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9th perfect stranger

「あ、」 「.....あ」 青いグラデーションの綺麗なマグカップを手にとろうとして、僕の手は見知らぬ人の手とぶつかってしまった。 一つのマグカップをちょうど2人で奪い合うような感じになってしまって、僕は思わず手を引っ込める。 「このマグカップ、狙ってました?」 「.......はい」 アッシュベージュの髪色が似合う、その背の高い人は、一点の曇りもないくりっとした目で僕を見て言った。 髪色といい、くりっとした目をいい。 なんか、犬みたいだな、この人。 「俺に、譲ってもらえませんか?!」 「.......え?」 「あの、贈り物にコレずっと考えてて.......お礼しますから!」 あぁ、そういうことなら。 「いいですよ、僕、そんなに欲しいって思ってなかったので」 「.......え?......でも」 「本当に、そうなんです。気にしないでください。お礼とかもいいんで」 「いや......!!あの」 「その方、喜んでくれるといいですね」 そう言って、努めて笑顔で、僕はその場を後にした。 本当は、結構、欲しかった。あのマグカップ。 コーヒーショップで見かけて、どうしようかなぁって迷ってた時に、職場で使ってたマグカップが割れちゃって。 あのマグカップ使ったら、イヤなことも忘れて、気分上がりそうだったのに。 でも、贈り物に......なんて言われたらさ。 譲るしかないじゃん、そんなの。 イヤなことしかない僕の癒しにされるより、ハッピーな人に使ってもらったほうが、マグカップも嬉しいに違いない。 その時、僕のスマホが震えて、同時に、僕の手も震えた。 あ.......やっぱり。 スマホの画面を見て、さらに手の震えが大きくなって..........でも、その電話を無視することができないんだ、僕は。 「はい........今から?..........わかりました」 また、か。 せっかくの休みの日。 少しだけ、イヤなことも忘れることができていたのに。 僕は、いつになったら、この電話から逃れることができるんだろうか? 「あっ.......やぁ......やめて......」 「嘘つけ。嬉しいんだろ? 前はよだれを垂らしてて、後ろはズブズブで........ 欲しがってるのは、お前じゃないか」 違う.......違うのに。 今すぐにでも僕の中から抜いて欲しいし、前を擦るのもやめて欲しい。 後ろから激しくついてくる、そんなことするから、体が、反応しちゃうんじゃないか。 「や.......だ.....やめ...て」 僕が拒絶の言葉を言った瞬間、鋭く強い衝撃が僕の中を貫く。 「あぁっ!....やぁ」 体がしなるように反り返って、涙がとまらなくなる。 「やべ.......出そう」 「中......やだ....,.出.....さない.......で」 「無理.......っ!!」 熱いのが僕の中に広がって、溢れ出て、太ももを伝う。 この感覚が、一番嫌いだ。 僕の内側も外側も支配されてるような感覚に陥って、イヤイヤ言いながら腰を揺らして感じてた自分が心底イヤになる。 「紡.......」 今まで僕を犯すように抱きしだいていたその人が、僕の名前を優しく囁いて、後ろからギュッ抱きしめてくるから........。 僕は余計、複雑な気分になるんだ。 藤沢慎二、僕の職場の先輩。 この人のせいで、僕のマグカップは割れてしまった。 面倒見のいい先輩だったんだ。 ただ、それだけ。 憧れとかそういう感情も特に抱くことはなかったし。 それにもともと、僕はそういう趣味はなかったし、人並みに女の子が好きで、合コンだって行ったりしてて、普通の、ごくごく普通の生活を送っていたんだ。 あの日ー。 僕は藤沢先輩と残業していて。 積算資料の積み上げにようやく目処がついて、コーヒーでも飲もうかなぁって、マグカップを持って席を立った瞬間、藤沢先輩に押し倒された。 パリンー。 って、マグカップが乾いた音を立てて、僕の目の前で真っ二つに割れる。 「先輩っ!!....