の前で両手を組むと、子犬がじゃれつくような軽さで俺の耳殻を齧り始めた。 「いいけど、ごはんが先でしょ?」 「……カレーは逃げねえだろ」 「俺だって別に逃げないよ」 (たしな)めるかのようなことを言いながらも、善の手は俺の下腹のあたりをさすり始める。厚い布越しのそれは愛撫とも呼べない曖昧な感触だったが、すぐにエプロンの脇から差し入れられた指が、シャツの裾を掻い(くぐ)り素肌に触れた。 それを合図に俺はコンロのつまみを捻る。カチ、と鳴って火が消えると、滾っていた鍋の中身はやがて静かになる。俺の熱源とは真逆に。 「ベッド行く?」 「別にここでもいいけど」 「あ、千亜貴、包丁出しっぱなしじゃん……危ないからベッドにしよっか」 善の片手は俺からあっという間にエプロンを脱がせ、ついでのようにシャツをたくし上げた。 向かい合う形に体を反転させられると、間近に深い青色の瞳。一瞬だけ、心臓を掴まれた心地。すぐに伏せられた瞼がそれを隠して、唇が重なった。何度か食んであっさり離れる。 「千亜貴ぃ、俺おなかすいたから、早めに終わってもいい?」 「いいけど手ぇ抜くなよ」 「わかったぁ」 およそ情事の雰囲気とは遠い口調だ。お互いに。善が俺の手を握って寝室へと誘っていく。 善は俺の恋人じゃない。でも俺の身体を誰よりもよく知っている。

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