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第3話 α×Ω
「みつるが嘘ついたバツだ。中間テストが終わるまで外出禁止。いいな」
「…………」
………ひどい。
あんなに怖い顔をしたはじめちゃんを見たのは初めてだし、その鬼みたいな形相から発せられた容赦ない言葉に、僕は人生で初めて〝うちひしがれる〟というのを経験した。
別に、命に関わるような嘘じゃないじゃん。
だって………。
はじめちゃんにもつぐむちゃんにも言えなかったから、結果的にこうなっちゃったワケで。
………はじめちゃんも、つぐむちゃんも、オメガじゃないから分かんないんだよ。
自分でもどうにもならないくらい………。
急速に進行していく体の変化とか。
いつもどおりの1日を過ごせるか不安でたまらなくて、朝目を覚ますとか………。
怖くてたまらない、だから。
順一郎さんに話を聞きたくて、僕の話を聞いて欲しくて、健二郎さんにお願いしただけなのに………。
「まあまあ。みつる君はオメガならではの相談をしたかっただけなんだから、そのくらいに………」
「順一郎さんは甘いっ!!そうならそうと、嘘をつかずに言うべきなんです!!そうだよな?!みつる!」
穏やかに順一郎さんが止めに入ったにも関わらず、はじめちゃんの怒りはヒートアップする一方で、とうとう「〝嘘つきは泥棒の始まり〟なんだぞ!!」なんて小学生みたいな怒られ方までされてしまった。
…………そんなに、怒んなくたって。
だって!!
怒られるのは、僕だけじゃないはずだ!!
僕が嘘をついて順一郎さんに会いに行った日。
つぐむちゃんと昇三郎さんだって、夜遅くに帰ってきたじゃないか!
つぐむちゃんだって大学には通ってるけど、まだ学生じゃん!
昇三郎さんだって、高校生じゃん!!
なんで僕だけ怒られなきゃなんないわけ?!
そう考えると、なんか理不尽に怒られてる気がして、イライラとムカムカが頭ん中でグルグルしだした。
「………はじめちゃんは、僕のことなんて分かんないじゃない」
「はぁ?!」
「嘘をついたのは悪かったけど!はじめちゃんたちに心配をかけたくなかったの!!はじめちゃんは大人なんだから、やむを得ずついた嘘だってことくらいわかってよ!!」
「はぁぁ?!?!」
バチン!
鈍い音が耳の近くで響いたと同時に、左頬にジワっとした痛みが広がる。
………ぶ、ぶたれた。
お母さんにもお父さんにも、ぶたれたことないのにっ!!
「心配するのは当然なんだ、このバカタレッ!!そんな時くらいだからこそ、家族に頼れっ!!くだならない嘘を正当化するな!!」
「………ぶ、ぶたなくてもいいじゃん!!」
「嘘つかれた方は、その程度の痛さじゃないんだよ!!」
「………!!……はじめちゃんのバカッ!!」
「おまえの方がバカだろ!!」
これ以上ここにいたら、殴り合いになってしまう。
悔しいけど、今の僕じゃはじめちゃんには敵わないから………。
僕は踵を返して自室に走り出して、人ん家にも関わらず、僕は力を込めてその勢いでドアを閉めた。
派手な音がペントハウス中に響き渡る。
………あーあ、僕。
思春期ドラマで、ありがちなことしてんじゃん。
でも、本当に心配かけたくなかったんだよ。
オメガなのは僕で、僕はオメガとして大人にならなくちゃいけないから、はじめちゃんたちに頼ってばっかりじゃいけないんだって………。
いくらオメガを意識せずに育ったからとはいえ、意識せざるを得ない状況にまできているんだ、僕の体は。
………優しすぎるんだよ、はじめちゃんもつぐむちゃんも。