やめてくださいっ!!」 僕に覆いかぶさってる体を押し返そうにも、体格差が災いしてどうすることもできない。 ありったけの力で抵抗する僕がわずらわしかったんだろうな、先輩は。 僕のみぞおちに重たい拳を入れた。 衝撃と痛さが全身に広がって、力が抜けてくる。 先輩は自分のネクタイをスルッと外して両手を縛る、そして、僕のネクタイを口の中にねじ込んだんだ。 あの時の、あの感覚は今だに忘れられない。 僕の体中を這う舌の感覚。 口をいっぱい塞いで、喉の奥に熱いものが落ちていく感覚。 僕の中に指を入れて、その指先を弾く感覚。 そして、僕の中の奥深くまで犯すように突き上げる熱い感覚。 そして僕は、藤沢先輩に弱みを握られて、自由を奪われて、都合のいい時にいつでも抱かれる.......そんなヤツになってしまった。 土日だって関係ない。 僕は先輩に呼び出されて、逃げ出したいのに逃げ出すこともできず、盛ったネコみたいに肌を重ねるんだ。 二回イッてんのに、この人.....。 先輩は疲れを知らないのか、飽きることなく僕の中にまたねじ込んでくる。 ふと、ー。 さっきのあの人の顔が僕の脳裏に浮かび上がった。 アッシュベージュのくりっとした目の.......いたって普通に生活を送っている感じのあの人。 ちょっと前まで、僕もあんな風にすごしていたんだけどなぁ.......。 なんで、こんなことになっちゃったんだろ.......。 「紡、なんて顔してんだよ.......。 その顔.......誘ってんのか?」 僕が今どんな顔をしていたかわからない。 わからないけど、先輩は僕の表情に欲情して、より激しく僕をかき乱す。 「......んぁ、やっ.....や、だ」 .........早く、終わって.....。 .........早く、僕に飽きて......。 .........そして、僕を元に戻して。 一刻も早く先輩から逃れたいのに、僕は先輩から逃れることもできずに、また、乱されて。 執拗に抱かれるんだ。 「あ、この間の!!」 目の前でニコニコ笑うアッシュベージュの髪色の人は、くりっとした目を細めて僕を見て言う。 まさかこんなとこで会うなんて思わなかったから、驚きすぎて絶句してしまった。 お弁当屋さんだったんだ、この人。 よく注文しているお弁当屋さんの配達をする人だったなんて、初めて気付いたよ。 僕、あんまりお弁当注文しないからなぁ。 最近はとくに食欲もなかったし。 にしても、この人は会うたび会うたび、羨ましいくらい溌剌としている。 「マグカップ、喜んでもらえましたか?」 「はい、おかげさまで」 「それは、よかったですね」 「俺、志摩悦郎っていいます」 「.........」 唐突の自己紹介に、僕は言葉が出なかった。 「お名前、教えていただけませんか?」 「あ、......町田です。町田紡です」 「お礼、します。町田さん」 まだ、気にしてたんだ.......マグカップの話、振らなきゃよかった。 志摩さんは、さらにニコニコして僕を見るから、なんか、僕自身の秘密にしていることをえぐりだされる感じかして、居心地が悪くなってしまった。 「いや、本当。気にしないでください。 別にそんなに欲しいわけじゃなかったんです」 「嘘」 志摩さんの顔が急に真顔になって、そして小さく言う。 「マグカップから手を引っ込めた町田さんの顔がすごく悲しそうだったんです。 その後も泣きそうな顔してて.........。 だから、俺、町田さんにマグカップのお礼、絶対しなきゃいけないんです!」 ........顔に、そんなに、出てた? たかだかマグカップで? 僕は思わず志摩さんから目を逸らした。 「飲みに行きませんか?町田さん」 「え?」 「今日、何時に終わりますか?」 「........本当に、いいです」 「町田さん?」 「たかだかマグカップくらいで........どうしてそこまで、僕にこだわるんですか? 志摩さん、本当に結構ですから。 もう、本当........。お弁当......ありがとうございました。じゃあ」 僕は志摩さんの目を見ないまま、執務室に戻った。 何、あれ....? いかにもな感じで、一目見ただけで僕のこと全てわかります、みたいな。 