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プロローグ
歓声と、ボールが弾む音が青空にこだまする。ときおり鳴り響くホイッスルの甲高い音色は、ぼうっとしがちな五時間目に眠気覚ましにもってこいだ。
仁科貴明 は、セルフレームの眼鏡を押しあげた。
校庭に面した窓は開け放たれていて、チョークの粉が薫風に舞う。教卓にのせてあった教科書の表紙がめくれた。ペンケースを重石にすると、つと窓の外を眺めやった。
二十数人の男子生徒が、ふたチームに分かれてサッカーボールを蹴っていた。紅白戦は白熱した試合展開をみせているもようだ。
体操着の袖口を縁取るラインは濃紺。それは一年生であることを表す色だ。
二年A組の教室内に視線を戻す。仁科はこのクラスを受け持ち、且つ国語科の教諭だ。
入学して間もないころは幼さを残していた生徒たちも、二年生に進級するころには顔つきも体つきもぐっと大人びるもので、ある男子生徒に至っては髭 の剃り跡が青々しい。
ちなみに仁科自身が毎朝剃るまでに髭が生えそろったのは大学に進学したあとのことで、それはかれこれ十年前に遡る。
ところで四十人の生徒は、答案用紙にペンを走らせている最中だ。漢字の書きまちがいひとつが、ともすれば大学入試において合否を左右する。
ゆえに仁科は授業の最後の五分間は、必ず漢字の書きとりテストに充てていた。
教壇から下りた。机の間を縫って足音を忍ばせて歩きながら、生徒たちの手元にそれとなく目を走らせる。
この生徒は〝にすい〟と〝さんずい〟を混同する癖がある。あとで、もういちど注意しておこう。こちらの生徒は正答率が格段にあがった。この調子だ、と採点時にひとこと書き添えよう。
あたかも、あみだくじの線をたどるように通路をひと巡りしたすえに窓寄りの最後列にさしかかった。そのとき足下に消しゴムが転がってきた。
反射的に腰をかがめて消しゴムに手を伸ばす。すかさず上履きの底が、手の甲にかぶさってきた。
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