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第4話 これからと、それからの。

「健二郎さん!」 思いの外、声が通って。 BGMのジャズの音が比較的大きい、待ち合わせ場所のカフェの店内の何人かが、驚いて僕の方を見た。 恥ずかしい……? ううん、全く。 視線は気になるけど、僕は全然気にならない。 だって僕には、僕に向けられた健二郎さんの笑顔だけあればいい。 「卒業おめでとう、みつる君」 「ありがとう、健二郎さん」 「卒業証書、見せてくれる?」 「じゃーん!あとね、優秀賞ももらっちゃった」 「すごいなぁ!」 「僕だけの力じゃないよ!健二郎さんが勉強を教えてくれたからだよ!」 「じゃあ、さらにお祝いしなきゃね」 「いいの?やった!」 「じゃあ、行こうか。みんな待ってるよ」 「うん!………」 高校を卒業したっていう嬉しさと、これから行われることの期待で。 胸が高鳴るくらい楽しみなのに………。 どことなく、緊張して、少し不安になって。 席を立とうとする健二郎さんの、その手をギュッと握りしめてしまった。 「どうしたの?みつる君」 「うん………。色々あったなぁって、この3年間。………今から先、は………どうなるのかなって」 気分は高揚しているハズなのに。 緊張のせいか多少冷たくなった僕の手を、健二郎さんは力強く、それでいて優しく握り返した。 「不安?」 「まぁ、少しは………」 「大丈夫だよ。もう二度と、みつる君から離れたりしないから」 「約束、だからね?健二郎さん」 「うん。もちろん」 そう、この3年間。 アオハルな高校3年間を夢見ていたにもかかわらず、僕の理想と予想に反して、僕と僕の周りの環境は、目まぐるしく変わった。 だから、僕が不安になるのも当たり前で。 健二郎さんは、そんな僕の不安を取り除くかのように、僕の手を引いて力強い足取りでカフェを出た。 ………うん、そうだ。 健二郎さんの力強い足取りに負けちゃいけない………。 僕だって!! 前を向かなきゃ、健二郎さんと並んで歩かなきゃ!! 少し引っ張らて歩いてた感が否めない僕は、健二郎さんに並んで歩くように歩を速めたんだ。 2年半前、僕は生まれて初めて、運命のチカラを信じた。 「健二郎さん。今まで、どこにいたの?」 年甲斐もなく、迷子のガキみたいに真夏の路上で泣く僕は、健二郎さんに引き込まれた車中で、ひとしきり健二郎さんにしがみついて泣いていた。 僕は、健二郎さんの変わらない香りと体温に少し落ち着いて、しゃくり上げながら聞いたんだ。 「うん、病院」 「僕の……せい?」 「違う、俺のせい。あの時、みつる君のフェロモンに耐えきれなくて、ピルをオーバードーズしてしまって………本当に、咄嗟で………。でも、焼け石に水ってこのことだったんだってくらい………抗えなかった」 「………健二郎、さん」 僕が突然、ヒートを起こしたから悪いのに………僕のことを一切責めずに、僕に優しく笑いかけてる。 ………そんな顔しないでよ。 せっかく会えて嬉しいのに、胸が苦しくなっちゃうよ。 「さっきまで病院にいてさ、俺」 「えっ?!」 「ピルの副作用で、ずっと眠り呆けてたんだ」 「……えーっ?!」 何?!どういうこと?! それって、あれだよね??? 昏睡状態ってヤツだよね??? どうりで、はじめちゃんも順一郎さんも、口が重たかったハズだよ………。 そう思った瞬間、健二郎さんに対して色んな疑問が湧いてきた。 「健二郎さん!病院からでてきて大丈夫なの?!しかも車、運転してきたの?!………え?!ってか、車どうしたの?!健二郎、さん………??え???」 途端に、健二郎さんがバツの悪そうな顔をする。 