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第78話 親友の思い

「あのっ、見間違いかもしれないんだけどっ、その夜中に……ラブホから出てきた人が……直紀君に似てて、そ、それでね、一緒にいた人が、弟さんの……剣道がすごいって地方の新聞に……載ってたでしょ?」  そんな話を、あの新入生会の時に司がしてたっけ。  この女子にもあの会にもあまり興味がなくて、俺はよく覚えてないのだけれど。 「弟さん……が、似てて、その……」  見られた? 昨日?  その女子はチラチラとこっちの様子を伺っていた。どう答えるのか、どんな反応を俺がするのか。それを伺いながら。そして、その視線が俺の首筋の辺りに釘付けになった。 「!」  もしかしたら、チラッとでも見えたのかもしれない。服で隠しているけれど、全身にあるキスマークの痕を。もしかしたら。 「……ぁ」  咄嗟に隠してしまったせいで、それが痣でも虫刺されでもないって教えてしまったようなものだった。  失敗した。  これじゃ、俺とカズが――。 「よっ! はよ! あ! おっはよー! エリちゃん!」 「……ぁ、おは、よ」  背中をどつかれて、肩から重しのように圧し掛かった司が、その女子へととても軽やかに挨拶をした。 「何々? 朝から駅前でしんみりトーク?」 「あ、あの……えっと……」 「なぁ、直紀、昨日はあのあと、どーしたんだよー! 急に消えやがってさぁ。おい、色々話聞かせろよっ! このこのこのこのー! あ、エリちゃん! またあとでね! ちょっと、こいつには昨日貸した金分の話聞かないといけないからさっ」  女子をその場に置いてけぼりにして、司が俺の首を腕で掴むとそのまま引きずっていく。どんどんと離れて、大学へは続いているけれど遠回りになるルートを進んだ。 「……司?」 「……」 「……ぁ、の」 「……」 「ごめん……その、ありがと」  そこで腕が解けた。 「司……」 「今、エリちゃんから助けてやった礼なら受け取る。けど、カズとのことは……俺は、礼を言われたくない。反対なんだからな」 「……」 「認めてねぇからな。ホント、そんなの反対だからなっ」 「……」 「和紀と……なんて」  いつもちゃらんぽらんで、明るくて、誰にでも笑顔の司が、苦々しい顔をしながら、ワックスでアレンジを決めてる髪をくしゃくしゃに掻き混ぜた。頭をボサボサにしてから、その手で自分のうなじをぎゅっと握って、また溜め息を吐く。 「……兄弟だぞ?」 「……」 「弟なんだぞ?」  もう、離さないと決めた。  この恋がどんなに醜くて、汚らしくて、穢れてると言われても、もう手放したりしないって。 「そんなのダメだろ」  たとえ、世界中の人に嫌悪されても、俺は――。 「けど、俺はお前のこと、親友だと思ってる」 「……」 「そんでさ、俺は、知ってっから」 「……」 「お前がさ、ずーっと……恋愛とか遠ざけてたのも、俺らがそういう話をしている時、寂しそうにさ、諦めたようにさ、遠くを見てたことも。いつもお前は何かを我慢してた」  司は恋愛の話をすごくしたがってたっけ。 「俺さ、ずっと、お前がそういう寂しそうな顔するのを見る度に、もったいねぇって思ってたんだ。お前はいっつもそれをわざと避けてるように思えた。女子を紹介したってつまらなそうでさ。なんでだよ、って思ってた」 「……」 「大学入ったら変わるかなって思ってて、けど変わらなくて、クソ真面目でさ。おーい。すげぇ楽しいことなんだぞーって」  また一つ溜め息を零して、苦々しい顔で足元をじっと見つめた。 「そう、思ってたんだ」 「……」 「けど、入学してすぐくらいかな。お前が変わった。なんか急に楽しそうでさ」  あまりに楽しそうにスマホとにらめっこをしているから、何をしてるんだろうと覗き込むとでかい声で叫んだっけ。「わー!」とか「ぎゃー!」って慌てて叫んで、そのスマホを急いで隠してしまう様子を見て、キャラが違うって思ったと、司が笑って教えてくれた。 「知ってっからさ」 「……」 「お前が前はいっつもしんどそうにしてたのも、付き合ってる人がいるってわかった頃からの楽しそうにしてるとこも、全部、知ってっから」 「……」 「認めてなんかねぇよ。兄弟でなんて、ダメだろって俺みたいなパーでもわかるんだ。猛反対してんだからな。けどさ」  わー! とか、ぎゃー! とか叫んで、笑って。 「わかるけど……お前が今、楽しそうにしてるのも、わかるから」 「……」 「けど! やめとけよっ! 和紀となんて、良くないことってわかってんだろ! 反対だ! ダメだ!」 「…………うん。ごめん。でも、諦めたくない」 「…………あっそ」  司はそれだけ答えるとそのまま大学へと歩き始めた。 「司っ?」 「やめとけよ!」 「……ごめん」 「あっそ」  その二つをぶっきらぼうに告げて、そして、チラリとこっちへ視線を投げる。 「エリちゃんには上手いこと俺が言っとくよ」 「え?」 「ゲイっつうのもさりげなく伝えておいていいか? あの子、直紀のこと狙ってたから。それ伝えておけば、恋愛対象外って諦めるだろ。ゲイとか、ゲイじゃないとか、気にすんのはダセーだろ。そこを気にして冷やかすような子ならそもそも縁切りだ。相手が誰かっつうのは……誤魔化しといてやる」 「え?」 「恋愛は誰でも平等に楽しむべきなんだよ」 「……うん」 「ああああ! けど、兄弟はダメだろ……いや、俺の恋愛論でいうと誰でも楽しむべき、なんだから、いいのか? いやいや」  そこでじっとこっちを睨みつけている。 「ダメだろっ!」 「……」 「ダメなんだかんな? わかってんのか? お前! お前ら! マジで別を見つけろ!」  ごめん、とまた言いかけたところで、司がケラケラと笑った。 「司?」 「いや……なんつうか、まぁ、お前が嬉しそうなのは、やっぱ嬉しいなとさ。けど! 弟はダメだろ」 「司、しつこい」 「しつこくもするわ! 親友だかんな!」  認めないけれど、認めてくれた。  なぁ、司。  誰にも認められないと思ってた。理解してもらえないと思ってた。許してもらえないと思ってた。 「ホント、やめとけよ」  まさか司にこうして庇ってもらえると思ってなかったんだ。誰か一人にでも許してもらえるなんて、これっぽっちも。 「つうか、なんで和紀? あいつ、すっげぇ生意気じゃん」 「え、そこ?」 「当たり前だろ! あいつ我儘で生意気でマイペースでさ」 「……うん」 「ホントっ! やめとけって!」  ダメだと言ったけれど俺を遠ざけなかった。  眼差しに嫌悪はなかった。 「ホント! やめておけってー!」  いつもと変わらない司がいた。 「うん。ごめん」 「謝るなら、やめておけ!」  いつもどおりうるさくてちゃらんぽらんでよく笑う司がいた。

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