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第2話
今でも時折、夢を見る。
多くのモンスターに襲われる光景。もうダメだ、そう思った瞬間も何度だってあった。
だけど、その度に必ず、あいつが俺を助けてくれた。
『安心しろ。伸太郎。君のことは、俺が守る』
どんなに怖い思いをしても、危険な目に遭っても、その笑顔を見るだけで俺は安心することができた。
◇
がたん、と地面が揺れて、俺は覚醒した。
辺りを見渡せば、そこは満員電車の中だった。蒸し返すほどの熱気が充満している。
時刻は午後9時過ぎ。
俺は会社帰りの電車に揺られていた。全身が疲労感に苛まれている。眠気が脳内を侵食して、意識を保つのもやっとだった。
俺が日本で目覚めてから、1年が経とうとしていた。
長年、寝たきりだった俺の身体はすっかり衰えてしまっていて、こうして普通に生活が送れるようになるまで長いリハビリ期間が必要だった。何とか歩けるようになった後も、多くの問題が俺を待ち受けていた。
一番の問題は金だ。
日本では何をするにも金が要る。
叔父夫婦は俺が眠っている間の治療費を出してくれていた。だが、それは俺のためではなく、世間体を保つためだ。それを証拠に、入院中も退院時も一度も面会には来てくれなかった。その上、退院後には「治療費を毎月、返済するように」という内容の手紙が届けられた。
俺はすぐに働き口を探した。だが、日本の社会制度は厳しかった。俺は高校を卒業できていない。この7年間は空白で職歴もない。
採用面接は惨敗が続いた。
俺を拾ってくれたのは、今の会社だけだった。
社員は20人程度の小さなSE会社。社長の声がデカいだけの、ワンマン・ブラック会社だ。サービス残業は当り前。ミスをすればすぐに社長の怒鳴り声がフロア全体に響き渡る。
その日も俺は社長に怒鳴られまくって、耳がきんきんと痛んでいた。
吊り革につかまって、うつらうつらとしているうちに最寄り駅に着いた。
異世界で暮らしていた時のことが、もう遠い昔のようだ。
テルディオの人々のために、俺は俺なりに、必死に戦ってきたつもりだった。
しかし、その結果、俺には何も残らなかった。テルディオの世界で俺は、怪我や病気を治療する『神聖魔法』を使うことができたが、日本に戻ってからはその力も失われていた。
俺の7年間っていったい何だったんだろうな……。
高校時代の友人たちが青春を謳歌して、大学に行って、就職活動をして、社会人になり、必死に働いている間。俺はひたすら眠り続けていたことになっている。
テルディオで過ごした7年間を思い起こすと、どうしようもない虚無感に苛まれた。
だから、俺はなるべく思い出さないようにしていた。テルディオでの生活のことも、そこで出会った人たちのことも……そして、ユリウスのことも。
気が付けば、自宅の前に着いていた。最低限の家賃で借りることができた、ボロアパートの2階。それが今の俺の住居だ。
階段をカンカンと鳴らして、上階へと登り――そこで俺は足を止めた。
俺の部屋の前に人がうずくまっていたのだ。
薄暗くてよく見えないが、どうやら外人のようだ。彼の髪は綺麗な銀色をしていた。ドキリと胸が痛んだのは、一瞬、アイツのことを思い出してしまったからで。
そんな都合のいいことあるわけがないと、俺はその考えを振り払おうとしたが――
「……伸太郎?」
今度は心臓が口から飛び出るかと思った。
心細そうに俺の名を呼んだ声は、まぎれもなくユリウスのものだったからだ。
ばくばくと鳴る鼓動の音がうるさい。
「ユリウス……?」
自分の声が自分のものじゃないみたいだ。
夢か? これは夢じゃないのか?
何でこいつがここにいるんだ……?
