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『元日』side伊織(2)

 その瞬間を残しておきたいと思った。      *  柔らかな風に舞う花びらも、一瞬だけ触れた指先も、見慣れない大和の表情も、その全部を自分の中にとどめておきたくて、俺はカメラを起動させた。  すぐ後ろから聞こえたシャッター音に振り返ると、大和の大きな手がスマホを顔の前に掲げていた。 「?……大和が花撮るなんて意外なんだけど」  思わず笑ってしまった俺に、大きな画面で表情を隠したままの大和が小さく言った。 「別にいいだろ」 「いいんじゃない」  俺が本当に撮りたいのは、残しておきたいのは、きっとこちら側の風景だったけれど。  俺はそっと視線を小さな画面の中の桜の花へと戻す。  撮りたいと、残しておきたいと思ったモノは違うかもしれないけれど。  それでも同じ瞬間を切り取った時間は変わらない。  こうやって一緒にいられる時間が後どのくらい残されているのかなんて、今はまだわからないけれど。  このまま変わらずいられる時間が少しでも長く続けばいい、そう思った。      *  カップの縁についた泡の跡をそっとなぞり、そのまま白色と薄い茶色が混ざり合う中へとスプーンを沈める。くるりと回すたびに表面に描かれていた模様が変わっていく。まだ残っていた湯気がふわりと揺れる。 「ずっと変わらないんだって、思ってた」  そう零した俺に、手元のコーヒーカップから視線を外した大和が顔を上げる。 「え?」 「大和は、ずっと変わらないって、そう思ってた」 「変わって欲しくなかった?」  そうつぶやくように尋ねた大和の瞳が少しだけ不安げに揺れる。 「あ、いや、そう思ってた、っていうだけで……」  俺の口の中には、柔らかなミルクの香りよりもエスプレッソの苦味の方が強く残っている。  小さく喉を動かした大和が、俺をまっすぐ見つめて言った。 「……何も変わらないなんて、無理に決まってるじゃん」  まるでその一言を俺に聞かせるかのように、店内にかかっていた緩やかなBGMが途切れる。大和の決して大きくはない声が、その言葉をはっきりと俺の耳に届けた。 「これだけ見た目だって、性格だって変わってるのに、気持ちだけ変わらないなんて、そんなの無理に決まってるんだよ」  そう言って少し呆れたように笑う大和の声が、再び流れ始めた音楽と重なって俺の中に響く。 「これだけ長い間一緒にいたらさ、相手を大切に想う気持ちだって増えてたっておかしくないし、自分とはまったく違う変化をしていく相手に惹かれたって、それだってすごく自然なことだと、俺は思うけど」 「!」  照れくささを隠すように少しだけ早口で紡いだ大和の言葉が、ストンとまっすぐ俺の胸の中に落ちていく。 「……そっか。そうだな」  カップに添えた自分の指先が震える。  鼻の奥が痛み出し、集まった熱が視界をぼやけさせる。  笑っているのか、泣いているのか自分でもわからなかったけれど、繋がった視線の先、大和が笑ってくれる。それだけで、そんな些細なことで、こんなにも俺は揺さぶられる。  ——結局、いつもそうなのだ。 「なに?そんなに俺の言葉に感動しちゃった?」 「!……カフェラテが熱かっただけだから」  湯気の消えてしまったカップの隣に置かれたグラスを掴み、俺はその冷たい温度を飲み込む。  ——俺が欲しい言葉をくれるのは、大和で。 「火傷するような温度じゃなくない?」  そう言って少しだけ意地悪く笑う大和の言葉を、水の消えたグラスを置く音で俺は掻き消し、「大和ってそんなに俺のこと好きなんだ」と笑い返してやった。 「!」  店内の設定温度は変わらないはずなのに、大和は頬を赤くし、少し怒ったように俺を見つめる。  ——俺をこんなにも揺さぶるのも、大和で。 「……そうだよ」  コーヒーの香りとともに漂う音楽にかき消されそうな大和の言葉に、俺の中に生まれてしまった熱が大きくなる。  並んで置かれた二つのスマホに視線を移した俺は、その優しい大和の言葉を頭の中で響かせながらつぶやく。 「やっぱり、同じだな」 「!……ふは、だな」  そう言って笑いながら、安心したようにカップを傾けた大和に、俺は言ってやる。  ——俺と同じように揺さぶってやりたいから。 「あ、でも、やっぱ違うかも」 「え?」  白く丸い底を見せたまま、大和がわずかに首を傾ける。  ——変わるのではなく、変えていく。 「だって、俺は大和に今朝『しない!!』って言われたし」 「!あ、あれは、」  俺の言葉に、再び大和の顔が赤くなっていく。  ——変わるのを待つのではなく。 「やっぱ同じじゃないな」 「いや、同じだから!」  カチャンと少しだけ大きな音をテーブルに響かせ、大和が俺をじっと見つめる。  繋がった視線に俺は軽く目を細め、大和の瞳を覗き込む。  ——変えられるのを受け入れるのではなく。 「……ホントかな?」 「……本当です」  そう言って俯いた大和の耳の先の熱を確かめた俺は、椅子の背にかけていたコートを手に取り、立ち上がる。 「?」  驚いたように振り返った大和に、伝票を手にした俺は昨日見つけた赤い箱を思い浮かべる。 「じゃあ、帰ったらポッキーな」 「へ?」  大和はまだ「?」を顔に浮かべたまま動けずにいる。  そんな大和に背を向け、レジへと足を踏み出しながら俺は言った。 「今度はまとめ食いするなよ」 「!……あ、伊織、()っ、」  慌てたように俺の背中を追いかける大和の気配を感じたまま、俺は歩き出す。  ——今度は二人で一緒に変えていきたい。  振り返れば当たり前に視界に入る大きな体も、俺よりも少し低い体温を教えてくれる手も、俺の名前を呼ぶ弾むような声も、その全部が『特別』だから。 「あ、ここ大和の奢りだったな」 「!!」  レジで追いついた大和を見上げ笑う俺に、財布を取り出しながら大和が小さく言った。 「……せめてプリッツにしない?」 「!……いいんじゃない?」  会計をしてくれている店員がお釣りを持って振り返ったので、俺たちは繋がった視線を愛おしむようにゆっくりと解いた。

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