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『いい夫婦の日』side大和(2)
「なんか、狭いんだけど」
そう言わずにはいられなかった。
「そう?」
顔色ひとつ変えることなく、俺を見上げた伊織は体勢を変えることなく、再びスマホの画面に視線を戻す。
「伊織、スペース取りすぎ」
リビングのソファは二人掛けではあったが、ゆとりのある設計で、詰めれば三人くらい余裕で座れるサイズだ。それなのに、今、俺のスペースはその三分の一もない。
伊織が両手に持ったスマホに視線を向けたまま、俺の右腕を頭でグイグイと押してくる。初めは二人揃ってテレビに体を向けるようにして座っていたはずなのに、いつの間にかテレビに飽きた伊織が体を横にし、肘掛に足を乗せるようにして座っていた。俺の右側を背もたれにして。どうにか距離を取ろうと俺が体を離すと、伊織は離された距離の分、体を沈ませ、やっぱり俺をクッションがわりに使う。
そうやって体が触れるたび、俺の心臓は速くなっていく。
厚めのスウェットを着ているのに、俺よりも高い伊織の体温がはっきりと伝わってくる。
胸の中を強い力で握りしめられるような、お腹の奥が痛くなるような、そんな、落ち着かない心地にさせられる。
「だから、近いんだって、」
「え?」
俺が再び体を左に寄せると、俺の腕に寄りかかっていた伊織の頭がバランスを崩した。
「!」
まっすぐ俺を見上げる伊織と至近距離で目があう。太ももに感じる重さに、近すぎる距離に、自分と同じ石鹸の香りに、俺の心臓が跳ね上がる。
「……!」
「……カタい」
「は?」
「大和のひざ枕、全然柔らかくない」
「お前なぁ」
勝手に人を枕がわりにしておきながら、伊織が文句を言う。
「じゃあ、頭どけろよ」
文句を言いながらも、伊織は起き上がることもなく、再びスマホを顔の前に持ってくる。伊織の白い肌に長方形の影が落ちる。俺から伊織の表情 を確かめることはできない。
「ヤダ」
「ヤダって、全然柔らかくないんだろうが」
伊織と俺の顔の間に掲げられた紺色のスマホケースが、視界の端でわずかに揺れる。
どうせ見えないなら……俺は外していた視線をそっと落とす。
「……柔らかくないのが、いい」
その小さな伊織の声は、スマホから流れ出したやたら軽快なメロディと重なる。
「あ、大和、コレ観て」
「?」
ふわりと俺を見上げる伊織の視線は、いつもと変わらない。
「コレ、めっちゃ可愛いから」
そう言って笑う伊織の手の中、四角い画面の中で丸っこい黒柴が転がっている。
「……確かに、可愛いけど」
「だろ?」
そうやって得意げに笑う顔も、暖かい部屋の中で赤くなっている耳の先も——俺は、口元を片手で隠しながら、目の前の黒柴の動画へ視線を向ける。
速くなっていく自分の心臓の音に気づかないフリをして。
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