なんであんなに僕の中にズカズカ入ってこようとするんだ? あんな、あんな、キレイな目で見られてたらさ。 僕が余計、汚れてるみたいな感じがするんだよ。 だから.......僕をほっといて欲しい。 僕に興味を持たないで欲しい。 .....あ、また、メッセージ。 短く震える僕のスマホに僕は目を落とした。 『今の、だれ?』 藤沢先輩、よく見てるよなぁ、僕のこと。 〝お弁当屋さん〟 『何、しゃべってたの?』 〝システム室の場所聞かれた。初めて行くんだって〟 色々詮索されるのがイヤで、僕は咄嗟に嘘をついてしまった。 『俺、今日、部長と接待だから』 〝そうなんだ〟 『明日、あけとけよ』 〝はい〟 また、か。 僕の普通の生活は、永遠に戻らないのかな。 ずっと、ずっと、先輩に束縛されて。 先輩の好きなように抱かれて。 僕は志摩さんが羨ましかった。 自由に考えて、自由に行動して、屈託なく笑う。 羨ましくて、すごく、羨ましくて。 .......胸がつかえたように、苦しくて。 イライラして........。 僕は、志摩さんから受け取ったお弁当をそのまま、ゴミ箱に捨てたんだ。 まさか、とは思ったんだよ。 職場を出て、目を疑った。 ビルの入り口に、アッシュベージュの髪色の......志摩さんが........志摩さんがいる。 きっと別な人を待ってるに違いない。 そう思って、僕は志摩さんの前を通り過ぎようとしたんだ。 急に腕を掴まれて......。 早足で歩いていた僕は急ブレーキをかけられたみたいになってしまって、身体が大きく後ろに傾いた。 「わっ!!」 ヤバい、コケる!! .......体が何かに優しく支えられて、目の前に志摩さんの顔が現れる。 「ナイスキャッチ」 志摩さんが僕を抱えて、にっこり笑った。 「もう、町田さん。無視しないでくださいよ」 「え?」 「俺、ずっと待ってたんですよ。町田さんのこと」 「は?」 「飲み、いきましょう!おごりますから」 「いや、僕、行かないって........」 「〝お礼はいらない〟って言ったじゃないですか?だから、普通に飲みに行くんです!」 志摩さんは僕を引っ張って、ずんずん歩き出す。 なんか、なんていうか。 志摩さんはビックリ箱みたいで、頭がついていかない.........なんなんだよ......本当に。 だけど.....だけどさ。 僕の手を握る志摩さんの手があったかくて、柔らかくて。 僕は、ホッとした。 志摩さんが大学生ってのに、まずビックリした。 派手な見た目からは全く想像できないけど、心理学を専攻して、目下、大学院を目指して勉強中。 ゆくゆくは、臨床心理士か大学で研究を続けたいんだそうだ。 人は、見かけによらないなぁ.......。 「俺が住んでるアパートの一階が弁当屋なんで、たまに配達のバイトしてるんです。 短時間で割りがいいし、まかない弁当も貰えるんで、美味しいバイトなんですよ」 志摩さんにイライラして........一所懸命作ったお弁当を食べずに捨てたなんて......。 僕は、急に恥ずかしくなって、目の前のビールをグッと飲み干してしまった。 .......あ、ヤバいな。 僕、そんなにお酒強くないのに........。 志摩さんが僕を引きづるように入った居酒屋は、金曜だというのにあんまり人もいなくて。 こんな閑古鳥が鳴いてるくらいなトコだから、安かろう悪かろうなトコなんだろうと思っていたら、結構、美味しくて。 穴場って、かんじで。 .........すごいな、志摩さんは。 なんでもできて、なんでももってて........パーフェクトで.......羨ましいなぁ。 「町田さんは、休みの日何してるんですか?」 「........休みの日.....?」 「この間みたいに買い物とか?町田さんキレイだし彼女とデートとか?」 .........そんな、普通の休日。 .........そんな、夢みたいな休日。 僕には存在しない、そんなの。 一気に飲み干したビールのせいか、志摩さんの言葉が胸に重くのしかかったせいか。 頭はボーっとしてるのに、視界はイヤにクリアで、僕の口は、意思を持ったかのように、勝手に喋り出したんだ。 