優しすぎるから、頼ってしまう。
頼ってしまうから、弱くなる。
だから僕は、成長しない。
僕は、僕自身を守れなくなってしまう。
こればっかりは………。
大人のオメガになるためには、僕は一人でなんとかしなきゃいけないんだ。
「………っ!!………泣かない……ってば!!」
ドアに背中をもたれさせて、はじめちゃんに怒られたこととか、今からの事とか色んなことが頭を駆け巡って………僕は、耐えきれずに泣いてしまった。
はじめちゃんのような、強さが欲しい。
つぐむちゃんみたいな、達観した感覚が欲しい。
僕はオメガ性を乗り越えるだけの、何もかもが備わってない。
………悔しい。
………なんで、僕はオメガなんだろう。
なんで………なんで………。
この、つぐむちゃん曰く〝リアル・テラスハウス〟が始まって一か月半が過ぎた頃、高校に入学したての僕に、体の変化が突如として現れた。
自分でもわかるくらいの体臭の変化や、体温の上昇。
その体の中から湧き上がる甘ったるい香りや、ジワジワ広がるような熱に、自分自身がクラクラしだした。
朝起きて一発目に感じる、この不快感。
…………怖い、すごく………怖い。
「みつる君!!大丈夫か?!」
僕の耳に突き刺さるように入ってきたその声に、僕はハッとした。
目の前には健二郎さんの超心配そうな顔がドアップで迫っていて、僕は洗面所の床に尻もちをついていて。
………あぁ、そっか。
僕、自分の体臭に酔って貧血みたいになったんだ。
それにしても、健二郎さんはイケメンだなぁ。
そういう状況でもないのに、僕に向けられたその眼差しや表情を、いつまでも見ていられる気がする。
ドアップに耐えられる顔って、羨ましい………なんて。
こんな状況で何考えてんだ、僕は。
「大丈夫………大丈夫です。すみません、健二郎さん」
「香りが………変わった?みつる君」
ビックリ………した。
そんなこと、まだ誰にも言われてないのに。
あれかな……やっぱ、健二郎さんはアルファだからそういうのに鋭いのかな。
「………分かります、か?」
「そろそろ、抑制剤とか準備した方が………」
「あ、あああ兄たちには!………兄たちには、言わないでください!!」
「え?」
「………ただでさえ!!オメガじゃなくても、僕は兄たちに心配ばっかりかけてるから………だから!!」
気持ちが昂ると、僕からまたあの香りがブワッて体の中から立ち上がって、余計クラクラしてしまった。
早く立ち上がんなきゃいけないのに、意思と体は正反対で、足や手に全く力が入らない。
「みつる君!!」
「本当に………本当に、兄たちには………」
なんか、これ………あ、あれだ。
お父さんやはじめちゃんが、飲み会から帰ってきてあてもなく家中をフラフラ歩き回ってる、あの感じに似てるんだ。
………なーんだ。
酔っ払ってんのか、僕。
だったら、酔っ払ってトイレで寝ちゃってるはじめちゃんみたいに、僕も一眠りしてもいいよね?
「みつる君!!」
健二郎さんの声が、聞こえてはいたんだ。
でも、僕の体をガッチリ支える健二郎さんの腕が気持ちよくて、健二郎の体からスッキリした香りが微かに鼻をくすぐって………。
ヤバ………めっちゃ、気持ちいい。
僕は安眠よろしく、深く沈む意識に抵抗することを諦めた。
「…………」
すっごく、寝た気がする。
体の変化から来る不快感や不安も忘れて、ぐっすり眠った。
あれだけ体内から放出されていた甘ったるい香りも薄くなって、熱も引いて頭がスッキリして。
これまたすごく軽くなった瞼を開けたら、見知らぬ白い天井が視界に入っきて、僕は慌てて飛び起きた。
………ここ、どこ!?
