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第2話

 右手が床に縫いとめられる形になり、仁科は自然と膝をついた。一見、立ちくらみを起こしてうずくまったような光景だが、それに気づいた生徒はいなかった。  上履きの主を除いて。   消しゴムを拾ってあげようとした手と、転がっていくのを止めようとした足が、たまたまかち合ったのだと思った。  仁科は苦笑交じりに腰を浮かせた。そのせつな冷ややかな眼差しを向けられて、ぞくっと寒気が走るとともに確信した。手を踏まれたのは偶然の出来事ではなくて、作意が働いているのだ──と。  戸神翔真(とがみしょうま)。  それが足をどけるどころか、爪先に力を込めてくる男子生徒の名前だ。    戸神の人物像をひと言で語るなら、オールマイティだ。今風の爽やか系のイケメンで、人なつっこい笑顔が印象的。平凡なデザインの制服も八頭身に近い彼が着ると俄然、ファッショナブルに見える。  成績優秀で生徒会の役員を務める、というぐあいにスクールカーストの最上層に属するリア充。  信望が厚い戸神が、悪びれたふうもなく担任の手を踏みつづけるだなんて、白昼夢を見ているのだろうか?  足の裏が半回転するのにともなって肌がつれる。仁科の手はいっそう床に密着して、戸神の足下にひざまずいているに等しいまでに上体がかしいだ。  悪戯にしても性質(たち)が悪い。仁科は、美しい弧を描く眉をひそめた。戸神をたしなめたいのは山々だが、テスト中とあって声を荒らげるのは(はばか)られる。  まごまごしているうちに、手首の側にずれた上履きのかかとがワイシャツの袖口をなぞりあげた。  くすぐったいとも気色悪いとも言いがたい、不思議なおののきが全身を走り抜けた。仁科はうろたえ、私情丸出しに戸神を()めあげた。  ところが叱責するどころか、冷笑を浮かべるさまに気圧されて、顔をうつむけた。  じわり、と背中に汗がにじむ。  俺には先生を格下扱いする権利がある。そう言いたげに尊大にふるまうこの戸神は、日ごろの朗らかな戸神と本当に同一人物なのか?

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