「そんな普通の休日、ここんとこ過ごしたことない。夢のまた夢なんだ。 じゃあ、休日なにしてるかって? 弱味を握られて、それに怯えて過ごしてる。 強引にヤられて、それにイヤイヤ言いながらも腰を振って感じてる、それが僕の休日。 面白いでしょ?僕の休日」 .........一気に、まくし立ててしまった。 僕の目の前にいる人は、くりっとしたキレイな目を見開いて、驚いたように言葉を失って僕を見ている。 そりゃ、驚くよな。 僕は好きものです、って堂々と言っちゃってさ。 幻滅したような顔して僕を見る志摩さんの、僕はその志摩さんの表情を待ってたんだ。 これでもう、僕に構わない。 志摩さんは、僕をほっといてくれるはず。 志摩さんを見ていたクリアだった僕の視界は、何故か急にぼやけていて、志摩さんの輪郭が滲み出した。 .........あぁ、そうか。 僕、泣いてるんだ.........。 「ごめんなさい、志摩さん。 もう二度と、僕に絡まないでください。 ..........今日は、誘ってくれてありがとうございました。じゃ、僕、帰ります」 僕はテーブルに一万円札を置いて、逃げるようにその店から飛び出した。 何、言ってんのかな、僕は。 ほぼ初対面の人に........いくら志摩さんが、僕の内側にズカズカ入ってくるからって、何もあんなこと言わなくても良かったのにさ。 ちょうど、ポケットの中が小刻みにリズムよく震えて。 あ、電話.....。 僕はポケットからスマホを取り出して、画面を見る。 また、か。 ..........やっぱり、先輩だ。 今日は、ブッチしたい.......したいんだけど.........。 僕にはそんな勇気がなくて、僕の手はごく自然に、通話ボタンを押してしまうんだ。 「はい..........今から?接待は?.........そう、わかりました」 「ん.....はぁ.....」 「なんだよ、今日は素直だな、紡」 嫌がらずに身をよじらせて感じる僕に、藤沢先輩はいつになく上機嫌で僕を弄ぶ。 イヤだよ、イヤじゃないわけない。 でも、もう。 どうでもよくなったんだ。 すごく頑張って他人には知られないように隠してた秘密を、あっさり自分から暴露してしまったから。 しかも、あんな純粋そうな人に。 軽蔑.......しただろうな、僕のこと。 でも、しょうがない。 だから、もう、どうでもいい。 本当、もう、どうでもいい。 どうせ、今まで、先輩に好き放題されてるんだ。 今更嫌がってどうなるんだよ。 先輩が僕の手首を握って、深くキスをする。 .........先輩、どうしたんだろう? 今まで、キスなんてしたことなかったのに。 深く、優しく、舌を絡ませて........。 なんで........? なんで、こんなに混乱させることするんだろう、先輩は。 それでも先輩は、僕の中の奥を深く、強く、かき乱すんだ。 「.......あ....やぁ.....」 なんの感情もないのに、体は素直に反応して声だけはでる。 「....っ!!.....紡.....!!」 熱いのが僕の中に広がって、溢れ出て、太ももを伝う。 僕が一番嫌いな、この感覚。 ........これだけは、やだな。 何回ヤッても慣れないや。 いつもなら、先輩はこのまま立て続けにまたねじ込んで、また僕を激しくゆさぶるのに......。 先輩は、優しくキスをして言ったんだ。 「愛してる.......愛してるんだ、紡」 ........な、何?それ.......。 愛してる? ........意味、わかんないんだけど。 僕は愛を囁いて余韻に浸っている先輩に言ったんだ。 「先輩の愛、って何?」 今日が土曜で本当、よかった。 しらみ出した空の下、僕はハンカチで顔を覆って家路を急ぐ。 体が痛い.......。 先輩が......あんなになるなんて思わなかった。 「先輩の愛、って何?」 って、僕は本心を口にしたんだ。 だって、そうだ。 僕を無理矢理襲って犯して、弱味を握って関係を続ける。 その間、僕は食欲をなくしたり、精神的に苦しかったりしたんだ。 なのに.......いきなり......「愛してる」だなんて。 