「抜け出した」 「………え?」 「車は、お見舞いに来てた順一郎のを………その、拝借して」 「え?!」 「要は、黙って借りてきたんだけど」 「えーっ!!」 健二郎さんの大胆な行動に驚きすぎて、僕は叫び声を上げることしかできなかった。 健二郎さんって、こんなことする人だったっけ??? スマートで洗練されてて、僕の憧れで………理想の人じゃなかったっけ??? そんな多少なりとも、いや、かなり動揺している僕の体を引き寄せて、健二郎さんは包み込むように抱きしめながら言った。 「………寝てる俺に、みつる君の声が聞こえた」 「え?」 「〝健二郎さん、元気かなぁ……〟って。すごく懐かしくて、すごく胸に響いて。みつる君に会いたいって思った」 今朝、空を眺めて思わず呟いた、その言葉。 約4カ月ぶりくらいに、健二郎さんの名前を声に出して………。 まさかそれが、健二郎さんに届いていたなんて。 まさかそれが………健二郎さんを目覚めさせるきっかけになったなんて。 ………運命以外、なにものでもない。 僕と健二郎さんは、疑いようもなく………運命じゃん。 「………っ!!」 涙が、また溢れ出す。 僕の涙のタンクは、どうかなっちゃったのかもしれない。 涙が止まらない………。 枯れない泉みたいに、止まらない。 「みつる君、もう泣かないで………。お願いだから、ね」 「もっと……もっと、早く。早く健二郎さんの名前を呼ぶんだった。声に出して………ちゃんと、呼ぶんだった………」 「………みつる君」 「繋がってるって、分かってたのに。 健二郎さんに会いたかったのに、僕は弱いから………。 億劫になって、現実から逃げて………。 そんなことをしても何にもならないって、分かってたのに」 会いたかったんだよ、健二郎さんに。 会いたかったけど………。 そんなこと、ワガママだって。 健二郎さんにも何か事情があるから、僕に会えないんだって。 無理して、物分かりのいいフリして。 ずっと、その気持ちにフタをして………苦しかった。 でも………もう、いいんだよね?  もう………我慢しなくて、いいんだよね? 僕は健二郎さんの肩に手を回して、そっと健二郎さんに唇を近づけた。 考えてみたら………僕、健二郎さんとちゃんとキス、したことない………んじゃないかな。 吐息が、交差して………唇を重ねる。 キスなんてほとんど未経験の僕は、おおよそ健二郎さんのリードで、深く熱のこもったキスをして………。 首の後ろの、健二郎さんが付けた証が疼きだす。 キスをして、舌を絡めただけでもわかる………。 健二郎さんは、僕の運命なんだって。 「……んっ、ん……はぁ………健二郎、さ」 「………あはは」 「何?………健二郎さん………何、笑ってるの?」 「考えたら、結構やらかしたなって。 勝手に病院も抜け出したし、車も勝手に乗ってきちゃったし。帰ったら順一郎に怒られるよなぁ」 後ろ向きな事を言っている割には、健二郎さんのその笑顔は晴れ晴れとして、何も迷いなんかなくて。 ………僕は、ようやく………心の底から、安心した。 「僕も、謝ってあげる。一緒に」 「本当に?」 「うん。だから、今は………。僕だけを見て、健二郎さん」 僕と健二郎さんの体が、距離を詰めるように引き寄せあったら。 また、キスをしたんだ。 長かった………お互いの欠けた4カ月を埋めるように。 2人なら、怖くない。 僕はオメガで、弱いし、どうしようもないけど。 今度は僕が、健二郎さんを守ってあげるんだ。 ✳︎✳︎✳︎ 朝、洗面所でヒゲを剃ってたら、昇三郎がオレをじっと見て言った。 「つぐむって、ヒゲはえるの?」 「はえるよ?薄いけど」 「………へぇ、大人だなぁ。やっぱり」 「何?どうしたの?