飛び起きたと同時に心配そうな顔をした健二郎さんと目があって、ようやくここにいる理由を把握する。
「みつる君、気がついた?」
「………はい。もう、大丈夫です。ここって……」
「うん、オメガ専用の病院。順一郎のかかりつけだから心配しないで」
………やっぱり、やっちゃった………。
はじめちゃんたちに迷惑をかけないかわりに、僕は健二郎さんに迷惑をかけてしまったんだ。
「すみません、健二郎さん。僕、自分の体臭に酔っちゃったみたいで」
「たまにいるみたいだよ。発情期を迎えるか迎えないかくらいのオメガで、フェロモン腺がまだ開ききってないから、体内にフェロモンが蓄積されたんだって。応急処置で軽い抑制剤を点滴してもらったから、もう大丈夫だよ」
「ありがとうございます、健二郎さん。………あの、健二郎さん………」
「何?みつる君」
「このこと、やっぱり兄たちには内緒にしておいてもらえませんか?」
「どうして?倒れたんだよ?みつる君は。ちゃんと言わなきゃ、お兄さん達も心配するだろ?」
「本当に!!こればっかりは自分でどうにかしなきゃならないんです!!だから!!」
つい握りしめた手に力が入って、爪が手のひらに食い込む感じがした。
痛い、なんて分からないくらい………それくらい切羽詰まっていて、どうにかして健二郎さんに内緒にしておいて欲しかったんだ。
「………分かった」
「あ、ありがとうございます」
「そのかわり」
瞬間、穏やかだった健二郎さんの目つきが鋭くなる。
ドクッー。
自分でもビックリするくらい、心臓が震えて大きな音を立てた。
アルファ……だ。
………僕の本質の、オメガ性が反応する。
この人は、間違いなく………アルファなんだって。
「一人で抱え込まないこと」
「え?」
「俺も協力するから。一人でなんでも乗り越えようとするな」
「健二郎さん……」
「オメガ性のヒートを甘くみたら大変なことになるよ、みつる君。頼れる人がいるなら頼らないと。お兄さん達に頼るのが嫌なら、俺に頼るといい」
…………結局、こういうことになってしまうのかぁ。
それでも………。
はじめちゃんたちに負担をかけるよりは………。
「お願い………してもいいですか?健二郎さん、僕に力を貸してくれませんか?」
鋭かった健二郎さんの瞳が、いつもの穏やかな光を取り戻してにっこり笑ってくれて、僕は少しホッとした。
「いつも、小さい頃から僕は兄たちに甘えて生きて、それが当たり前で居心地よくて………。
でも兄たちだって、いつまでも僕にばっかり構っていたらいけないんです。
だから………僕は、兄たちがいなくても大丈夫だっていうのを証明したいんです。
………健二郎さんに力を貸してもらうのは、本当、本末転倒なんですけど………」
「それでいいんだよ、みつる君」
僕の力が入ったままの手を、そっと手中におさめた健二郎さんは手のひらに食い込んだ、力が入ってこわばった僕の指を一つ一つ、労わるように剥がしていく。
優しい、手つき………。
すごく、優しさが伝わって来る。
強い、群れのリーダーのようなアルファなのに、この包み込むような優しさとか………僕は、はじめちゃんたち以外で、初めて心から安心してしまったんだ。
「健二郎さんは、平気ですか?僕の……その、フェロモン……とか」
「うん。仕事柄色んな人に会うからね。オメガに反応しないようにアルファ・ピルを服用してるんだ」
「………そうなんだ。あの、早速で申し訳ないんですど………。お願いが………。僕、順一郎さんと話がしたいんです」
「順一郎と?」
「はい!オメガの先輩だし!オメガとか、そういうコミュニティみたいなの、僕あまり知らなくて………。だから、話をしたいんです。順一郎さんと」
「いいね、みつる君のその前向きさ!応援するよ」
そう言って、顔を崩して笑う健二郎さんの笑顔が眩しくて………。