先輩の言ってる〝愛〟がわからなかった。 先輩の求めている〝愛〟のカタチがわからなかったんだ。 それに、藤沢先輩はキレた。 頰に2発、3発、拳が入る。 体にも......そして、いつもより激しく犯される。 髪を掴まれたり、腕を捻じ上げらて、乱暴に突き上げられた。 .......あまりにも、キツくて、痛くて.......よく覚えてない。 気がついたら。 僕は寝ていたみたいで、さらに体が痛くて.....。 隣には先輩が落ち着いたように寝ていたから、僕は逃げるように帰ってきたんだ。 月も太陽もない、この時間に。 僕は人目を避けるように、痛い身体とボロボロの心を引きずって.......。 家まであと少しってとこで、僕の足がとまった。 僕の家の前に人影があって、うずくまってる。 .......やだなぁ、酔っ払いかな......。 僕はその人を起こさないように、そっと家の鍵を開ける。 「町田さん?」 その声に......よせばいいのに、僕はその声に振り返ってしまったんだ。 ........志摩.....さん、なんで? なんで、ここにいるの......? 「町田さん!!それどうしたんですか!?」 志摩さんは僕の顔を見て声を上げた。 そして、僕の肩をがっしり掴んで、問いただすように強く揺らしたんだ。 「町田さん!!答えて!!」 「......い、ない」 「何!?聞こえないよ!!町田さん、俺をちゃんと見て!!」 「........関係ない、志摩さんには関係ないよ。もう、僕に......僕に、構わないで.......」 身体の力が急に抜けたような感じがした。 思わず、志摩さんの目を見てしまった。 真剣に涙目で熱いまなざしで僕を見る、志摩さんに.......。 そのまま、クラッとして。 目の前が真っ暗になってしまったんだ。 .......どれくらい、寝てたんだろう。 カーテンの隙間から太陽の光が漏れて部屋に入ってきて、なんか、部屋にいいにおいがして.......。 ん?!いいにおい?! 僕は飛び起きてしまった。 飛び起きたのはよかったんだけど、身体が痛い。 身体が痛いのはいいんだけど、ちゃんと着替えてて。 ちゃんと着替えてたのはいいんだけど、先輩に殴られたとこがちゃんと手当されてて。 身に覚えがなさすぎて、混乱する。 「あっ!!町田さん!!まだ、寝てて!!」 .........え? キッチンの方から志摩さんの声がして、ひょっこり顔を出したから、正直、驚いた。 そういえば。 僕の家の前で、志摩さんがうずくまってたんだ。 でも、なんで? なんで僕の家知ってるの? ニコニコしながら近づいてくる志摩さんに、僕は混乱した状態の質問をストレートにぶつけてしまった。 「何してるんですか? なんで僕の家、知ってるんですか? どうして僕にこんなこと........僕は志摩さんのことをよく知らないのに、なんで志摩さんは僕に構うんですか?」 志摩さんは僕の肩を優しく掴むと、僕の身体をゆっくりベッドに戻して、目線を僕に合わせてにっこり笑った。 「質問が多すぎなんで、一つ一つ答えますね」 「............」 「俺は今、朝飯作ってます。 なんで町田さんの家を知ってるかっていうと、昨日、居酒屋で町田さんが手帳を落として、手帳に書いてある住所をたよりに、町田さんに手帳を届けにきたから。 そして、怪我をしてボロボロの人をほっとけなかったから、町田さんに構ってます。 他に、質問は?」 僕は首を横に振る。 「朝飯できたら声かけますんで、しばらく横になっててください、町田さん」 そう言うと、志摩さんは僕の頭を軽く撫でて再びキッチンに消えていった。 なんか、へんな感じ。 志摩さんペースに飲まれて、最大級にイヤなことがあったのに、特に考え込むこともなく、妙に落ち着いてる僕がいて。 きっと、1人なら。 志摩さんがいなくて、1人なら。 こんな風に落ち着いて過ごしていなかったハズだ。 「町田さん!卵焼き甘い方が好きですか?しょっぱい方が好きですか?」 「.........甘い方」 「あぁ、よかった!!よし!町田さんできました!!食べましょ!!」 こんな豪華な朝ご飯、久しぶりすぎて面食らった。 ご飯にお味噌汁。 