昇」 「俺、ヒゲとか、あんまり生えなくて」 「生えなくていいよ」 「えー?!はやしてみたいよ!カッコいいし」 「いいこと教えてやろうか?」 「何?」 「ヒゲ濃いと、ハゲるらしいぜ?」 「?!」 「って、噂だけどな」 「つぐむーっ!!」 「ほら、昇。早く準備しないと。置いてくぞ?」 「あ、待って!待ってよ!」 昇三郎と付き合いだして、まもなく4カ月。 だいぶ会話も態度もスムーズになってきた頃、学生の俺たちは長くて暑い夏休みに突入していた。 学生だから、ハジケて遊びまくってると思ってるだろうけど。 推薦枠を目指しているとは言え、オレと同じ大学を目指す受験生の昇三郎に付き合って、オレは花の夏休みをだいたい図書館で過ごしていた。 昇三郎の補習がある時は、それが終わってから。 それがない時は朝から図書館に行って勉強して、お昼ははじめ兄が作った弁当を食べて、また勉強。 だいたい5時くらいになったら、いつものコーヒーショップに寄って、糖分チャージしてから家に帰る。 健全、高潔。 従って、あれからシてない。 目の前に愛しい恋人がいるってのに、オレは禁欲生活を強いられているんだ。 それには理由があって。 ………みつると健二郎さんのこと。 健二郎さんはみつるのヒートに当てられて昏睡状態だし。 みつるはみんなに心配かけまいと、妙に笑顔だったり、変にテンション高かったりして不安定だし。 何事もなかったかのように、オレたちは普通に接している。 ………しているんだけど、やっぱりヒートを連想させるような行為をしようという行動が起こせなくて………ズルズル。 結局、昇三郎と特にエロいことなど何もしないまま、夏という季節になってしまった。 ………あと少ししたら、6カ月。 このまま、何にもしないまま。 〝番じゃないけど、番のような関係になった〟既成事実のみで、オレたちの関係はフェードアウトしてしまうんだろうか。 「………うん、分かった。じゃ、どっか飯でも食べてから帰るよ」 「何?はじめさん?」 いつものコーヒーショップで糖分補給中に、はじめ兄から電話がきて、その会話をかいつまんで聞いていた昇三郎が、真っ直ぐな眼差しでオレをのぞき込んだ。 「うん。………健二郎さんが、退院したって」 「………そっか。よかった。ひとまず安心した」 よっぽど安心したのか。 実の兄に吉報にその瞳の力を一瞬緩ませるも、昇三郎の表情はすぐ真剣な面持ちへと変わった。 「みつるのこととか、色々話さなきゃならないことがあるから、ちょっとどっかで時間潰してくれって」 「…………うん。うまくいけば………健二郎もみつる君も、幸せになってほしい」 「そうだな」 「………つぐむ」 「何?」 「俺、つぐむと一緒に行きたいところあるんだけど」 「うん、いいよ。せっかくできたフリータイムだ。楽しもっか?」 「うん」 と、満面の笑みを浮かべる昇三郎があまりにもかわいくて、ぼんやりしながらノコノコついて行って、着いたところが………。 「ラブホって、なんだよ。どういうことだよ、昇」 「………だって」 不機嫌に顔をしかめて、視線を逸らした昇三郎がおもむろに着ていた服を脱ぎだした。 「……昇!!おまえっ……!!」 それ、なんだよ。 いつの間に、そんな………自らを追い込むような、自らを開発するような。 全裸になって、半ばヤケクソな表情をした昇三郎の下の方。 尻の間から見え隠れするのは、そういうオモチャなんじゃないのか??? そんなクソエロい昇三郎の姿に、頭がクラクラして言葉も出てこない。 でも………その強気な表面とオレのためにトンデモナイモノを、大事なトコに入れてしまってるいじらしい内面に、身体中がファーッと熱を帯びてきた。 ヤベ………これは、ヤバいぞ。 「俺、ずっと準備して待ってたんだよ!!