26 / 69
第26話
-雨-
オレは裏校舎の多目的室の前で待ってた。小さな軋む音とか微かな声が聞こえて、意外と学園七不思議の真相ってくだらないことなのかもって思ったね。でも満足してオレは引き返した。美潮の腰抜け野郎がショータを手に入れたんだ。経緯は知らないけどオレの思いどおりにことは運んだくせに正直あんまり嬉しいとかなかった。こんなもんなんだっていう感じ。つまらないなって。緋野に捨てられたのかな。それはめちゃくちゃどうでもいいけど。だって今は美潮のなんだから。オレじゃ敵わない。オレは女だから。女としてショータが欲しいんじゃない。なんで女体 なんだろう。どうして美潮みたいに全部揃ってないんだ。理想の女を演じきらなきゃなんないのに目の前はじんわりした。ふらふらする。自販機前のコモンスペースで落ち着かないと教室に戻れなかった。泣き腫らすのはマズイ。
「具合が悪いのか」
出てきた腹が違う血を分けた大嫌いなやつ。教師 なんかやってる。不倫は巨悪 、寝取り女は塵芥 って生徒たちに教えなよ。その被害者としてさ。父さんには似てない。寝取られた可哀想なお母さん似。加害者家族の後ろめたさかな。半分の半分は同じ血なのに。過剰な加害意識にかえって被害者面をしちゃう。
「別に、なんでもない」
あーしを装えなくて、オレは素のまま答えてた。
「そうか」
緋野はまだオレに用があるみたいだった。
「倒れる前に保健室へ行くことだ」
蹲ってたから腹痛だと思われてたらしい。本当に違う。少しおちょくってみる?このアイスマンはどんな対応するのかな。
「しぇんしぇ~。あーし、失恋しちゃったんだぁ」
ねぇ異母兄 さん、どう?異母妹 の相談に乗ってくれる?この人から見たらオレは生徒の1人に過ぎないんだろうけど。緋野はオレを見下ろす。観察するみたいに。色恋沙汰より勉強しろって?
「…何と言ったらいいか…分からない」
「緋野しぇんしぇは百発百中なんじゃないの。フられたことなさそ。相談する相手間違えたわ。じゃあねぇ~?」
なんて、ショータ持ってかれたんでしょ。美潮に。半分の半分は同じ血が流れてるなんて思えないほどオレは明るい調子を見せつけてやりながら逃げる。もしかしてしぇんしぇが根暗なのはお母様の遺伝なんじゃないの?それともオレの母さんが父さんを奪ったから?父さんのことは好きだけど、不倫野郎だ。母さんのことは好きだけど、寝取り女だ。しぇんしぇのお母様は可哀想だけど、寝取られ女だ。息子だって寝取られ遺伝子継いじゃってんじゃん、可哀想。それでオレは?寝取れるものなら寝取りたいさ。でもこの性別 で何が出来るの。ショータのこと、誘惑するの?あーしを選ぶショータは、オレの知ってるショータじゃない。生まれ方から間違った。何もかも上手くいかない。ふらふらしてたら曲がり角で誰かとぶつかる。げっ!って思った。教師 だし。オレの肩を押さえて支える。場合によっちゃセクハラじゃん?別にいやらしい感じはなかったけど。
「すまないな!余所見してた」
鈴の鳴る声っていうのかなちょっと鼻声っぽいんだけどなんかフォンダンショコラみたいな声っていうのか、聞いただけでイケメンを連想するよな美声だった。誰だよ。新寺 しぇんしぇ。緋野が来るまで当校No. 1イケメンの養護教諭。背が高いし顔がカッコ良くて声も綺麗で性格も優しくて公務員。カノジョか嫁さんがいるとか居ないとかで職員室で手作り弁当食べてたとかなんとか。たとえ自分で作ってたとしてもここに自炊できるって項目が追加されるだけでプラスにしかならない。既婚者ってのも、とりあえず1人には迎合できる人間なんだなってある程度指標になる…とオレたちは思い込んじゃってるわけで。ただ、これはオレの何となくの感想だけど、どこか抜けてる間抜けっぽさがある。ちょっと情けないような。
「…えっと、2-Cの笛木さん…だっけ。大丈夫かい?」
緋野と違ってデキる男・新寺しぇんしぇは屈んで目線の高さをオレに合わせた。そうだオレ泣いてたんだ。恥ずかし。寝取られ一家の長男か次男に会って忘れてた。
「保健室に来るといい。話を聞くよ」
「あ~、ちょっと目にゴミが入っただけですから」
でもオレは苦手だね、新寺しぇんしぇ。ショータに通じるところがあって。なんか、擦れない無邪気さみたいなのが。
「そうかい?あまり酷かったら言ってくれ。擦るのは目にも良くないからな」
新寺しぇんしぇはイケた顔して爽やかに笑っていった。ショータを思い出させてまたモヤモヤする。オレの思い通りになったのに悔しくて仕方なかった。すれ違いかけた新寺しぇんしぇを見上げてオレは白衣を引っ張ってた。なんかこの人泣いてない?