卵焼きに焼き鮭の横には大根おろしまで付いてるでしょ? ほうれん草のお浸しまで添えられててさ。 「焼き鮭とほうれん草はコンビニのヤツなんで。手抜きってヤツですよ。さ、食べましょ」 ニコニコ笑いながら「いただきます!」って言って、美味しそうにご飯を頬張る志摩さんに、僕は思わず笑ってしまったんだ。 ご飯を食べ終わって、志摩さんが洗い物までしてくれて、僕は何気なくテーブルに置かれたスマホを手にした。 うゎ......メッセージが......。 アイコンに表示された着信メッセージの数に、僕は心底驚愕したんだ。 先輩かな......。 僕は.......本当は見たくないのに........指が吸い寄せられるようにアイコンをタップするんだ。 「〰︎〰︎〰︎っ!!」 涙が、止まんない。 僕、詰んでる。 せっかく、志摩さんが僕を落ち着かせてくれたのに。 自ら落ち込むようなことして、僕、何してんのかな.........。 「町田さん?!」 ボロボロに泣いてる僕に志摩さんはいち早く気付いて、僕の頰に軽く触れる。 「町田さん。落ち着いたら、俺に少し話してくれませんか? 町田さんが今、ツライって思ってること。 無理にとは言いません。 けど、自分の中で消化しきれなくなったら、ただ、誰かに聞いてもらうだけでもスッキリすると思いませんか?」 『紡、さっきはごめん』 『もうあんなこと、二度としないから』 って言う謝罪にはじまり、 『紡、本当に愛してるんだ』 『お願いだから、俺から離れないで』 愛をチラつかせて、弱い部分をアピールしながら懇願する。 『んだよ、人が下手にでてれば。無視かよ』 『何、無視してんだよ!早く返事しろ!』 『わかってんだろうな?お前のハメ撮り、会社にバラまくぞ?』 そして、相手を支配するかのような脅迫が始まる。 テレビで見るDV男の典型みたいなメッセージに、僕は心底疲れてしまって........。 泣いてしまって.......。 今まで我慢していたものがプツッと切れたように感じて..........。 この世から、消えたくなってしまったんだ。 スマホを握りしめて震えながら泣く僕の肩を、志摩さんはゆっくりそっと抱きしめる。 「町田さん、今まで辛かったですね。 でも、もう大丈夫。俺がついてます。俺がついて........ます」 そう言って志摩さんは僕の頰に優しくキスをすると、その優しさのまま、唇を重ねてきたんだ。 ドラマとかでよくある。 DV夫に耐えられなくて、優しい異性にほだされてついイケナイ道に足を踏み入れてしまう奥様、みたいな。 僕は今、そんな状況に近いことをしている。 志摩さんはベッドに寄りかかってる僕の服を脱がして、アザだらけの僕の身体を優しく舐める。 先輩が僕に植えつけたあの感覚とは大違いで......。 あったかくて、くすぐったくて、安心する。 だから、自然と声を漏らしてしまう。 「.....あ..志摩さ....」 「悦郎って、呼んで.......紡」 一気に、距離が縮まった気がした。 もう、先輩のことも怖くないし、なにより悦郎がそばにいるだけでいいって思ってしまったんだ。 「悦郎.......」 「何?」 「僕は悦郎のことをよく知らないし、悦郎も僕のことをよく知らない.........。 知らないけど........こんな........気持ちが高ぶることって.......あり得るのかな.....?」 僕のおでこに悦郎のおでこをくっつけて、にっこり笑う。 「いいんじゃない?お互いを知ったら知ったで、また新鮮な気分になる........。 でも今は、そんなの必要ない。 紡と俺。ただそれだけ。 ただそれだけから始めても、いいと思わない?」 「俺、こう見えても器用だし、応用力もあるから。紡が感じるトコ、教えて」 悦郎の言葉に思わず笑ってしまった。 肌を重ねることって、こんなに楽しいことだったんだって、初めて思ったんだ。 僕は最初から苦痛しかなくて、その苦痛はだんだん大きくなっていって、正直、悦郎とこんなことするのも怖かったんだ。 でもー。 悦郎の手や舌が優しく僕を愛撫する度に、初めての感覚に襲われて、僕は涙が止まらなくなる。 「痛い?」 