夏休みに入ってからずっと!!ずーっと」 顔を真っ赤にして、それでも強気で訴える昇三郎が、さらにカバンからオーデコロンを取り出してこれでもかってくらい身体中に撒き散らす。 「な、なにやってんだよ!昇」 「俺っ!オメガじゃないから!!………つぐむが飽きたんじゃねぇかって。………だから、俺に手ェ出さないし、何もしてこないんだ………。だから!!少しでもオメガに………運命の番に近づいたら、そうしたら、俺のこと!………愛してくれるんじゃ、ねぇかって」 ………なんだよ、それ。 いじらしすぎて、かわいすぎて、キュン死するだろっ!! ………もうちょっと、このキュン死寸前の状態を維持したいけど。 ってか、オレがそもそも限界なんだが………。 「昇……そんなことして欲しいけど、しなくていいよ」 「は?」 外気の暑さで汗ばんでいるのか、自分を追い込んで汗ばんでいるのか分からない昇三郎の細い体を、オレは折れんばかりに抱きしめた。 「昇は昇だよ。オレのためにこんなことをしてくれるなんて、嬉しいんだけどさ。オメガにならなくていいんだよ。………オレは昇が好きなんだよ」 「じゃ、なんで………」 「オレだって、昇に触れたかった。………ずっとこうしたかった。でも………雰囲気的に無理だったろ?こういうの、さ。…………ごめんな、昇。こんなことをさせてしまうまで、放置してしまって」 今まで我慢を重ねて、嫌というほど蓄積された昇三郎への思いが止まらないオレは、昇三郎の体を反転させて、薄くて形の良い昇三郎の唇にキスをした。 昇三郎はいつもそうだ。 一人で考え込んで、一人で悩んで。 なんでもない顔をして、強気にスカしてるくせにオレのことを一番に考えてて。 オレだけが知ってる、本当の昇三郎。 だから、こんなにも狂おしいほど愛おしい。 「昇………シャワー、行く?」 「うん………。つぐむ、後ろ………おまえが抜けよ」 「分かってる、昇」 外は暑いけど、シャワーの湯気が顔を上気させて心地いい。 オレは昇三郎を浴室の壁に手をつかせて後ろ向きにさせると、その中からエグい形のオモチャを取り出した。 「んぁ!」 その瞬間、昇三郎がいい声で鳴く。 「また、どこでこんなものを………」 「順一郎の………アカウントを使って………。通販で」 「おまえ………順一郎さんに怒られるぞ?」 「覚悟の………上」 昇三郎の中に手を入れると、熱くて柔らかい上にてグズグズになって、今にも欲望にオチそうな体をしているのに。 ………昇三郎のその目は、意思が強くて真っ直ぐで。 …………ヤバい。 オレの好きな昇三郎は、やっぱりこうでなくちゃ。 「勘違いしてるみたいだから言うけどな、昇。 オメガとか、ベータとか、関係ないんだよ。 オレは昇しかいらない。昇がいいんだ。 オレがアルファだから、信じきれないんだろうけど。 ………オレは、昇を裏切らない。 ………昇がすべてなんだよ」 もう、無理だ。 昇三郎の中に、挿入したい。 「んっ……んぁ………や、つぐ……む」 「……昇………ヤバ………好きだ……昇」 長い間、お互いをお預け状態していたせいか、オレも昇三郎も限界に近いくらい………感じて、イッて。 せっかくラブホってトコにきたのに、風呂場で終わっちゃいそうだ。 「つ……ぐ、む」 「………昇」 「選んで………くれて…………ありがと」 本当は、こんなことしてる場合じゃないんだけどな。 健二郎さんが目を覚まして、みつると今後どうするのか、ちゃんと話を聞かなきゃなんないんだけど。 今は、もう。 ………昇三郎のことしか、考えられないんだ。 これさ、もう………運命でいいだろ? オレと昇三郎は、運命なんだ。 「つぐむ、早く!!もう、みつるもついちまうよ!!」 