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scene03-07

 なんとか納得のいく形でリテイクを撮り終え、雅の姿を追う。彼が自動販売機で飲み物を選んでいるところに近づくと、後頭部にチョップを食らわした。 「あいたっ!? な、何するんですか?」 「フン、別に」  あのことは忘れると言った手前、「お前のことが気になって集中できなかった」とは言えなかった。  大体、それを口にしたら、意識していることを自分から本人に伝えることになってしまう。誤解を招きかねないし、断じてあり得ない。 「えっと、なんか飲みますか?」  微笑みながら問いかけてくる雅は、以前と変わりなく、本当に何事もなかったのではないかと錯覚してしまうほどだ。  どこか腑に落ちない気分になるのは、何故だろうか。 (生意気なヤツ。あんなことしといてムカつく)  ため息をついて「いらね」と一言断ると、踵を返す。  少し歩いたところで、岡嶋の姿が目に入った。彼女はスマートフォンを片手に悲愴な面持ちをしていて、何があったかすぐに察してしまった。 「どうした岡嶋。もしかして、また彼氏?」  近づいて声をかければ、苦笑が返ってくる。  底抜けに明るい彼女が暗い表情をしている時は、決まって恋愛絡みなのだ。 「うん、そうなの。今週末、久しぶりにデートの予定だったんだけどね。急な出張が入ったみたいで……社会人だし仕方ないとは思うんだけど」 「……そうか」 「やっぱり、会える時間が少ないのはちょっとだけ寂しいなあ」  笑いながらも、彼女の瞳は切なげに揺れていた。  泣きたいなら、いっそのこと泣いてしまえばいいのに――我ながら狡猾だが、そう思わざるを得なかった。 「そんなん続きで大丈夫なのかよ? 嫌になんねーの?」 「ん、それでもやっぱり好きなのよ。ごめんね、心配してくれてありがとう」  岡嶋は穏やかな口調で返す。その気遣いが玲央の心をさらに抉る。  いつも少しばかりの期待をしてしまうのだが、自分はどうやっても彼女の“特別”にはなれないのだと痛感させられるばかりだった。  それ以上何も追及できず、何ら意味のない会話を交わして岡嶋と別れると、またやるせない気持ちが立ち込めていく。 「獅々戸さん」  名を呼ばれて、手から温かな体温が伝わってきた。いつの間にか雅が傍に来ていた。 「やっぱり駄目です。あなたにそんな顔してほしくない」 「……しつけーよ」 「俺じゃ駄目ですか? 俺では、あなたの力になれませんか?」 「………………」  彼が発したのは、玲央が岡嶋に言いたい言葉であるとともに、とてもじゃないが言えない言葉だった。  それを容易く口にするこの男は何なのだろう。己の格好悪さを助長しているようで、嫌に腹が立った。 「いい加減わかれよ。俺は求めちゃいねえって言ってんだろうが――そんなふうに好意を向けられるのすら、迷惑なんだよっ!」  雅の手を振りほどいて、鋭く睨みつける。  相手が何か言いたそうに口を開いたのがわかったが、湧き上がる激情を止められず、続けざまに言葉をぶつけた。 「大体、野郎同士で気持ち悪ィだろ! こっちにはそんな趣味ねえってのに、人のこと好き勝手しやがって……こんな屈辱感味わったの初めてだ! ざけんじゃねーぞ、クソったれがッ!」  完全に八つ当たりだった。一時の感情で心にもないことを言ってしまったと、あとから気づくも遅い。 「ごめんなさい……」  絞り出すような声で雅が頭を下げる。  玲央は何も言えず、静かに立ち去る背中を見送ることしかできなかった。 (口が悪いにもほどがあるっつーか……後輩相手に大人げなさすぎだろ)  激しい自責の念に駆られた玲央は、雅が住んでいるマンションを訪れていた。  時間を置けば置くだけ気まずさが募るだけだし、悪いのは明らかにこちらなのだから、しっかり謝っておきたかったのだ。  自宅に押し掛けるのもどうかという話だが、これまで大した関わりがなかったので連絡先を知らず、他の部員に訊こうとも思ったものの、なんとなく気が進まなかった。  それに、こういったものは直接言った方がいいだろう。SNS時代とはいえ、そのコミュニケーションのあり方は味気ない気がして、あまり好きではない。 「あー、獅々戸だけど。今から部屋行っていい?」  共同玄関のインターホンを鳴らし、反応があったのを確認して名乗る。  相手が玲央だとわかると、雅もさすがに驚いた様子で応対した。 『えっ、獅々戸さん? あ、どうぞ、開けますね』  オートロック式のドアが開錠されて、マンション内に足を踏み入れる。  階段を上がって部屋の前までやって来れば、呼びかけるまでもなく雅が姿を現した。 「えっと、お疲れ様です。どうされたんですか?」  あんなにきつく突っぱねてしまったのにも関わらず、普段と同じように接してくれる彼に不甲斐ない気分になった。  だが、物事には順序というものがある。本題の方はとりあえず後回しにすることにした。 「この前泊めてもらった礼、まだしてなかったと思って」  言いながら手にしていた紙袋を手渡す。巷で有名な洋菓子店のものだ。 「いいんですか? ありがとうございます……!」  雅は嬉々として受け取って、袋の中身を見るなり「あっ」と小さく声をあげた。 「このレーズンサンド、前にテレビで見たことがあります。今、すごく人気あるんですってね。買うの大変じゃありませんでした?」  購入するのに並んだといえば並んだのだが、わざわざ口にするほど野暮ではない。 「別に? 大したことねえよ。いいからテキトーに食ってくれ」 「はいっ、ありがとうございます!」  雅が二度目の感謝の意を述べて、さも嬉しくて堪らないといったように、満面の笑みを見せてくる。  いつもの穏やかな微笑ではなく、子供のような無邪気な笑顔だった。こんな顔もするのかと、思いがけず動揺してしまう。 「あの、お茶淹れるんでよかったら」  流れで口にしたのだろうが、雅はすぐさま表情を気まずげに曇らせた。 (悪いのはこっちなのに)  やれやれだな、と一息ついて彼の肩を叩く。 「そうだな。茶ァくらいなら飲んでくわ」  こんなものは単なる口実だ。脇をすり抜けて勝手に部屋に上がると、雅も戸惑いを見せつつ続いてきた。

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