「........違う、気持ちいい......初めてなんだ......こんな気持ちいいの.......」 素直にそう言えることって今までなかった。 有無を言わせず、僕の中にねじ込んでくるがイヤで、僕の中から溢れ出る熱い感覚がイヤで、でも怖くてイヤだって言えなくて。 悦郎の指が、僕の中の感じるトコをそっと押さえるから、腰が浮き上がって、声が漏れる。 「悦郎.......ソコ.......やぁ」 「紡、すごく指入ってる.......入れていい?」 「......う、ん」 悦郎は僕を気遣いながら、ゆっくり、そして、深く、僕の中を満たしていく。 「ふぁ.......はぁ.......動いて、悦郎......」 「紡......キツかったら、言って」 悦郎が僕の奥に当ててくる度、苦痛どころか気が遠くなるような快楽に襲われる。 ダメだ、悦郎に溺れてしまいそう........。 「紡、俺......もう、無理そう」 「.......ん..あ、いい........出して、悦郎」 今まで中に出されるのって、イヤでイヤでたまらなかったハズなのに。 悦郎なら、いいって思った。 悦郎のなら、気持ちいいって思ったんだ。 「.....紡!.....」 熱いのが僕の中に広がって、溢れ出て、太ももを伝う。 でも、今は.......すごく、満たされてる。 だから、すごく、気持ちいい........。 僕は思わず悦郎にしがみついた。 「悦郎.....僕、悦郎が好き。悦郎を愛してる」 子どもみたいに年下の悦郎に甘えて、そんな僕を悦郎は優しく抱きしめて言った。 「俺も。愛してる、紡」 わかりやすくて、シンプルな〝愛してる〟。 同じ言葉なら、僕は断然、こっちの〝愛してる〟が欲しいんだ。 「藤沢先輩。 写真、バラまきたいならバラまいてもらって結構です。 そのかわり、先輩が今まで僕に送ったメッセージ、スクショしてバラまきますから」 怖かった......。 また、逆ギレして殴られるんじゃないかって思ったし。 でも、我慢して生きるなんて、もう、まっぴらだ。 先輩は悔しそうな顔をして僕から目を逸らした。 仕事は.....少しやりづらくなるかもしれないけど、先輩だけが全てじゃないし、別に先輩がいなくても仕事はできる。 大丈夫。 僕はもう、大丈夫。 「ただいま」 僕は今、悦郎と一緒に住んでる。 住んでるというか、正確に言えば、悦郎の隣の部屋に僕が引っ越したんだけどさ。 まぁ、だいたい、いつも。 どっちかの部屋で過ごして、どっちかの部屋で眠って。 悦郎と楽しく過ごして、過去の影が薄くなって。ようやく僕は、怯えることのない生活を取り戻したんだ。 「紡、おかえりー」 悦郎がなんだか、ニヤニヤしてる。 「どうしたの?悦郎。なんかいいことでもあった?」 ふふふ、って含んだ笑いをした悦郎は、僕にコーヒーショップの紙袋を渡してきた。 「何?」 「開けて」 紙袋を開けて、箱の中身を取り出すと.......。 あ、あのマグカップ......。 僕が欲しかった、あの、マグカップ。 なんで? 「これ、どうしたの?」 「色んな店舗に行って探したんだ。俺の忍耐力と血と涙と体力の結晶なんだよ?」 .........まさか、まさか。 あの時の僕は想像もしていなかったに違いない。 マグカップを譲った人に、マグカップを送ってもらうなんてさ。 さらに付け加えると、偶然再会して、愛し合う存在になるなんて、想像の範疇を超えてるよな。 「ありがとう、悦郎。すごく、嬉しい」 「実はさ.....」 そう言って、悦郎は同じマグカップをもう一つ取り出した。 「え?」 「探し回ってるうちに俺も欲しくなっちゃってさ。見つけるのにさらに倍かかっちゃったけど」 悦郎が照れたように笑って鼻をかいた。 こういうのも、ありなんだなぁ。 僕たちはお互い何も知らなくて、知らないのに惹かれて、それを少しずつ埋めるように、時を重ねて。 そんな悦郎が大好きだし、まだまだ僕が知らない悦郎がどれくらいあるのか楽しみで。 だから、今、僕は心の底から笑えるんだ。

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