大学生になった昇三郎は、あれから少し背も伸びて、少しだけ念願のヒゲも生えるようになって。 いつの間にか、大人になっていた。 オレはというと、研究がしたくて大学院に進んで。 目下、教授の助教目指して勉強中の身。 今日も研究にあけくれて、大事な日だというのに遅刻しそうになっている。 昇三郎がいなかったら、完全にヤバかった。 「ちょっと………待って。昇、待ってって」 「つぐむは運動不足だよ!まだ、若いのに!」 「じゃあ、相手してくれる?」 「!!……バカっ!!今、そんなこと言ってる場合じゃないだろ!!」 オレの大好きな純情少年は、純情のままクソエロく成長して、オレの理想そのものすぎて思わず顔が綻んでしまう。 研究ばっかして、体力がガタ落ちしたオレを庇うように、昇三郎はオレの手を強く握って力強く引っ張って早足で歩きだした。 その、笑顔も。 その、真っ直ぐな眼差しも。 全部、オレのもの。 だって、昇三郎はオレの運命を突き動かす、チカラの源なんだ。 ✳︎✳︎✳︎ つぐむもみつるも、遅い………。 約束の時間まで、あと10分。 五分前行動、三歩以上駆け足だろ!! 〝今日は絶対遅れるな?絶対だぞ?絶っ対だからな?〟って、威圧感満載で言い放ったんだよ、俺は。 そう言えば、最近。 つぐむもみつるも、昔みたいな素直さがない。 ほんの3年前ほどのアイツらなら「うん、わかった。はじめ兄。若しくは、はじめちゃん」と、にっこり笑って言ってくれていたハズなのに。 最近は、やれ「忙しくてさ、忘れてた。ごめん、はじめ兄。若しくは、はじめちゃん」だの「わかってるって!はじめ兄。若しくは、はじめちゃん」だの。 やたらと俺の言うことを聞かなくなってしまったような気がする。 ………2人とも、大人になったんだなぁ。 ………? ………今、俺。 すげぇ、父親みたいな感じになってなかったか?? ………寂しい、けど。 大人になってる証拠だ。 その内「はじめ兄。若しくは、はじめちゃん」なんて言われなくなるんだろうなぁ。 「パぁパ」 「おっ!きよら!!かわいいなぁ!!順パパにしてもらったのか?」 だいぶ歩きも真っ直ぐ、しっかりしてきた子どもが、俺の膝にしがみついてかわいい声で小さく俺を「パパ」と呼ぶ。 白いレースのドレスを着て、髪は………まぁ、産毛が細くて薄いけど………頭にヘアバンドみたいな花の飾りをつけて、にっこり笑うその様は。 天使だろ、天使!! 小さい頃のみつるに似てんだよなぁ。 愛嬌がいいとことか、髪の毛が少ないとことか。 みつるもしょっちゅう、女の子に間違われてたし。 俺の足にまとわりつく天使のような我が子を、俺は抱き上げて、その柔らかすぎる頬にキスをした。 「そんなことできるの、今だけだよ?はじめ」 「だよなぁ。小学生くらいになったら、『やめて〜、はじめパパ〜』とか言われるんだろうなぁ」 いつの間にか。 スッキリとスーツを着こなした順一郎が俺の後ろに立っていて、予想した少し悲しい未来を口にした。 思わず俺も想像に難くない、そのリアルな近い未来を口にしてしまった。 きよらは、俺と順一郎の子どもだ。 もうすぐ、1歳半になる。 ヤローばっかに囲まれてたきよらは、菊浦家、七村家双方にとって、母親以外の唯一の女の子で。 その愛敬とその可愛らしさで、ほぼほぼお姫様化してしまって。 両家のヤローどもは、きよらにメロメロになっているんだ。 「調子はどう?順一郎」 「うん、今日はだいぶ平気。ごめんね、はじめ。色々してもらって。きよらの時は悪阻なんてなかったのに、2人目も一緒だなんて限らないんだな。初めて知ったよ」 そう気まずそうに言った順一郎は、まだ薄っぺらいお腹にそっと手を添えた。 「気にすんな、順一郎。………やっと、この日が迎えられたんだ。