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第77話 最後
ベッドから起き上がると、身体の奥がじくりと疼いた。まだ、中にカズがいるみたい。
「今日で最後にする」
「……ナオ?」
「カズ」
カズの手が不安そうに俺の手首を掴んで、無意識なんだろう、逃がさないとでも言うように、ぎゅっと力を込めた。
俺は、振り返って、すごくすごく寂しそうな顔をした。
「ナオっ?」
「……無断外泊」
「…………は?」
「を、最後にする」
「はぁっ?」
愕然とした顔、が、にやりと笑った俺を見て、真っ赤になった。真っ赤になって、ぎゅっと眉に力を込めて、顔をくしゃくしゃにした。
「びっくりした? カズ、何を最後にするのかと思った?」
そして怒りながら俺を組み伏せて、くすぐったがりなのを一番知ってるくせに、俺の脇腹にガシッとしっかり両手を置いた。
「ちょ、あはっ、あはははははっ」
ただ手をそこに置かれただけでくすぐったいのに、真っ赤になって怒ったカズは降参だと言っても許してくれず、問答無用で悶絶の刑を俺に科す。
驚いた? 一瞬、びっくりしただろ?
「っマジでっ! ったく、何? ホントっ、ナオっ」
上手に言葉が紡げないほどびっくりした?
「…………ホント……」
大きくなったなぁ、なんて思ってしまった。小さい頃は俺のほうが背だって高かったのに。
「最後とか……」
いつの間にか追い越されてしまった。力だって強くて、筋肉だってさ。何、その腹筋。胸もさ、女子なんて卒倒もんでしょ。
いつの間にかさ。
「脅かさないでよ」
男になってた。
「心臓止まる」
俺の男。
「最後になんかしないって」
「ナオ」
そっと俺を組み敷いて、重いのもかまわず覆い被さる自分の愛しい男に手を伸ばした。首に腕を回して、引き寄せ、キスをする。
「絶対に、しない」
「……」
もう、離さないんだ。
「好きだよ。カズ」
「ナオ……」
この恋がどんなに醜くて、汚らしくて、穢れてると言われても、もう手放したりしない。
世界中の人に嫌悪されても、もう。
「ナオっ……っふごっ」
「こら、もう一回しようとするな」
もう、この恋をやめない。
「えー、なんで? 宿泊にしたんだからいいじゃん。別に」
鼻を摘まれて、カッコいい顔を台無しにされたカズがきつく俺を睨みつけたけど、そんなの効くわけがない。
兄弟なんだ。
俺はずっとカズの兄で、お前の不貞腐れ顔も不満顔も、山のように見てるんだよ。イケメンの怒った顔なんて、慣れっこだ。
「帰らないと」
「……」
「無断外泊だけど、そっと帰れば、ギリギリセーフ」
「……」
「うちを壊すわけにはいかないだろ」
「真面目……」
だって、もう壊れてるんだから。
本当はちっとも真面目じゃないんだよ。宿題なんてこれっぽっちもやりたくなかったし、夏休みの宿題においては、もう最後の最後までほったらかしておきたかった。学校だってサボりたい日はあったし、剣道の稽古だって行きたくねぇー、って胸のうちでぼやいたことがある。
全然真面目じゃないよ。怠け者だし。
「長男ですから。それに……」
とても、とっても悪いことをしている。いけないことを胸の内に抱えてる。だから、せめて、良い子のフリでもしていないとって思ってるだけ。
「そのくらいは、ちゃんとしとかないと、親不孝しすぎだから」
「……」
「ほら、カズも早く支度して」
「……」
「うちに帰るぞ」
そう言って笑ってキスをした。
そっと帰ったけれど、まぁ、夜かなり遅かったのは明白なわけで。
――庇ってくれたっていいじゃん。
――庇っただろ?
――ナオより早くには帰って来たって言っただけじゃん!
――充分でしょ。
――大学生、ずりぃ。
ナオは来年、まで、我慢、だね。
そう返信をした。
何時に帰って来たんだと今朝母さんに聞かれ、俺は大学のメンバーと食事してカラオケに行っていたと答えた。さて、じゃあ、カズは? と、少し怒った顔の母に問いただされて、ファミレスでしゃべっていたと答えたけれど、早く帰れと言ったでしょ? と睨まれていた。
『以後、気をつけます』
そう謝ったカズが少し懐かしかったんだ。
小さい頃からカズのほうが俺よりヤンチャだったから、よく母に怒られてたっけ。外に遊びに行って来ますと言ったっきり、夕方を過ぎても帰ってこなくて。探しに走り回った母に、夜、しこたま怒られて。
ホント、よく怒られてた。
あれは、俺が剣道を習いに行った初日だった。
学校の後、母に送られて道場に行って、カズは俺の後を追いかけようと道場まで一人で歩いて向かったんだ。母が稽古終わりに迎えに来て帰るのと、カズが道場に向かうのが行き違いになってしまって。その日もなかなか帰って来なくて。でもあの時は、どこに行ってたんだよって俺にしがみ付いて泣くもんだから、母も怒れなかったんだ。あんなカズは珍しいから。
「あの……直紀、クン」
大騒ぎだった。
「……」
翌朝、大学へ向かう電車に揺られながらカズとそんな会話をしていたら、いつの間にかもう降りる駅だった。スマホはとりあえずズボンのポケットへと突っ込む。
改札を通って、大学のあるほうへと歩き始めながら、小さな頃のカズのことを思い出して、自然と微笑んでたりしたかもしれない。
そんな俺を誰かが呼び止めて。
振り返ると、同じ学科の女子がいた。入学当初、何度か声をかけられて、それで新入生会にも誘ってくれた女子。司は、可愛い子だって、いい雰囲気だったじゃんって俺にこの女子のことを勧めてきたっけ。
「直紀、クン」
「……」
「あの……き、昨日、夜遅くに、あの、駅近くの、その、場所に……いなかった?」
「……え?」
一瞬で血が、消え失せた。
「ラブホテル……の、とこ……」
一瞬、時間が止まった。
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