呆然と立ち尽くす俺。
一方、ユリウスはパッと笑顔になって、立ち上がった。
そして、
「伸太郎……! 会いたかった!」
俺の胸に飛びこんでくる。
「なっ……!?」
バランスを崩して、俺は床に尻を打ち付ける。
じんじんと痛む尻が、これは夢ではないのだと俺に事実を突きつけてくるのだった。
◇
狭い部屋の中で、俺とユリウスは向かい合っていた。
「何でお前がここにいるんだよ……」
未だに実感が湧かなくて、頭の中がふわふわとしている。
俺の弱々しい声に反して、ユリウスはきっぱりと答えた。
「伸太郎に会いに来たに決まっているだろ」
まっすぐな言葉と、視線だった。
心臓が痛んで、呼吸の仕方も忘れてしまったかのように、胸全体が苦しくなって。
目頭が熱くなってきてしまう。だが、俺はその感情をすべて呑みこんだ。
「……帰れよ」
努めて、冷静な声を出す。
「テルディオに帰れ。ここはお前のいていい場所じゃない」
ユリウスが目を見開く。そして、寂しそうに俯いた。
しょんぼりとした顔が、記憶の中にあるものよりもかわいらしく見えて、俺はそうとう参っているなと自分でも思った。
雰囲気が変わって見えるのは、きっと髪型のせいだろう。
テルディオにいた頃は背中まであった長い銀髪が、今はすっかり短くなっている。その上、服装もテルディオで見慣れたものとは異なり、現代風なコーディネートだった。ジャケットとシャツ、下はジーンズ。日本で浮かないようにどこかで買い揃えたのだろうか?
新鮮な髪型と服装のせいで、青年というよりも少年のように見える。
「俺は君に会いたかった。君は俺に会いたくなかったのか?」
「それは……」
会いたかったに……決まってるじゃねえか。
でも、それを口にしてはいけない気がした。
テルディオに住む人は皆、こいつのことを必要として、慕っている。俺だけが独占していいような男じゃないんだよ、お前は。
「こんなところまで追いかけてくるなんて、迷惑なんだよ。俺には俺の生活がある」
「迷惑……」
ぽつりとユリウスが呟く。
そして、悲しそうな碧眼で俺を見据えた。
「俺のことが嫌いになったのか?」
「そうじゃねえよ……そうじゃなくてだなあ……」
いろいろな感情が噴き出して、頭の中がぐちゃぐちゃになる。
俺はテーブルを叩いてしまっていた。
「嫌なんだよ……! お前らの国の事情にこれ以上、巻きこまれるのは……! 俺のことはもう放っておいてくれよ」
くそっ、情けねえ。冷静に話をすることもできないなんて。
でも、それだけ今の俺は参っていた。
こいつの顔を見ているだけで、泣いてすがりたくなってしまうほどに。
でも、そんなことはできない。こいつは優しいから、俺がすがってしまったら、日本から離れられなくなってしまうだろう。
ユリウスは異世界の人間だ。日本での生活になじめるとは思えない。こいつの一生を俺の都合で、日本に縛りつけることなんて、とてもじゃないができなかった。
ユリウスがゆっくりと俺の腕に手を重ねてくる。
「本当に、嫌だと思ってる……?」
ドキリとする。
まるでこちらの心をすべて見透かしているかのような冷静な声だった。
俺は何も言えなかった。静寂が満ちる。時計の秒針がカチコチと鳴り響いていた。
「もうこんな時間か……」
ユリウスが息を吐く。
そして、立ち上がった。
「あんまり帰りが遅くなると怒られるから、今日はもう帰る。明日もまた来るから。見せたいものがあるんだ」
「は……?」
俺はその言葉に唖然とする。
帰るって……いったいどこに?
っていうか、「怒られる」って誰にだよ?
◇
その疑問は次の日の夜、解消された。
残業を終えてアパートへと帰ると、ユリウスが昨日と同様、玄関の前で待っていた。
俺はその姿を見て仰天する。
「……俺はもう、テルディオには帰れないんだ」
昨日は気が付かなかったが――ユリウスの目線は俺よりも低くなっている。テルディオにいた頃は、俺よりも高い位置にあったはずなのに、だ。
顔つきは前よりも精悍さが欠けて、わずかに幼さを残している。
それもそのはず。
ユリウスが身を包んでいるのは、|高校生の制服(・・・・・・)だったからだ。紺色のブレザーは、この辺りでは有名な私立高校のものだ。
テルディオで勇者と呼ばれていた男が、高校生になっちまった――。
あまりの出来事に俺はもう固まるしかない。
「俺は一度死んで、日本に転生したんだよ」
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