この3年間に対するケジメがようやく着く。それがあっての、俺たちの〝それからとこれから〟が始まるんだ」 約2年半前ー。 健二郎が病院を抜け出して、みつると感動と運命の再会を果たしたあの日。 平和だったペントハウスが、一変、今世紀最大級の修羅場に陥った。 病院からの逃走を強行した上に、順一郎の愛車であるランボルギーニ・カウンタックを窃盗して、みつるに会いに行った健二郎のことを。 初めて見るんじゃないかってくらい鬼の形相をした順一郎が、これまた身を縮ませて小さくなっている健二郎に対して、これ以上はヤバいってくらい責め立てる。 挙げ句の果てには、怒りに任せてみつるとの番の関係にまで言及したため、日頃ニコニコしてガキっぽいみつるが、マジギレをしたんだ。 あんなに鋭い、放たれた矢のように感情をストレートにぶつけるみつるを見たのは、産まれてこの方初めて見て。 「健二郎さんと離れるくらいなら!僕、健二郎さんと駆け落ちする!!」 ………駆け落ちってよぉ、みつる。 おまえ、いくつだよ。 ………火サスの見過ぎだっつーの。 昨今の高校生で、一体どのくらいのヤツが〝駆け落ち〟なんて言葉使うんだよ。 あれだな。 小さい頃、母親と一緒に見ていた火サスの英才教育の成果が今、開花したんだな。 「でもね、みつる君。健二郎の浅はかな考えで君を危険な目に合わせて、君の身も心も傷付けたのには変わりないんだ。だから、みつる君と健二郎は、離れた方がいい」 「〝運命〟だと、したら?」 「…………」 「僕には分かる!僕は、健二郎さんと運命の番なんだ!!離れられないんだよ!!」 淀みなくまくし立てるみつるに、順一郎は首を左右に振ってため息をついた。 「絆されてるんだよ、みつる君。 こんなこと言うのはなんだけど。 健二郎は、君の初めの人だったんじゃないのかい? 同じオメガだから言う。 運命なんてそう易々と見つかるはずがない。 君が、勘違いしているだけなんだよ、みつる君」 こ、こういうのって、やっぱそういう……さ。 オメガ性ならオメガ性が、アルファ性ならアルファ性がとか、同じ性の人生の先輩が言った言葉の方が何十倍、何百倍と説得力がある。 例にももれず。 俺は、バチバチ火花が飛び散るこの龍虎の戦いの如き光景を、傍観するしかなくて。 日頃、みつるの保護者よろしく粋がっていた俺は、オメガ同士の〝オメガの運命とはなんたるものか〟という言い争いに、首を突っ込むことすら出来ず、身の置き所を懸命に探していた。 アルファのつぐむのことも。 オメガのみつるのことも。 俺は七村家の長男だし、分け隔てなく同じ腹から産まれて、同じ釜の飯を食って、2人のことなんて全部分かってるつもりでいた。 でも、俺なんて。 ………なんにも。 なんにも、分かっちゃいなかった。  なら、分かるためには? みんなが、いい方向に向かうためには? 幸せになるためには………。 俺は、どうしたらいい? どう………したら………? …………素直に、思ってることをぶつけるしか………ない!! 「みつる、俺、おまえに言わなきゃならないことがある」 「………こんな時に、何?!くだらないことなら聞かな」 「俺、順一郎さんと結婚を前提に付き合ってる。というか、すでにそういう関係になってる」 「はぁ?!」 「今まで黙っててごめん。俺はオメガじゃないし、アルファでもないし。みつるの言う運命とかよく分からない。それにその運命が正しいのかも分からない。だから、その………俺から………提案したいんだけど」 「提案?」 順一郎とみつるが、呆気にとられたかのように同じ言葉を同時に呟いた。 「うん。みつるが高校を卒業するまで、みつるが信じた運命をじっくり見極めるってのは、どう?」 「………じゃあ、順一郎さんは?