19 / 142

scene03-06

    ◇  翌朝、ズキズキという頭の痛みで目が覚めた。  眉間を指で押さえつつ上体を起こし、ベッドの上で思い切り伸びをする。と、遅れてハッと周囲を見渡した。 「獅々戸さん、おはようございます。朝はパンでいいですか?」 「っ!」  声を聞いた途端、玲央は布団を引き寄せて身構える。  いつもの朝を迎えようとしていたが、ここは自宅ではない。終電を逃した自分は、後輩である藤沢雅の部屋に泊めてもらい、そして……、 「なっ、ななっ! 何なんだよ、お前はあぁッ!?」  昨夜の出来事を思い出して叫ぶと、雅は苦笑した。 「あー、ははは……やっぱり覚えてますよね」 「ざけんじゃねえよ、このクソったれ! なに、まさかそっち系だったワケ!? 下心とかあって泊めて――」 「違います! 獅々戸さんが初めてです! というか、もともとはこんなつもりじゃなくて……す、すみません、自制心がっ」 「はあ!? ……ンだよそれ」 「………………」  雅は少し困ったように目を泳がせる。その顔はほのかに赤らんでいた。  やがて、意を決したように口を開くと、 「獅々戸さんが好きです」  静かに告げられる驚愕の事実。状況からして、恋愛対象としてだろう。  同性から告白を受けるのは初めてで、目を丸くして呆けていたら、そっと手を取られた。 「俺なら、あなたの心の隙間を埋められます」 「……っ」  やんわりと手を撫でられて昨日の感覚が蘇ってくる。勢いよく手を払いのけて、きつく相手の顔を睨みつけてやった。 「俺にそういった趣味はねーし、期待されても困る」 「あなたを想うのは、いけないことですか?」 「は? なんだよ、その言い方は?」 「……同性にこんな感情を抱くのは、一般的でないことくらい理解してます。だから押し付けませんし、気持ちが返ってこなくてもいいです」 「意味わかんねえし……」  自身がどうかは別として、別に同性愛に偏見を持っているわけではない。  それはこの際さておき、自分と相反する考えに苛立った。 (気に食わねえな)  心理学を専攻しているせいで、どうにもそういった分野と結び付けて考えてしまう。  彼の感情は《愛他的な愛》――相手の利益だけを考え、相手のために自身を犠牲にすることもいとわない愛――だろう。  けれど思うのだ。本当にそんなものが存在するのかと。  恋愛感情というものは、どうしようもないエゴイズムの塊で、醜く浅ましい感情だということを日々思い知らされている。  恋愛において愛他的な感情なんて続きっこない。いずれ身を亡ぼすだけだ。 「大体、俺のどこがそんなにいいんだっての……そこまでする価値あるか?」  訊くと、すぐに答えが返ってきた。 「いろいろありますが、一番は格好いいところです」 「は? どうして、まだそんなこと言えんだよ? 昨夜の愚痴とかヤベエだろ」 「やっぱりこの人はすごく格好いい人だ、って惚れなおしましたよ」 「いや、なに言って」 「人前では弱みを見せないように全部押し殺して、意地張って、格好つけて。男ってそういうものじゃないですか」  雅はそこで言葉を切って、真っ直ぐに見つめてくる。 「そういった点で、あなたはすごく男らしくて格好いいと思いますし――同じ男として純粋に憧れます」  思いの丈を打ち明ける姿に、心臓が激しく脈を打った。  気づけば、先ほどまでのささくれた感情がすっと消え失せている。あるのは動揺と、それから……、 (なんで“あのとき”みたいな感覚味わってんだよ)  ――初めて恋に落ちた瞬間に味わった衝撃。  彼の言葉は、あのときの言葉以上に胸に響いていた。こんな情けない自分を受け入れて、「格好いい」と言ってくれる相手なんて、今まで会ったことがなかった。 「獅々戸さんのこと、支えさせてくれませんか?」  澄んだ穏やかな瞳が、玲央のことを捉えて離さない。  感情の不安定さが影響を与え、ほだされるように身も心も委ねたい劣情がほとばしる。 (バカ、俺ってヤツはなに考えて……)  頭を振って冷静さを取り戻す。普通に考えたらあり得ない話だった。 「昨夜のことは全部忘れてやる。もうこの話は終わりにしろ」  相手の顔を見ることなく告げ、「後輩じゃなきゃ殴ってるところだ」と付け足す。  そのときの彼が何を思ったかはわからなかったが、次に会話を交わしたときには、いつもどおりの物腰穏やかな後輩の顔をしていた。     ◇  玲央はあれ以来、藤沢雅とは大した会話もせず、映像編集に追われる日々を送っていた。 (クソ、今日も日差しキツいな)  お盆も終わって八月も後半に入ったとはいえ、何ら変わりなく日差しが厳しい。再びスーツに身を包んだ玲央は、そっと汗をぬぐう。  今日はリテイクの撮影日だった。キャンパス内のグラウンド脇で部員たちがせっせと準備を整え、リハーサル後すぐ撮影に入る。 「本番!」と監督。 「カメラ回りました!」カメラマンが合図を出した。 「シーン6─4─3、よーいハイ!」監督の声とともに、助監督がカチンコを鳴らす。  そんな一連の流れを合図に、玲央は《アツシ》として役に入った。 『俺は足を洗ったんだ。アンタとは住む世界が違う』  アツシ(玲央)の台詞に続けて、組員役の男が返す。 『新宿の獅子小僧も聞いて呆れるぜ。小僧よく聞け、今の組は……』 『おいっ、カタギにするような話じゃねえだろ! いい加減、に――』  予期せぬところで詰まってしまった。監督の「カット!」という声が響いて、カチンコが“二度打ち”される。  このようなNGは、玲央にしては珍しいことだった。  原因は考えなくとも察している。いつもは意識“外”にある存在が、意識“内”に入ってきたからだろう。  カメラマンの方をちらりと見やると、今日も雅が担当していた。 (ああもう、気になって仕方ねえっ!)  再びカメラが回されて演技をするも、まったく身が入らなかった。  カメラ越しに見られていると考えるだけで、胸の鼓動が速くなって、手に汗をかいてしまうのだ。 「ちょっとアツシ、休憩いれて! 次は組長のシーンね!」  監督の岡嶋は、見かねて指示を飛ばすのだった。

ともだちにシェアしよう!