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scene15-01 俺様ヒーローな君にヒロイン役は(6)

 大学卒業が近づくさなかの二月末。  俳優養成所のロビーで、獅々戸玲央は缶コーヒー片手に安堵のため息をついた。  というのも、某プロダクションから声がかかり、オーディションを経て、ついに所属が決まったのだ。ちょうど先ほど、事務所への挨拶を済ませて来たところだった。 (まあ、実際はここからどうなるかだけど。気なんて少しも緩めてらんねーよな)  椅子に深く腰をかけて、缶コーヒーを口に運ぶ。  と、思いがけず軽薄な声が耳に届いた。 「しーちゃんっ!」 「……宮下」  声をかけてきたのは、養成仲間の宮下真司だ。  彼は飛びつかんばかりの勢いでやってくるなり、肩に腕を回してきた。 「やっと会えた! おめでとう、所属決まったんだってね~!」 「そう言うお前も所属決まったんだろーが……おめでと、お互いよかったな」  立ち上がって腕をどかしつつも、素直に祝福する。宮下は意外そうな顔を見せた。 「しーちゃん変わったよね。俺様なカッコつけたがり、ってイメージあったのに」 「喧嘩売ってンのか、テメェ」 「やだなあ、褒めてるのに。演技見ててもわかるし。特にアレ、サークルの映画だっけ? グランプリ受賞したっての。ネットで見たけどすごくよかったよ」  藤沢雅と共演した作品、『二人の白いキャンバス』のことだ。学生映画祭のショートフィルム部門にて、グランプリ受賞という快挙を果たしたのはまだ記憶に新しい。  あの作品への取り組みが――というより雅の存在が、と言った方が正しいが――励みになったのは確かだ。何事にも以前より真摯に向き合えるようになった気がする。 「役者としてはさ、今の方が自然体でずっといいよ」  口の端をニヤリと上げながら、宮下は言葉を続ける。 「だって、芝居に必要なのはリアリティでしょ? 自分がどの方向性でいったら一番魅力的かで戦わなくちゃ~」  彼のことは正直気に入らないのだが、腐っても役者ということなのだろう。言っていることは的を射ていて、少し見直すのだった。  それでも苦手なのは変わりないし、雅の言葉があってもなくても、できる限り避けたい相手ではあるが。 「そりゃどーも。ほら」  自動販売機で缶コーヒーをもう一本買うと、宮下の方に投げた。  コーヒーを受け取るなり、宮下は表情を明るくして抱きついてくる。 「し~ちゃん~っ!」 「ちょっ!?」 「俺、微糖よりもブラック派なんだけど嬉しい! 何気にしーちゃんに奢ってもらうの初じゃね!?」 「気色悪ィーなっ! 離れろって、の……」  思わず、固まって言葉を失った。  宮下がこちらの体に股間を擦りつけている。傍目には、ふざけて抱きついているようにしか見えないだろうが、彼の男根は熱を持って昂っていた。  遅れて嫌悪感がやってきて、血の気が引いていく。そんな玲央の耳元でククッという笑い声が聞こえた。 「もっと本当の自分曝け出せよ――俺、絶対そっちのが好み」 「ッ!」  すぐ体を離してきつく睨みつけるのだが、まさかそのような気があったとは思わず、少したじろいでしまう。  宮下は面白がるように、下卑た笑みを浮かべた。 「《割り切り》でいいから抱かせてくんない?」 「なっ! ざ、ざけんなッ!」 「ええ? なんで後輩君はよくて、俺は駄目なの?」 「は?」 「別に否定とかしなくていいよ? 二人ってそーゆー関係なんでしょ、なんつーか体だけみたいな?」  二人の関係がバレていることに驚く一方で、《セックスフレンド》のように言われるのがひどく癇に触った。  流されるがままに体を重ねていた過去は認めるが、それだけではここまでの関係に発展しなかったはずだし、自分だって相手が誰でも良かったわけではない。 (最初はいまいち理解できなくて、「好きだ」と言ってくれる好意に甘えてた。けど、好きな理由なんてのは、あとから不思議と見つかってくるもんで……) 「アイツとは正式に付き合ってる」  真っ直ぐに宮下の目を見て、言ってのけた。  宮下は「そりゃあ残念だ」と肩をすくめて背を向ける。 「ハイハイ、もうこれっきりにするよ。……けど、なんかあったら声かけて。しーちゃんならいつでも――泣いてイヤイヤ言っても夜通し抱いてあげるから」 「ぶっ殺すぞ」 「おお、こっわー」  ケラケラと笑いつつ、宮下が肩越しに振り向く。そして、「ああそうだ」と付け足した。 「一つだけ言っておくとさ、大学卒業後も付き合い続くと思う?」 「え……」 「これから芸能界デビュー控えてるんだし、ますます大変だよ? 立場も環境も変わってくるんだしさ? ――そしたら、二人はどうすんの?」 「………………」  何も答えられなかった。宮下の目に嘲笑の色が浮かぶ。 「じゃあね、しーちゃん。コーヒーご馳走様」  一気に飲み終えた缶コーヒーをゴミ箱に投げ捨て、宮下は去っていく。  玲央は動揺を隠せず、立ちすくんでいた。 (そんなの考えたことなかった)  事務所に入ったからといって、仕事の保証がされるわけではなく、まだ入り口に立てただけにすぎない。  当然、今後もアルバイトをいくつか掛け持ちしながら俳優業に臨まなければならず、一般的な社会人と比較したら、どうしても辛いところは出てきてしまう。  いろいろと鑑みれば、雅と会える時間がますます減るのは間違いなかった。

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