順一郎さんのいい分とはじめちゃんたちの身の振り方は?」 間髪入れず、かわいい顔には似つかわしくない鋭い目つきで、俺を睨みながらみつるが言う。 「みつるの運命とは真逆にいる俺たちも、みつるが卒業するまで、順一郎さんに運命の番が現れるか見極める。それでいいか?」 「……………」 「俺だって、真剣だ。 俺はベータだから、もちろん順一郎さんの運命じゃない。 いつ順一郎さんの運命が目の前に現れるかもしれないのは、重々承知だ。 だけど………俺だって、順一郎さんが好きなんだ。 みつるが健二郎さんを思うくらい、俺だって順一郎さんを心の底から愛してる」 「はじめちゃん………」 「だから、賭けをしないか?」 「賭け?」 「みつるが高校を卒業した日。 みつるは自分の信じた運命を貫けているか。 俺は順一郎さんの定められた運命に打ち勝っているか。 その日にハッキリ、ケジメをつけようぜ」 どのみち、半年なんて短すぎると思ったんだ。 半年で、どうこうできる問題でもない。 俺は順一郎さんが好きだけど、運命なんて関係ないと思ったけど………半年で英断できるだけの魅力も自信も備わってないことくらい分かってる。 みつるだって、そうに違いない。 だから………ちゃんと、見極めなきゃ。 俺たちの人生なんだ。 自分たちで、きっちり決めなきゃ意味がない。 「………つぐむちゃん、たちは?そんなこと、つぐむちゃんたちにとったら………。とんだとばっちりじゃん」 「つぐむも一緒だよ」 「は?」 「俺たちと一緒。愛しの昇三郎くんとのこと、ちゃんと見極めればいいんだ。………まぁ、あいつは人一倍達観してて、冷静だから………いち早く見極めるんだろうな、こういうの」 ………みつるは、知らなかったんだな………つぐむと昇三郎くんのこと。 呆気にとられてるんだか、賭けに負けたくないんだか、複雑な顔をしたみつるの顔と。 呆然とした順一郎と健二郎の顔と。 俺はなんだか嬉しくなった。 これから、なんだよ。 まだ、終わっちゃいない。 経験した糧を〝それから〟に活かすのは、〝これから〟なんだよ。 「あ、わんわん」 抱き上げた我が子が指をさして「わんわん」と言った先には、馬子にも衣装ばりにスーツを着こなしたつぐむと昇三郎が立っていて。 その自然な2人の笑顔から、俺はすぐ勘づいてしまった。 「きよら〜。オレ、つぐむだよ?わんわんじゃないよ?」 「わりぃ。最近、なんでも〝わんわん〟なんだよ、きよらは」 「いいよ。きよらはかわいいから、なんでも許せる」 「2人で来たってことは、もう腹を括ったんだな」 「うん、もちろん。………オレには、昇しかいない」 「お、俺も!俺もです!!つぐむ……さんしかいません!!」 「そう言うと思ったよ」 物事を達観していて、しっかりしているつぐむだけど、意外とマイペースで。 それをその純粋さでカバーする昇三郎は、とてもお似合いで。 俺も、2人につられて笑ってしまった。 あの日、俺が出した提案。 〝みつるの高校卒業の日、ちょうどこの生活を始めて3年になるその日に。 お互いの愛する人、一生を添い遂げようと決めた人をここに連れてくる。 運命でも、そうじゃなくてもいい。 見つからなかった場合は、来なくても構わない。 みんながそれぞれのパートナーを連れてきたら、俺の勝ち。 1人でもこなかったらみつるの勝ち。 ………みんなが揃ったら、ここでみんなして結婚式をしよう。 揃わなかったら………それぞれ、干渉し合わない別の人生を歩むんだ。いいだろ?みつる〟 本当に、ある意味賭けだったんだ。 特に俺は………順一郎の〝運命〟がいつ現れるか気が気じゃなくて………。 この中で一番アブナイ橋を渡っていたのは、実は俺だったりする。 