そして、本当に嬉しくて………。
僕も順一郎さんの笑顔につられて、笑ってしまったんだ。
まさか、つぐむちゃんと昇三郎さんに見られてるとは思わなかった。
だって「順一郎さんに会いに行く」とか言ったら、真面目一筋のはじめちゃんが何て言うか分からなかったし、つぐむちゃんに変に勘ぐられても面倒臭いし。
すごく、軽い気持ちでついた嘘。
絶対にバレないし、バレても大したことないと思っていたその小さな嘘は、芽吹いて大きくなって………。
僕ばかりか、つぐむちゃんや昇三郎さんにも迷惑をかけていたなんて、知らなかったんだ。
『みつる、メシだけど。具合悪いのか?』
泣いて頭が痛いのが3割、不貞寝が7割で。
あまり何も考えたくない状態でベッドに寝転がっている僕に、つぐむちゃんがドア越しに尋ねる。
「大丈夫。でも、ご飯はいいや。寝たら、スッキリするから」
『そうか。あんまり無理するなよ』
「………ごめん、ね………。つぐむちゃん、心配かけて………嘘ついて………。ごめんね」
『気にすんな。でも、もう嘘つくなよ。オレ、すげぇショックだったんだからな』
「うん、ごめん。つぐむちゃん」
『昇…三郎くんにも、あやまっとけよ』
「うん、わかってる。ありがとう、つぐむちゃん」
あーあ、外出禁止かぁ。
学校も往路ははじめちゃん、復路はつぐむちゃんの送迎が始まって、ガッチガチに生活を強制されるなんてさぁ。
………僕が悪いんだけど、ひどいよなぁ。
しょうがない、大人しく寝とこ。
ドアに背を向けて、無理矢理に目を瞑ると。
頭が疲れてるせいか、何も考えられなくなって。
すぐ、深い眠りに落ちてしまった。
コンコンー。
木製のドアが乾いた音を小さく立てて、深い眠りに落ちていた僕は、その音が随分大きく聞こえて目を覚ます。
午前1時30分すぎ。
僕はスマホの明かりをたよりにドアに近づくと、そっとドアを開けた。
「健二郎さん」
ドアの向こう側には健二郎さんがいたずらっ子っぽく笑って、人差し指を口の前に立てる。
「どうしたの?」
「みつる君が、落ち込んでるんじゃないかと思って」
「まぁ、ぼちぼち………そこそこ凹んでます」
「そういう素直なところ、みつる君らしくていいね」
「………わざわざ、すみません。ありがとうございます、健二郎さん」
「よし!着替えて、みつる君」
「え?」
「ドライブ行こう!」
「はぁ?」
「明日、学校休みだろ?塞ぎ込んでるのもったいない!ほら、早く」
「え!?でも!………バレたら、また」
「大丈夫!バレないよ」
強引………だな………。
でも………嬉しい。
「やっと、みつる君が笑ってくれた」
「え?」
「ずっと泣きそうな顔してたから。みつる君は笑ってる方がいいよ」
「………健二郎さん」
「ほら、早く着替えて!行くよ!」
「は、はい!!」
久しぶりに、オメガということを忘れて。
オメガであるが故に起こった、嫌なことも忘れて。
僕は、踊る心、はやる心でパジャマを脱ぎ捨てた。
………自由だ。
何も考えなくていい。
何も悩まなくっていい。
今だけは。
………僕は、限りなく自由だ。
深夜に外に出る、って初めてだ。
だって僕は友達がドン引きするくらい、かなり真面目な生活を送ってるし。
両親は……… お母さんはまあ、結構ぶっ飛んでるけど……いたって普通で。
そのかわりはじめちゃんが、異常なくらい過剰に過保護だし、つぐむちゃんはそれに追随して僕に構ってくれるから。
自由だけど、正直、自由じゃなかったんだ。
車中からだけど、こんなに漆黒な夜空に輝く星空を見たのなんて、初めてで。
すごく、キレイ。
「健二郎さん、ありがとう。すごくドキドキして、楽しい」
「よかった。この先にうちのリゾート施設があるからそこまで行ってみようか」
「はい!」
