64 / 142
scene13-02
「はい、ホットココア」
「あ、ありがとうございますっ」
湯気の立つカップを受け取るなり、礼を言って隅の方に座る。ふうふうと息を吹きかけつつホットココアを飲んだ。
しかし、一息つくのも束の間。風間が隣に座ってきて、一気に緊張が走るのだった。
(だからなんで?)
ドキドキという胸の鼓動を感じつつ、目線を合わせぬようカップを傾ける。それに気づいているのか気づいてないのか、クスッという小さな笑い声とともに話しかけられた。
「やっぱり俺、戌井くんのこと好きだな」
必死に目を背けていたものの、実のところ予感はあった。ただ、あれから恋愛絡みの話には触れられなかったし、時間が解決してくれるものだと思っていたのだ。
(けど、そうじゃなかったんだ。キッパリ断らなくちゃ)
気づけば緊張で手が汗ばんでいる。動揺を誤魔化そうと、またホットココアを口にしてから静かに言った。
「付き合ってる相手がいる、って言ったじゃないですか」
「おかしいじゃん」
「え?」
「あのとき、男同士は……なんて言ってたのにどうして? それならそうかと諦めたけど、俺のことあまり知らないからって理由だったら、諦めつかないよ」
風間が顔を覗き込んでくる。目が合ってしまったせいか、じんわりと頬が火照る感じがした。
「ええっと」
「強引にでも迫れば、俺にもチャンスがあったのかと思うと……少し悔しいよね」
体が熱くて、うるさいくらいに心臓の音が鳴り響いている。きっと温かい飲み物を飲んだせいだ――自分に言い聞かせて答えを告げる。
「ち、違くって。そういうのじゃなくって、大樹は特別だから」
その声は、自分でも驚くほどに上擦っていた。
「じゃあ、もし彼より俺の方が特別な存在になったら? そのときは付き合ってくれる?」
風間の手が伸びてくる。そっと顎のラインをなぞられて、思わず体がびくついた。
「や、やめてくださいよ、こーゆーの」
「ふふ、ごめんごめん。――でもどうしたの? 顔真っ赤だよ?」
「え? あ、いや、こんなトコで寝たから風邪ひいたかなって。だから、あの、離れてください……うつしちゃったら、イヤだし」
自分でもおかしなことを言っていると思う。思考がまとまらず、ぼんやりとしていて、抵抗しなくてはと思うのに体に力が入らない。そして、己の体の異常に気づいたのだった。
(なんで……?)
下腹部が充血して熱を持っているのだ。ジーンズの生地に締めつけられているようで、苦しくて堪らない。
意識すればするほど、独特のむず痒さを感じ、身をよじれば小さく吐息が零れ出た。相手は同性の単なる先輩だというのに。
「体、辛そうだね? 送っていこうか?」
「ん、あっ」
腰に腕を回されながら囁かれれば、吐息が耳朶に触れてゾクリと妙な感覚が走った。
力の入らぬ手をなんとか動かして拒むも、やんわりと払われて敵わない。「嫌だ嫌だ」と頭の中で叫んでいるのに、鼓動はますます速くなるばかりだ。
まったくもって意味がわからない。思考と体の反応の不一致が気持ち悪くて、おかしくなりそうだった。
「いや、ですって。や、大樹じゃなきゃ……っ」
手の打ちようもなく、目をつぶったら涙が溢れた。カラカラに乾いた喉では声も大してあげられず、小さく「大樹じゃなきゃ」と何度も繰り返した。
(嫌だ! ちゃんと抵抗したいのに!)
と、そのときだった。突として風間の気配が離れたのは。
目を開けたら、大樹が風間の肩に手をかけている光景が目に映った。力ずくで引き剥がしたようで、風間の衣服が乱れている。
「痛ぅ……」
顔をほんの少しだけ歪める風間に、大樹が鋭い視線を向ける。
「殴らなかっただけマシでしょう。そんなことしてると、出るとこ出ますよ」
「失礼だな。戌井くんのこと、介抱してあげようと思っただけなんだけど?」
「なに言ってるんですか」
「本当だって。実際、体調悪そうだし」
気がつけば、他の部員も目を覚ましていて、何事かと様子をうかがっている。昨夜の疲れもあってか、誰もが眠たげで焦点が合っていないように思えた。
だとしても、今の姿を見られるなんて耐えられなくて、誠は身を隠すように前屈みになる。意識は朦朧としていたが、まだ理性は残っていた。
「誠?」
大樹が気遣うように肩に手を置いてくる。途端、誠の体は電流を食らったかのようにビクッと震え、風間がクスクスと笑った。
「可愛い。惜しいことしちゃったな」
「おい、誠」
首を傾げていた大樹だったが、やがて何か察したのか血相を変える。
「風間さん。コイツに何をしたんですか」
「何って、ちょっとしたイタズラ的な?」
「……話にならないな」
うんざりした様子で大樹が口にした。
誠が目をやれば「いいから行こう」とだけ返ってきて、大樹のトレンチコートを羽織らされる。その上から腕を回されて部屋を出た。
「バッグ、忘れてるよ?」
少し歩いたところで、背後から声をかけられる。荷物を持って風間が追ってきていた。
大樹はひったくるようにそれを受け取ると、すぐに踵を返す。
「ねえ、戌井くんのこと俺にくれない?」
かと思えば、風間の言葉に足が止まった。
「は?」
「俺さ、こんなにも何か欲しいと思えたの初めてなんだよね」
「いや……くれないとか欲しいとか、コイツは物じゃないんですよ。好きだから手に入れたいなんて子供のエゴでしょう」
「恋愛なんてエゴの塊だと思うけど? 相手を自分のものにしたいって感情が、最大の原動力でしょ?」
大樹が言葉を詰まらせる。風間は「ほら」と薄く微笑みを浮かべた。
「君だってそうじゃん」
「……俺はもともと想いを告げる気はありませんでしたし、告げたところで、必ずしもどうこうしたいとは思いませんでした」
「へえ、本当に?」
「確かに……一概には言えません。けれど、できる限りコイツには笑っていてほしいし、幸せでいてほしい――相手の感情が一番に決まってるじゃないですか」
「………………」
「それが理解できないあなたみたいな人には、絶対に渡したくない」
吐き捨てるように言って、大樹は歩き出す。
(大樹……)
見上げた顔は苦痛に歪んでいて、胸が締めつけられる思いだったが、何一つかける言葉が見つからない。
誠は連れられるがままに、目覚め始めた街を歩いたのだった。
ともだちにシェアしよう!