でも、順一郎との間にきよらを授かって、順一郎との絆が深くなって………さらに幸せなことに、2人目まで授かることができるなんて。 俺にとっちゃ、それは奇跡で、運命で。 これから先、順一郎に〝運命〟が現れたとしても、その運命を跳ね返す絶対に揺るがない自信が、俺には備わったんだ。 ………あれだな。 ファイナルファンタジーの無敵スーツが無期限になって、それを着た俺、みたいな? ………あとは、みつるを………待つばかり。 提案をしたあの日以降、俺もつぐむもみつるも、以前のようにいたって普通に過ごしていた。 相変わらず、無垢な笑顔で「はじめちゃん」って頼ってくるみつるがいて。 それを優しく見守る健二郎がいて。 きよらが産まれた時だって、2人して感涙しながら喜んでたし。 でも………アイツの本心まで、探りたくなかった。 だから、今日も。 いつもどおりの、感じで。 いつもどおりの、口調で。 ………どうするか、みつるが………ちゃんと、決めなきゃ………意味がないんだ。 「あ、わんわん」 きよらが、出入り口を指さしてかわいい声で言った。 ………密かな、期待と。 ………予測する、絶望が。 交差する、交錯する。 「きよら〜。みつるだよ、みつる!わんわんじゃないってば!」 「………みつる」 その声……みつる。 明るい声の方に目を向けると、みつると健二郎が………幸せそうな笑みを浮かべて、姿を現してくれて………。 一気に、顔が熱くなって…………。 気分が高揚する感覚に陥った。 ………よかった。 「………賭け、負けちゃった」 「もう、関係ねぇよ。………来てくれて、ありがとう。みつる」 「僕の方こそありがとう、はじめちゃん。………あの時、あのまま順一郎さんと言い合いをしてたら、きっとこんな風にはなってなかったハズだ。はじめちゃん、僕を信じてくれて………ありがとう」 「じゃあ、始めようか。俺たちだけの、結婚式だ。もう四の五を言ってもダメだからな?」 本当に、ささやかな。 本当に、幸せな。 いい結婚式だった。 こじんまりと指輪の交換をして、お互いの3年間の積もる思い出話をして。 ………このペントハウスに一歩踏み入れた時の、あの、居心地の悪い感情とは全く正反対の立場と環境に、俺は思わず苦笑した。 みんなが笑顔で、みんなが幸せで。 みんなの〝それからとこれから〟が、容易に想像できるんだ。 「きよらが全く起きないよ?興奮してたからかな、イケメンのおじ様に囲まれて」 シャワーを浴びて、ベビーベッドにおとなしく眠るきよらの頭を愛おしそうに軽く撫でた順一郎が優しく呟いた。 「順一郎も疲れただろ?ゆっくりおやすみ」 「………はじめ」 順一郎がベッドに横たわると同時に、先にベッドに入っていた俺に体を預けるように唇を重ねて、耐えきれない感じで、激しく熱く、舌を絡めだす。 ………初めて、順一郎と体を重ねた時の感覚が、ブワッと鳥肌が立つくらい鮮明に蘇った。 「挿入れないけど………今日は、抱いてほしい。はじめに…………抱いてほしい」 強気なキスと強引な押しをする順一郎なのに、その瞳は不安げに揺れて、その表情は生娘のように恥ずかしげで。 ………ヤバい、なぁ。 そんなことされると、断れないじゃないか。 「………そうだね。これからの俺たちの記念すべき日だから………。2人で、気持ちよくなろうか?」 「うん………。うん……はじめ。………好き」 「俺もだ、順一郎」 身勝手な約束から始まって、半年で結果は出ていたようで出てなくて。 愛しい人となら、いくらでも時間をかけていい。 だって、そうだろ? それから、愛が深くなって。   これから、愛が育っていくんだから。

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