99 / 99

第99話

 しかし戸神を突きのけて逃げるどころか、その場に釘づけになる。  だいたい、と朱唇が微苦笑にほころぶ。さんざんプライドを切り売りする真似をしておきながら、今さらキスは嫌だもへったくれもない。  仁科は、ため息交じりに仰のいた。廊下の先で物音が聞こえしだい飛びのくつもりで身構えつつ、ここ一年でぐっと大人びた顔を見つめた。  これまでの強引なやり口からいって、唇を嚙み裂くようなキスが襲いかかってきしだい舌を吸いしだかれるのだろう、と覚悟していた。  ところが案に相違して、唇は唇をついばむとすぐに離れていった。狐につままれたような思いで眼鏡をひといじりすると、 「俺が卒業して厄介払いができたと、せいせいしていたのか? 残念だな。手間隙かけて仕込んだ貴明を手放すわけがないだろう」  渾身の力で一瞬、双丘を鷲摑みに揉まれた。 「四月からは生徒と先生って縛りがなくなる。外で会うのが解禁になるぶん、時間の制約なしに愉しめる。手始めに乳首にピアッシングしがてらたっぷり可愛がってやるよ。異論はないな」  ピアッシングという響きに禍々しくもあり、甘美でもある。  心臓が跳ね、頬が紅潮する。仁科は一拍遅れてうなずいた。  ひとの人生を滅茶苦茶にしておいて悪びれない、その傲慢さを愛おしく思う。  執着心の強さをうれしい、と思う。  恋をして愛を育んで、あたたかな家庭を築いて。世間一般の〝幸せ〟は、戸神によって性奴としての素質を見いだされた時点で無縁のものとなった。  モラルなんて、くそ食らえ。  欲望に忠実にどこまでも堕ちていって、行き着いた先に広がる景色を見てみたい。  校庭側の窓を開けると、春風が教室を吹き抜けていった。スーツの上着と制服のブレザーが仲よくはためく。  空気は湿った土の匂いを含んでかぐわしい。  桜が満開になるころには、乳首にも金属製の花が咲く。  悪くない。枷をはめるように、プレゼントされたネクタイを手首に巻きつけた。仁科は腰をかがめ、かけがえのない帝王の手を押しいただくと、その甲にくちづけた。  そう、永遠(とわ)の忠誠を誓うかのごとく──。     ──了──

ともだちにシェアしよう!