「しぇんしぇダイショーブ?」
少し驚いた顔をしてショータみたいに綺麗な目が大きくなった。ショータもあのまま大きくなるといいけどさ。きっちり守れんのかな、美潮は。あの腰抜けっぷりで。
「あ…ああ、すまない。花粉症で」
「ふぅん。目を擦るのはあまり良くないらしいですよ」
目を擦った新寺しぇんしぇがわたわたする。ショータみたいに素直だよな。オレはぼたっと落ちてきた涙をかぶっちゃって、新寺しぇんしぇは謝りながら保健室に来るように言った。新寺しぇんしぇじゃなきゃフツーは付いて行かないよ?やらしっぽいもん、保健室に誘われるとか。デニム生地みたいなふざけたソファーもあったけど電波時計が置かれてる広いテーブルのほうのイスを引かれて座らされたけど新寺しぇんしぇは事務デスクのほうに行っちゃった。なんかオレが相談するみたいなことなってない?そのうち薄 いココアが出てきた。ココア風味のお湯だわ。それで新寺しぇんしぇはオレの対面に座った。
「生徒にこんなことを言うのはおかしいだが、先生…失恋しちゃったんだ」
オレの顔は多分引き攣ってたと思う。カマかけられてるのかな。ま、オレの場合は失恋っていうか、叶わなかったっていうか、そもそもどうにもならなかったことっていうか、希望通りにはなったけど。新寺しぇんしぇは両手で顔を押さえてまた泣き始めた。相手、美潮かショータ?そんなわけないよね。
「それを、思い出しちゃって」
なんだよ過去形か。びっくりした。お湯味のココアを飲んで、熱いことも忘れてベロを火傷する。
「ごめんな、こんな話」
「いーえ、別に。新寺しぇんしぇをフったのってどんな"女性"だったんですかね!あーしだったら絶対全力合意 するのに」
どういうつもりなんだか新寺しぇんしぇは目の他に顔まで真っ赤にした。っていうか結婚してた説消えたな。いや、浮気の可能性も一応 あるぞ。
「寡黙で、」
美潮じゃん。それか緋野かな。
「無愛想で…」
美潮だね、それか緋野だわ。
「カッコよくて…」
美潮かな…若干緋野?だって美潮は年下 じゃん。
「でも笑った時の顔が優しいんだ。性格も」
多分オレの知らない人だわ、それ。ココア色のお湯を飲んで納得した。
「先生は、話したぞ!」
まだ目元を赤くして眼球も濡れてるのに新寺しぇんしぇは背筋を伸ばしてオレを見る。話せと。
「あーしもしぇんしぇと同じようなカンジっすよ。正直 恋愛とか不毛じゃね?って思ってたとこっす」
今頃多目的室でパコパコシコシコやってんだよな。角と牙が生えそう。オレの望んでた展開だろ、落ち着け…ココアで作られたお湯を飲む。火傷してるベロが痺れた。
「先生は…不毛だなんて思ったことないぞ。誰かを好きになるっていいものだ」
大人って綺麗事と理想論を並べるのが得意だよね。高校生ってそろそろ現実見させてもいい頃だと思うけど。保健体育やって、実践なんかまだまだ乏しくて、なのに結婚できる歳にはなってるわけで。綺麗なこと、誰も傷付かない生易しいこと言っておけば尊敬してくれる、納得してくれる、悩みを解決できるだなんて思ってるわけ?若くてイケメンで声もカッコいい公務員。ステキ!でも青過ぎ。生徒 に幻想見過ぎ。それとも自分が幼い高校生だったのかな。
「生徒に対しでも?」
ねぇ新寺しぇんしぇ、生徒に手を出してる鬼畜教師 がいるんですよ。
「えっ……は、?」
あーあって思った。もしかして新寺しぇんしぇも?ショータと同じ目をしてる。素直過ぎて分かっちゃう。この世に存在しないようなとにかく綺麗な目。ビー玉みたいに反射する。気を抜くと目玉を抉り取っちゃいそうで怖くなる。もっと近くで手に取って眺めたくて。
「生徒に手ェ出してる先生 がいるんです。ヤバくない?」
素直過ぎる目はオレから目を逸らして泳いだ。顔真っ赤。
「生徒を守るはずの教師が、ヤバいですよね。でも誰かを好きになるっていいものだって擁護 できます?」
