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序章
「は?」
暖かい春の日差しが差し込み、心地好い風が吹き込む部屋の中。所謂書斎と呼ばれる場所に呼び出された男は、その場所に似つかわしくない素っ頓狂な声をあげた。
「私の聞き間違いでしょうか。父上、今一度お願い致します」
声の主であるロイランドは今度は訝しげに眉を顰め、目の前に居る立派な椅子に腰かけた人に話しかけた。
「だからお前と婚約したいって子が居てね」
「お断りします」
ぴしゃりと即刻言い放ったロイランドに、父である男ーーーーールドルフは目に見えて大きな溜息をついた。
まるで聞き分けの悪い小さな子供を相手にするかのようなその仕草に、ロイランドの眉間の皺はさらに深まっていく。
「そう言ってくれるな。お前もいい歳だろう」
「歳なんて関係ありません。女じゃあるまいし」
「関係ないことも無いだろう、お前の場合は特に」
「それこそ大きなお世話です。今まで必要無かったものが、今後必要になるとは思いません」
ロイランドは頑なだった。
ここまで来ると、ルドルフが言わんとしている事が分からない訳では無いが、それならば尚更この話を受けることはロイランドのプライドに反した。
「ロイランド、我儘を言うんじゃない」
我儘。そうなのかもしれない。それでも我儘と、その一言で片付けられるほど安易な問題でもないのだ。少なくともロイランド自身にとっては。
ルドルフがこうも言含めるのは、何もロイランドに恋人の“こ”の字も無いことを憂いて言っている訳ではない。全てロイランドの体質について、話しているのだ。
現代社会において、性別と区分されるのは何も男女だけではない。
統治者の多く出る優秀な[アルファ]
人口の大多数を占める[ベータ]
最も少なく、唯一男女問わず子孫を残せる[オメガ]
今や人は皆、男女とは別にこれらの新たな性別を得ている。
ロイランドはオメガの一人だった。
自身が子供を成せる、その僅かな抵抗感故に、ロイランドは自身の性別を良しとはしていない。
ルドルフの心配するオメガ特有の三ヶ月に一度訪れる[発情期]も、相手がいれば楽だと知っていながら受け入れることは出来ない。
現にその強固な(プライドが高いとも言う)精神力のおかげか、ロイランドの発情期は通常のオメガのものより、数倍もマシだ。
薬さえあればある程度活動できるほどに微々たるそれに、どうして相手が必要だと思えようか。
アシュルーレ家は、その名がつくように代々アシュルーレ王国の統治を務める王族である。
上に一人姉がいるとは言えども、ロイランドはアルシューレの嫡男だった。
とはいえ、アルシューレの歴史には女王が統治を行っていた時代があるので、一概にも男が王になると言えない。それにロイランドはオメガだ。この国は小さいが平和でよい国だ。魔力量が多い者も生まれやすく、博識な者も多い。なにより魔力量はバース性とは結びつかないことから、種の差別文化は他国に比べ殆どないと言っても良いくらいだ。
しかし王がオメガではいざと言う時示しがつかない。そもそもロイランドは王なんてものよりも、宰相あたりが性格的にも似合なのだ。その為の勉学を、幼少期より惜しんだことは無い。ロイランドは自身の知識を誇っていた。
だのに今回の話はそのロイランドの努力を無駄にするかのようなものだ。そんなもの、ロイランドのプライドが許さない。この婚約はロイランドにとって、百害あれど一利もないとてつもなく邪魔でしかないものだった。
「では私が直々に破談を申し出ます。父上、こんな馬鹿な縁談を持ちかけたのはどこの娘ですか」
ここまで来たら自分で婚約破棄を言い渡してやる。
そう見るからに苛立ちを顕にして意気込むロイランドにルドルフは緩く首を横に振っただけだった。
「言っているだろう、今回ばかりはそうもいかないんだ」
目の前に一枚の便箋が置かれる。
ちらりと目線だけで確認すれば、読めと言わんばかりに顎をしゃくられる。先程から薄れる見込みのない眉間の皺をそのままに、ロイランドはその美麗な手紙に手をつけた。
そうして次の瞬間、ロイランドの顔はかつてない程の表情を浮かべた。正に鬼の形相。
そんな息子の形相を見てか、ルドルフは額に手を当てながら重々しく頷いた。
「見てわかるだろう、そう簡単に断れる相手じゃ…」
「クソったれ!今すぐ焼け野原にしてやるっ!!」
「ああ……」
すれ違う人全ての視線を奪うほどの優れた容姿を持つアシュルーレ家長男ロイランド。聡明でとてもオメガとは思えないほどのバランスの良い肉体美は見る人全てを魅了する。
しかしその実態は、ただのプライドが高く口の悪い男だったのだ。
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