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scene16-01 俺様ヒーローな君にヒロイン役は(7)

 季節は変わって春。新しい生活が始まった。  獅々戸玲央が1LDKのマンションに引っ越してから、はや数週間。  俳優事務所から直帰して家の鍵を開けると、すぐに玄関まで出迎えてくる人物がいた。 「おかえりなさい」  同棲相手の藤沢雅だ。  引っ越し前もこのように自宅で帰りを待ってもらうことがあったが、そのときは「お邪魔しています」という挨拶だった。  言葉が違うだけなのに気恥ずかしい。少し目を逸らしつつ、 「……ただいま」  まだ慣れぬ返事をすると、雅は自然な動作で手荷物を受け取った。さながら主人の労をねぎらう妻のようだ。 「今日は早いんですね」 「ああ、オーディションだけ受けてきた。バイトも入れてねえから、もう完全にオフ」 「わ、それじゃあ、久しぶりにゆっくりできますね」  当然のことだが、まだ俳優業だけでは――ウェブCMにドラマのゲスト出演と、細かな仕事がもらえているとはいえ――生計が成り立たず、アルバイトを複数掛け持ちして生活している。  しばらく引っ越し後の荷解きや手続きもあったため、のんびりと過ごすのは久々だ。  腕時計を確認すれば、時計の針は午後二時を指していた。  ここからどう過ごすか考えつつ、まずは洗面所で手洗いとうがいを済ませることにする。 「玲央さん、お茶でも飲みますか?」雅が洗面所を覗き込んできた。 「んー? 別にいい。あ、でもお前が淹れたコーヒーなら……」  言葉が途切れる。洗面所から出たところで、素早く体を引き寄せられて唇を奪われた。  軽く触れるだけのものだったが、舌先でちろっと唇を舐められると、思わず体が疼いた。 「お前なあ」  呆れたように睨みつける。あはは、と雅はいつものように笑った。 「玲央さんと過ごせるの、久しぶりだなーって思ったら嬉しくて。ああ、それでコーヒーでしたっけ」 「やっぱいい……」  見つめ合ったあと、小鳥が啄むような甘いキスを何度か交わす。  唇が離れてもなんとなく体を離せないでいたら、普段と違う雅の匂いに気づいた。オレンジだろうか、甘いシトラス系の匂いが頬に添えられた手から漂っていた。 「お前の手、なんか甘い匂いする」  その言葉に、雅は自分の手を鼻先に持っていく。 「あー、オイルの匂いですね」 「オイル?」 「ええと、ギターに使うオイルです。弦の交換と拭き掃除してたので」 「は!? お前ギターやってたの!?」 「はい、一応は。だけど、気分転換程度にしか触ってないので全然ですよ」  初耳だった。雅がギターを弾いている姿なんて目にしたことがない。  話によると、ギターは姉のおさがり――漫画の影響で購入したらしいのだが、すぐに飽きたとのこと――らしい。  素直に譲り受けてしまうあたりに可愛げを感じて、つい笑ってしまった。 「意外だと思ったらそーゆーことかよ」 「あは、俺も人に言ったの初めてです」 「なんでだよ? ギター弾けるとかすげえカッコいいじゃん。俺だって、弾けるもんなら弾いてみてーわ」 「そうなんですか? ならせっかくですし、ちょっと弾いてみます?」 「えっ、マジで?」  誘いに乗って雅についていくと、彼は寝室の収納スペースから黒いギターケースを取り出した。  中から出てきたのは、ギターアンプを通さないアコースティックギターだ。雅はギターを手にするなり、音程を確かめるように何度か弦を鳴らす。  一方、玲央はベッドの上に座って、その様子を眺めていた。雅とギターという想像もしなかった組み合わせに、心躍る思いだった。 「どうぞ、とりあえず適当に抱えてください」 「いきなりかよ」  ギターを渡されるも抱え方すら知らない。困惑していたら、雅が背後に移動して腕を回してきた。 「大丈夫です。ちゃんと教えますから」  肩口に顔を覗き込まれてドキリとする。首筋に彼の吐息がかかるようで、くすぐったい。  だが、今はギターを弾いてみたいという気持ちが勝っていて、 「そんで? 最初はどうしたらいいんだよ、雅センセ?」  茶化すように言う。背中越しに、雅が微笑んだ気配がした。 「とりあえず両腕とも楽にしてください。肘が体からあまり離れないように。ギターのこっち側は気持ち前に出す感じで……あ、いいです、上手ですね」 「おお、なんかサマになってる気がするわ」 「ドレミからやるのもいいですけど、コード弾いた方がそれっぽいと思うんで……」  雅は少し考えるように言葉を区切り、 「そうですね、Cコードにしましょう。細い方から二弦目を人差し指で押さえるんですけど、こう少し指を立てて」  手を取られて、一つ一つ丁寧に指の位置や押さえ方の指導を受ける。  言われるがままに三本の指でポジションを押さえると、今度は弦を弾くためのピックを渡された。

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