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第1話

「よぉ、常秋!」 ふと、顔を上げた常秋は誰かに呼ばれて立ち止まる。 視界に入ってきたその人物は、常秋の数少ない友人。 「ウィム、久しぶりに見たなぁ。」 憲兵一の豪腕で、槍の名手。 本名はウィサームだが、 本人もそう呼ぶのを面倒くさがり 今ではウィムの方が名前よりも浸透している。 「今度、飲みに行こう常秋。 お前の都合のいい時で良いから!」 「あぁ、今度な。」 そう容易い口約束をして、 さっさとウィサームは常秋の横を通り過ぎて行った。 あの気安い親しみ深い彼とは 遠い昔の刹那のひと時、 事故の様な口付けをした事を常秋は、 その後ろ姿を見つめながら思い出していた。 ◯◯◯◯◯◯◯◯◯ 小春日和とはなんと心地良いのか。 朝は涼しく昼間は温く 太陽が良い木陰を作り、 木陰はひとりの男を一時だけ居座らせてくれる。 「人よりも遥かに長い時を 生きると言うのは苦痛だな。」 ぽろ、と溢れでた本音は誰にも聞かれる事無く そよ風と木がどこかへ攫ってくれた。 仙人になれ、と言われたのはもう随分昔の事だ。 人としての命を全うした自分に 誰かがそう話しかけてきたのを薄らとだが覚えている。 仏様、と言うものになる気も更々無く 出来れば穏やかにスムーズに輪廻に 戻してこの魂を誰かに譲ってあげたかったのだが どうやらそれはまだうんと先の話になりそうだ。 「暖かいな、今日は。」 日差しが暖かく常秋は うっとりと微睡かけていた。 丁度昼時で、やっと飯にありつけると言うのに 持っていた弁当そっちのけで 太陽と風と春を満喫している。 こんな心地良い日に昼寝をしないのは 勿体無い気持ちになる。 最近、文官へと配属されたばかりの常秋だが 存外暇なものだ。 生前、どんな仕事をしていたかは忘れたが 以外と楽で良かったなと ぼんやり考えていた、その時だった。 ドザァッーーー! 突然、常秋の眼前に槍が突き刺さった。 余裕で2メートルはありそうな大槍が どこからとも無く降ってきた。 丁度、爪先の靴の少し向こう擦れ擦れに。 運悪く伸び上がっていたとしたら 常秋の足先は吹っ飛んでいたかも知れない。 「何だーーーー」 あまりの驚きに上手く言葉が出ない。 誰かに恨みを買ったか、否。 新人へのいじめか。 バクバクと激走し続ける心臓を必死に抑え この大槍の目的を頭の中で探すが 心当たりがあまり無い。 やはり、新人いじめか、と確信した時 遠くから誰か血相を変えて走ってきていた。 「ぉおーーい、無事か!?」 「誰ですかあなた。」 「だ、れですかと言われると、そのー。」 「わたしに何か恨みでもお有りなんですか。」 「いやいや、! そんな事は無い!断じて無い! 俺はそこの向こうの運動場で鍛錬している武官で、怪しい者じゃない!」 自分と同じ歳くらいの日焼けした肌と 見るからに鍛え上げられている身体は 確かに武官の者かもしれない。 「では何故、この大槍が昼食時に降ってくるのですか。 先程、鐘が鳴っていたかと思います、 わたしの記憶違いで無ければ この時間は鍛錬禁止のはずですよ。」 それだと言うのにこの男は 武器を手にして こうして常秋の足先寸前に大槍を撃ち込んだ。 悪意がないなら何だと言うのか。 すると、 更に顔を青くして男がいきなり常秋の前で 頭を下げた。 「すまん! この大槍を飛ばしたのは俺だ。 あんたに怖い思いをさせた事は悪かった。 心から詫びる、 その代わり鍛錬の話は秘密にしておいてくれ!」 鍛え上げられた身体を小さくして 男は必死に頭を下げている。 そんな事をしなくても誰にも言うつもりは無かったのだが、ふと常秋は男の膝に目が止まる。 血が滲んでいた。 「あ、おい、血が出てるぞ...」 「いや駄目だ、 俺はあんたが"分かった"と言うまで この場を動かないぞ。」 それでは立場が逆だ。 まるで脅す様な物言いでに男が 常秋に告げるが、 その膝は尖った石ころによって傷が出来ている。 「分かった」 「本当か!?」 