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 俺は唇を尖らせ、皇牙の目は見ずに言った。 「……走ったのは悪かったけど、……知らない男にいきなり触られるのは嫌だ。屈辱でしかない」 「仕方ねえだろ、ウェイターのサービスもこのクラブの売りなんだからよ」 「そんなこと事前に説明されてなかった。……俺は俺が許した奴にしか触らせない。そう決めたんだ」 「いつ決めた?」  皇牙の指が俺の顎、それから唇に触れた。 「っ……」 「俺に拾われる前、意識を失う直前か」  皇牙の眼が俺を見下ろしている。吸い込まれてしまいそうなほどに青い、青い――冷たくも心地好い色をした、鋭い眼が……。 「あ、……」 「何があったかは知らねえが……死に直面した瞬間、それまでの自分の生き方を後悔したんだろうな」  ――亜蓮。金さえ払えば誰とでも寝る男。少しでも好みなら無料でも股を開く男。あの体が乾くことはない。 「う、……」  ――生まれついての淫乱は、死んでも治らねえさ。 「……う、るさい……。とにかく俺は、触られ放題の仕事なんかっ」  皇牙の指から逃れるため、思い切り顔を背けて床を見つめる。 「駄目だ。触られるのが嫌なら早い所ウェイターから抜け出して、一つ上のホストを目指せ。客と座って酒を飲むのが仕事だ、合意が無ければ触られることもない」 「………」 「根性がある所を見せろ。一度死にかけたんなら、何だってできるだろ」  不敵な笑みを残して、皇牙がスタッフルームを出て行った。  悔しさに唇を噛み、拳を握る。――生まれついての淫乱。そう呼ばれるのはもう二度と御免だ。 「なあ、大丈夫?」  さっきのボンテージ姿の少年が俺の傍まで来て、ビスケットを差し出しながら言った。 「皇牙の言うことに逆らっちゃ駄目だよ。それに、皇牙の言う通りウェイターが嫌なら頑張って昇格するしかないんだからさ」 「………」 「俺もウェイターから始めたんだよ。でも頑張ったから、今は立派なストリッパー」 「ストリッパー……」  その単語にとてつもない懐かしさを感じ、俺は茫然と彼を見つめた。 「へへ。と言っても、実は今日がデビューなんだ。緊張するけど楽しみでさ……」  恐らく俺よりもずっと年下の、下手したら中学生と言っても通りそうなほど幼い顔立ちの少年。肌は黒いレザーに覆われた部分以外は真っ白で、小柄で童顔だが目鼻立ちははっきりしている。柔らかそうなライトパープルの髪。茜色の瞳。……黙っていれば、人形のように美しい。 「俺、ニコラ。よろしく」 「……よろしく。亜蓮だ」 「よろしくな、亜蓮!」  ニコラと握手を交わし、俺はもらったビスケットを一口齧った。

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