「そんなんじゃない…手を出すとか…そんなんじゃ…あっ」
新寺しぇんしぇは口を覆った。どさくさに紛れて何白状してんの?生徒のこと好いきになっちゃって、そんな甘ったるくて青臭いこと言ってたの?ヤバくないか?涙ぐんだ目がオレを見る。
「違うんだ、」
違くない。教師辞めなよ。低俗 だと思うし、オレからは何にも慰めてやれないよ、建前 でも。ロリコンのド変態だと思う。若い子追っかけ回して。自分が若いつもりなのかな。っていっても20代か。年下、特に生徒は支配できるから好き?大人の権力振り翳せるから?こういう大人にはなりたくないな。ショータもこうなるんじゃないかと思うと時間よ止まれ!って思う。
「先生の…すごく好きな人に似てたから…っ」
片方の眉毛が皺を作って、口を塞いでた指を段々に大きな涙が落ちていく。
「恋心に自制心が利かせられないの、教師 としてマズいんじゃないですかね」
オレも自分のマズさに気付いて口を押さえかける。こんな口を利くのはカワイくておバカなあーしじゃない。女の子はバカでいいって母さんの教育方針に反するね。勉強 より愛嬌ってさ。そう考えるとオレの周り、ろくな大人いないよな。大好きな浮気父さんと大好きな寝取り母さん、生徒に手を出す最低異母兄さんと言い訳がましい美談養護教諭追記 イケメン。
「せ、先生は…っ」
「ダメですよぉ、しぇ~んしぇ。今流行りの恋愛映画の真似しちゃったりしちゃったら~」
あーしの調子に戻れてる?新寺しぇんしぇはぼろ泣き。保健室のドアが開いた。オレがいじめてるみたいじゃん。振り返ったら緋野と暁 ちゃんだった。暁ちゃんはもう制服のシャツが真っ赤っかで手首から血が出てた。緋野に手を引かれて、新寺しぇんしぇも目を丸くしてすぐに立ち上がった。暁ちゃんはオレを見るとヘラヘラ笑った。ふざけてる男子が窓ガラスを割った時に巻き込まれたらしい。落ちてくる窓を支えようとしたら突き破ったとか。ヘラヘラしてられる状況じゃないでしょ。手首にはもうハンカチが巻かれていた。バーバルクラウンのタグが付いてた。ハイブランドじゃん。女モノのバッグしか知らないけど小さいやつで20万してた。でも水色と黒と白のチェックは茶色くなってパリパリになってた。オレと暁ちゃんが呑気に話してるうちに新寺しぇんしぇと緋野はてきぱきと病院がどうとか救急車がどうとか説明がどうこうとか言ってた。働く大人って感じ。いかに裏側がろくでなしと言ったって。
「礁ちゃんにはテキトーに言っといて。血とか苦手っぽいからさ。見た目より痛くないし」
白かったテーブルに血が付いた。まだ止まってなかったっぽい。
「ちょっとボクの居場所も悪かったんで怒らないでくださいよ、あんまり~?」
緋野は暁ちゃんは腕の様子を看に戻ってきて、ハンカチの上からまた押さえてた。緋野の手も赤茶色になっていた。ふざけた調子の暁ちゃんには何も返さないで、次の次の時間の緋野の授業を自習にすることと次の授業のしぇんしぇに連絡が届かなかったら用件を告げて欲しいことだけオレに言った。部屋の隅で目元を拭いてる新寺しぇんしぇのことはちょっと気掛かりだったけどオレは教室に戻った。隣のクラスのしぇんしぇが廊下に飛び散ったガラス片を掃除してた。血痕もある。暁ちゃんは自分のいた場所が悪かったとか言ってたけどフツーの場所だった。あの場所よく女子が隣のクラスの子たちと並んで座って駄弁 ってたな、って思ったらやっぱり教室ではそれに参加してた子が泣いてて他の女子が抱き締めながら慰めてた。暁ちゃんもええかっこしいな、女子庇ったならそう言えばいいのに。そのすぐあとに美潮とショータも別々に戻ってきた。噂好きのやつがショータに真っ先に近付いて何か言ってた。手首から血がダラダラ、そんなジェスチャー付きで。ナイーブなんだからやめてやれって。ショータは血相変えてた。可哀想だろ。教室から出て行こうとするから呼び止めた。
ともだちにシェアしよう!