「あぁ、だから早く膝を手当てして来てくれ。」 にい、と男が嬉しそうに笑う。 何がそんなに楽しいのか、 常秋には検討も付かないが男が口を開く。 「武官の新人大会があるだろ、 俺はそれに選ばれたんだ。 上司の推薦もあって張り切り過ぎた、すまんかった。」 言いながら 地面に突き刺さった大槍を 片手で造作もなく男は引き抜いて見せた。 「張り切り過ぎだろ、」 「ははは。」 「おい、膝は手当てしないのか。」 どさっ、と男が常秋の隣に腰を下ろすが、 そのまま懐から包みを出すと飯を食い始めた。 「舐めときゃ治る、 あんたは気にしないでいいぞ。」 「... ... 気になって飯も食えない。」 常秋はすっと、立つと 荷物から手巾を取り出す。 「ははぁ、上品だな兄ちゃん!」 「あんたは、雑だな槍の人。」 常秋は手巾の上に掌を当て、願った。 大気の水がこの手巾に集まる様に、と。 すると常秋の瞳が淡く青に光ると、 瞬く間に手の内に手巾が水を滴らせた。 その水で常秋が、膝の汚れを拭い止血のために結び付けるのを男は息を呑んで見つめていた。 「俺は、ウィム。 本当はウィサームだが皆面倒で仲間内じゃウィムで通ってる、あんた名前は?」 「常秋、文官をしている。 ここには昼寝と昼飯を兼ねてきたんだが 眠る寸前で、あんたの槍が突き刺さってきた男だ。」 今度こそウィムは大声で笑った。 体格に似た声の大きさは山の向こうまで聞こえそうな程、常秋の耳に響いた。 「本当に悪かった、常秋。 今度の大会でいい所を見せて俺は強くなりたい。 それで、仙桃妃様付きの護衛になるんだ。」 「それは下心有ります、って顔だぞ。」 「バレたか?」 「女とは限らないだろう。」 「でも、そこらの女より美しいと 上司に聞いた。」 ふん、と鼻息荒く語るウィムに 常秋は首を振って呆れ顔で言う。 「揶揄われたんだろ。」 「夢が無いなぁ、常秋。」 「夢で飯は食えないよウィム。」 その年、ウィムは宣言通り 武官新人大会で、優勝を果たした。 常秋は仕事の手早さを買われ 上司に着いて仕事を手伝う事になった。 その祝いに武官の祝杯に 常秋も来ないかと誘われた。 武官でも無いのに場違いだと言うが、 そんなの誰も気にしない、と言われれば 友人の少ない常秋としては 少し浮遊した気持ちでその席に呼ばれた。 「乾杯ーー!!」 今晩だけで一体、何度目の台詞かと 常秋は背中で聞き流していた。 呼ばれて来たのは良い。 タダ酒が飲めると有れば有難いが、 呼んだ本人は先程から一向に杯が空にならない。 それと言うのも 先輩に呼ばれるままに向い、 促されるまま杯を飲み干しては、 また別の先輩に呼ばれては飲んでを繰り返していた。 あの、人当たりのいい顔がそうさせるのだろう。 気持ちの良いほど素直に表情を浮かべる男を 常秋はこいつしか、知らない。 「なぁーお兄さん。 オレらと飲まねぇ、?」 「酌してくれよ、兄さん あんた顔は女みてぇにキレイだからなぁ?」 品の無い笑い声が肩口から聞こえる。 声音には明らかに侮蔑の色が紛れているが 相手にするだけ無駄だと考えた。 「すまないが、他を当たってくれ。 わたしはもう帰る所なんだ。」 そう断って足早にその場を立ち去る。 さくさく、と踏む度に草が音を立てている。 可哀想に草に罪は無いのだけれど 常秋は苛立たしげに踏み付けて歩いていく。 文官の寮までは結構、距離がある。 今夜の風は涼し気で 少し水の気配がしている。 夜中に降るかもしれないな、と思いながら 歩いていると、背後でポキッと小枝の折れる音がした。 常秋はハッとして、周囲の気配を探る。 「誰だーーーー。」 「あーぁー、バレたじゃねーかバカ!」 「誰がバカだ、お前が言い出したんだろ アイツをサカナにしてやろう、ってなぁ!」 この下品な笑い声。 先程酒に誘って来た二人組だった。 「何の話ですか。」 「何の話でふか、だってよぉ!?」 「お前をオレたちの酒のサカナにしてやろう、て話だよぉー、兄ちゃん?」 ニタニタ笑う男達が 常秋との距離を詰めてくる。 