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第82話

「怜さん、こっち来て」  ぶり返したあの日の後悔に沈みそうになっていると、手をクンと引いてテレビの脇に置かれたラックの前へと誘われた。  腰を下ろした梓に倣い怜も隣に座り、静かに目を見張る。  そこには怜が持っているのと同じ相山梓のCDたちと、他にも数冊の雑誌が置いてあった。 「これ……」 「この前怜さんが来てくれた日は隠してました」 「そうなんだ。本当に梓くんが相山梓さん、なんだよね」 「信じられないですか?」 「ううん、違うよ。でもすごく不思議な感じ……こんなに聴きこんでるのに気づかないものなんだな、とか」  先行上映会という場でステージに立つ梓をこの目で見たのだから疑いようがない。  それでも自分の知る声優・相山梓が演じるキャラクター達と、多くの時間を共に過ごしてきた梓の声は、事実を知った今でも首を傾げるほど違った声色をしている気がするのだ。 「それは……怜さんがお気に入りって言ってくれたの、これですよね? 大学生役の」 「あ、うん。でも全部好きだよ」 「ふ、ありがとうございます。じゃあ、んん……『先輩、お風呂借りていいですか? それとも一緒に入る?』」 「っ、わ……すごい! CDとおなじだ……梓くんと別人みたい!」 「そうですか? 自分で言うのもあれですけど、声色を変えるのはちょっと得意なんです。器用だねって言われて変に悩んでた時もあったんですけど、怜さんが真摯に向き合ってるんだと思う、って言ってくれた時……すごく嬉しかったんですよ。今日のステージで見ててくれる人がいた、って言ったの……あれ、怜さんの事なんです」 「そう、なんだ……」 「はい」  それから梓は他のCDの役も台詞をひとつずつ演じて見せた。  その都度表情までも変わる様に、怜は目を逸らせない。  あの相山梓が目の前にいる、その事実が怜の中に遅れるように届く。  応援してきた相山梓と梓が同一人物──やはり酷く混乱し、けれどそれでいて怜を大きく占めるものは、ファン心より梓にだけ鼓動を速める恋心なのだと改めて思い知る。 「あの時……初めてスタジオの外で話した時、本屋出て公園に行ったの覚えてます?」 「へ……うん、もちろん」 「あそこで怜さんがイヤホン外して、スマホのプレイヤーを停止した時に……発売したばっかりの俺のドラマCD聴いてるって気づいて」 「え……え!? そうだったんだ……全然知らなかった」  梓が救ってくれたあの日を忘れるはずもない。  思いがけず三条に出くわし目の前が真っ暗だったはずなのに、一連の出来事を思い出せば今では笑みすら零れるのは、他でもない梓がいたからだ。  驚いて目を丸くしていると、梓は繋いだままの手にそっと力を込める。 「それ俺の、って言おうと思ったんですけど。俺だって知ってる様子でもないの見て、秘密にしておこうと思っちゃったんですよね。声優の相山梓としてじゃなくて、俺自身を見てほしくなって」 「…………」 「俺の歌聴きたいって言ってもらったのもすごく嬉しかったんですけど、それもあって検索しないでって言ったんです」 「そっか……名字は内緒って言ったのもそれでだったんだね」 「はい」  ラックの中を見つめていた梓の瞳が怜を捉える。  躊躇うように揺れた後、怜とのすき間を詰めるように近づいて怜の肩に梓の額が乗せられる。

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