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第81話

 マンションのロビーを抜け、エレベーターに乗って梓の部屋の前にたどり着いた。  梓は怜の手を握ったまま鍵を取り出し、けれど上手く差し込めない。  それを見た怜が邪魔にならないように離れようとすると、今度は指を絡めるように握り直されてしまった。 「離しちゃ駄目です」 「あ……うん」 「怜さん開けてくれませんか? はは、手がちょっと震えちゃってて」 「ん、貸して?」  自分の手も上手く動くか分からないなと思いながらも、怜は空いた方の手で鍵を受け取る。  けれど、梓の視線が頬に当たっているのに気づき、カチャカチャと音を立てるばかりでやはり開ける事が叶わない。  梓の仕草ひとつひとつが抉るかのように怜の胸を強く揺さぶって仕方ないのだ。 「怜さん、早く」 「うん、でも僕もちょっと震えちゃってる」 「怜さん……」 「あっ」  早く開けてと子どものようにねだりながら、梓は繋いでいる手の甲を親指でそろりと撫で上げた。  そんな事をされたらもっと開けられるはずもない。  熱っぽい声で名を呼ばれ、その声色にもドギマギと体を震わせると、鍵を持つ手に梓の手が重なる。  二人の力でどうにか開錠し、なだれ込む様に室内に入った。  その場で向かい合うと、梓はつい先ほどのように怜の頬へと手を伸ばした。  それから同じように手を握りこみ、下唇を噛む。 「梓くん?」 「……怜さんの事、すごく抱きしめたいんだけど我慢してます」 「へ……」  その表情が気がかりで怜が問うと、梓はそう言って目を伏せてしまった。  それでも繋いだ手が離れる事はなくて、ちぐはぐさが何だか可愛い。  こんな時なのに、怜はつい笑ってしまう。 「怜さん? なんで笑ってるんですか?」 「だって……前まではもうちょっと強引だったのになって」 「そう、ですか?」 「そうだよ。僕が答える前に抱きしめてたし、後からだめ? って聞かれたりしてた」 「うわぁ……そうかも」 「そんなのずるいな、断れないなって思ったよ。でも……嬉しかった。それと……勘違いしちゃ駄目だって必死だった」 「怜さん……」  突然三条が怜のアパートにやって来て、助けてほしいと梓を頼ってしまった日も、一緒にCDを買いに行った後、暗い公園で隠れるように身を寄せた日も。  ちょっと強引で、あたたかくて、手を差し伸べてくれる梓の優しさが本当はずっと好きだったのだ。  勘違いしないようにと自分を抑えている時点で怜の心はとっくに梓のものだった。  ぐっと距離を詰め、抱きしめられそうな直前でけれど梓はピタリと動きを止めた。  とりあえず中に行こうと言って、今度は靴を脱いでと怜を急かす。  手を引かれリビングへと入ると、あの日──初めてここを訪れた日──の事がぶわりと思い出される。  忘れたことはもちろんなかったが、まるで昨日の事のように匂いまでが記憶を連れて来る。

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