常秋を"兄ちゃん"と前に呼んだ男は こんな目で常秋を見てはいなかった。 誠意の籠もった眼差しをふと、思い出す。 「なぁーに、笑ってンだぁ?」 「本当は待ってたんじゃねぇのか、 オレらが追いかけてきてくれるのがよぉ?」 あんな男が 仙桃妃様をお守りする様になれば 龍王様も負けてしまうかもしれない。 常秋の整った顔立ちは涼やかで 女みたいだと言われるのも 絡まれるのも初めてでは無かったが、 あれ程まで普通に 言葉を交わした男は久しぶりだった。 そんな男の祝いの日に 泥を塗りたくは無かったが、致し方無い。 今夜はこちらも虫の居処が悪い。 常秋は人差し指を 下品な男達の方へ向ける。 「馬鹿は寝てから言うんだぞ、筋肉野郎。」 冷ややかに、口角を上げて教えてやる。 すると男達はみるみる顔を真っ赤にして 怒声を発して常秋に飛び掛かってきた。 「ぐ、ふ...っ、」 二人分の膝をつく音がした。 真っ赤な顔が、 今は真っ青になっている。 常秋の様な細い男が 筋骨隆々の男達に何が出来るのか、 タカを括ったのが間違いなのだ。 「ご存知ですか? 生き物の種類にもよりますが 人はたった3センチの水面でも溺死するのですよ?」 そう言って常秋は指先に ふわん、と水玉を作ってみせる。 大気中から取り出した水分は 常秋の願いによって、 二人の男の顔を丸々っと閉じ込めてくれた。 「こんな文官風情に 何が出来るのかとお思いでしょうが、 そんな筋肉ばかりでは 大事な命と誇りを失いますよ?」 命を取る気は毛頭無い、が 意趣返しくらいはさせて貰う。 「あぁ、わたし良い物を持っています。 酒の肴になれるかは分かりませんが わたしの、小刀で遊びませんか? これを一投ずつあなた方の頭上に投げて、 見事水が割れた方とわたしは一晩を共にします。」 如何ですか、と聞いたところで 男達の意識は最早危うい。 これで良いのだ。 失神寸前まで焦らし恐怖を植え付ければ これで常秋に付き纏う者は大抵が居なくなる。 だが、明日には この噂が広まるのだろうなと思い至る常秋は 今まで<こんな事>で無くしてきた友の数にため息を吐きそうになる。 うんざりだ。 「その勝負、俺も混ぜてくれ!」 「はい?」 何処からともなく現れたソイツは 馬鹿な事を言いながら 常秋の前に飛び出してきた。 額に汗を流して駆け付けて来たのだろうその男を 常秋は知っている。 数少ない友の声だった。 「俺も、お前を貰う権利が欲しい!」 「酔っ払いは寝てて下さい、邪魔です。」 「何でそんな話し方なんだよ!? 俺は本気だ、酔っ払いじゃない!」 「酔っ払いは皆、そう言うんですよ! それにこの人達はもう限界ですから 勝負なんて必要ありません。」 常秋はパチン、と指を鳴らして 男達に被せていた水玉を弾けさせる。 ヒュ、と息を飲む音が聞こえて そのまま絡んできた二人は地面に突っ伏した。 ドカドカと男達に歩み寄ると 完璧に伸びていた。 ひとりを仰向けに転がすと 側にウィムが駆け付けて、もう一人も常秋に倣い転がした。 「呼吸も脈も大丈夫そうですね。」 「こっちもだ。」 「流石、武官と言ったところだ。 常人なら3分と保たないというのに。」 やれやれ、と言った体で 常秋はウィムに向き合う。 「祝杯はもういいのか?」 この男に丁寧な口調で話せていたのは 最初だけだったな常秋は思う。 人を惹きつけてやまないこの男に 繕っただけの口調や振る舞いは直ぐに解けてしまった。 「常秋が途中で抜けていくのが見えたからな。 遅くなってすまん。」 「オレを女みたいに扱うのはやめてくれ。 それよりさっきのは何だったんだ。」 男達は放ったまま二人は歩き出した。 当ても無く取り敢えず 休めそうな場所を探して。 「あぁーーー勢いかな。」 「バカ。」 ようやく腰を下ろしたのは いつか常秋がうたた寝しそうになった所で ウィムが大槍を突き刺したあの木の下だった。 「一晩だけなら お前と間違いを犯しても俺は構わないぞ。」 「まだ言うか、 本当に酔っているだろウィム。」 そうかな、と呟いてウィムは星空を見ていた。 「お前の術を使う時の瞳の色が、 綺麗だと思った。」 「な、んだっ、?」 「それにさっきの立ち回りは 鳥肌が立ちそうな程良かったぞ。 あの底冷えした口許はさぞ恐ろしかったろなぁ?」 あまり良い行いだとは言い難いが、 それがこの男を興奮させたのか。 「強く美しい男だ、お前は。」 「...血迷って一晩の相手に願う程に、か?」 「誰でも良いわけじゃないぞ! 男に興奮したのはお前が初めてだ。」 そんな事を胸を張って言われても、 面白いだけだ。 思わず声を出して常秋は笑っていた。 酒もだいぶ入っているし お互い素面とは言えないが 身体は妙に昂っている。 チラリと盗み見たウィムは 似合わない緊張を浮かべて見せていた。 それに 常秋も、この男の瞳が好きだった。 熱意と直向きに満ちて、 この瞳と向き合う事は気持ちが良い。 今はその瞳が空を見ている。 こちらを向かせたくて、 もっと見ていたくて、 常秋はその唇に誘われる様に すぅ、と寄ると触れるだけの口付けをした。 名残惜しくて、 一度小さく吸い付くとゆっくりと身体を離した。 「... ... ... 、これで良いか。」 「嗚呼、まだ足りない。常秋。」 ぐっ、と腰を引き寄せられた。 唇は吸い付いて、舐め合っていたが 直ぐに物足りなくなって 気が付けば常秋は大きく口を開いて ウィムの舌が入り込んで来るのを感じていた。 唾液が滴るたび、こくりと飲んで  足らなくなったら自らウィムの舌を吸いに行く。 ドサ、と背中が草を踏んだ。 腰を引かれ力が抜けた辺りで ウィムにそっと押し倒されたのだ。 「お前とこうして会えるのも 今日で終わりかもしれない。」 「俺も、同じ事を言おうとしていた。」 「オレが着いていた上司が引退するんだ。 それでその跡を継ぐ事になった。」 常秋は覆い被さる男に そう告げると ウィムも目を細めて笑って言った。 「俺は士官になる。 まだ新米だけどなぁ。」 「大会優勝者の特権、だったか?」 「良いだろ!」 「全く良さが分からない。」 またどちらとも無く、肩を震わせて笑う。 そして唇を寄せたのは常秋だった。 「気が変わったよ、ウィム。」 「なんだ?」 「オレを抱きたいなら、 将官になってみせてくれ。」 「ケチ。」 「煩い。 代わりにこのまま当てて、くれ...っ、」 武官と文官ではそもそも建物が違う。 ましてやそれぞれに仕事にやり甲斐があるのなら それを全うしたい。 常秋もウィムも、まだ若い。 色恋に溺れるのはその後でも良い。 その代わり この一晩の熱だけは交わしたい。 常秋は下衣を少しだけ下ろすと ウィムの腰に脚を掛けて引き寄せる。 互いの滾った屹立同士がヒクン、と当たる。 それを常秋は握り込むと優しく扱き始めた。 「は、ぁ...は、ぁ...あ、んぅ」 ウィムが腰を打ちつける度に 常秋の身体は悦んで震えて見せる。 合間に口付け合いながら、 ぐちぐちと音を立て始めた下肢を弄り続ける。 「常秋...じ、常秋っ、約束忘れるなよ。」 「そ、ちが...忘れてなかったら、な」 先に果てたのは常秋だった。 そして彼の肌にウィムの熱液が散る。 また口を吸いながら お互いの熱を宥めていく。 吐息と唾液と仄かな甘さずっぱさを味わいながら 常秋は唇をそっと開いた。 「優勝おめでとうウィム。」 「あぁ。」 ◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯ 「思い出した...。」 今の今まで忘れていたが キスだけでは無かった。 事故なんてモノでは無い。 若気の至りとも言えるが これは...結構、致している。 だが、肝心のウィムは 何一つ気にした風もなく 一瞬にして去っていってしまった。 "何をそんなに急いでいたんだーー、?" 疑問に思いつつも、 今はそれどころでは無い。 義栄の元へ急ぎ足で掛けていく常秋の姿を 先に行ったウィムはそっと盗み見ていた。 その口許は楽しそうに 微笑んでいた。

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