健二郎さんは、涼やかな笑顔で僕を見た。
はじめちゃんとも、つぐむちゃんとも、違う。
大人なヒト。
髪の毛もサラサラで、スッとするようないい香りがして。
なにより、光の加減でグレーに見えるその目が、すごくキレイで………目が離せない。
というか、ずっと見ていたいたい。
好き………。
違う、憧れだ……多分。
健二郎さんは、手を伸ばせばすぐそこにいて、手が届きそうなくらい近くにいるのに。
軽々しく触れたらいけないような、そんな存在で。
どうして僕に優しくしてくれるのがわからないけど、健二郎さんといると胸が高鳴る………。
すごく、すごく………愛しい人、だからかな。
………マジで、さっきからドキドキが止まらない。
………緊張してんのかなぁ、嬉しいハズなのに。
運転する健二郎の横顔を見てるせいかもしれない。
だって、顔がなんか熱くなって………。
あれ?何?この感じ。
バレンタインに山ほどのチョコレートももらって来るはじめちゃんやつぐむちゃんほどじゃないけど。
オメガの僕だって中学の時、告白の一回や二回くらい経験がある。
その時の女の子みたいな、そんな熱量が血液にのって身体中を駆け巡ってるみたいな………。
僕、健二郎さんが好きなのかな………?
ドクンー。
そう思った瞬間、心臓が強く鳴って身体中の熱量が爆発したみたいに一気に広がった。
自分でもわかる。
僕自身が酔っ払った香りが車内に広がって、風邪をひいたみたいな熱が体を包む。
息もちゃんと吸えなくて苦しい……。
そして、何より………。
お尻のあたりがジワジワ濡れてきて……。
………やだ。
何……?これ………これが………。
ヒート………。
オメガの発情期。
「……っ、……あ………健二……郎、さ」
「みつる君!!………っ!!」
じっと座っていられなくなって、僕は助手席でうずくまるように身を屈めた。
………怖い……どうしよう。
順一郎さんに聞いていたのより、想像していたのより何十倍も何百倍も………。
キツい。
「みつる君、大丈夫?!今、病院に連絡するから!!」
「健二郎……さん」
バン!!
突然、車を叩く音がして、僕は思わず健二郎さんにしがみついた。
車の窓ガラスを男の人が叩いてる。
目が血走って………怒ってるみたいに………ひっきりなしに窓ガラスを叩く。
『オメガがいるんだろ!!出せよ、オラ!!ヤらせろ!!』
………何?
………僕のヒートが、引き寄せてる?
こんなの、まるでゾンビ映画みたいだよ……。
「怖……い……。やだ……怖い……怖い」
体は沸騰してんじゃないかってくらい熱くてたまらないのに、全身が震えて………その震えが止まらない。
「みつる君!こっち!」
健二郎さんに体ごと引っ張られて、僕と健二郎さんは後部座席に転がり込んだ。
窓ガラスを叩く手の数がさっきより、増えてる気がする。
………怖い……怖い。
怒鳴り声を上げながら窓を破らんばかりに叩く外の人たちもさることながら、僕は、自分自身が一番怖かった。
なんで、こんなになっちゃうの?
しかも、何?
怖くて、どこかに隠れたいのに………。
頭の深いところで、僕はヤられることを想像している。
溢れでる後ろに、挿入れて欲しい………。
挿入れて、めちゃくちゃにして欲しい………。
そして、僕の中にたくさん、出して欲しい………。
………僕、壊れちゃったみたいだ。
「……はぁ………健二郎……さん………こわ……い」
「クソッ!!」
健二郎さんが小さく悪態をついて、今まで経験したことがないくらい強い力で、押し倒された。
………健二郎さんの、目。
外灯が反射しているからなのか、黒目部分がいつもよりさらにグレーに光っているように見える。
優しくて洗練された健二郎さんが、どことなく野生っぽいような………。
獲物を見つけた狼が宿す、野生そのものの目。
そうだ、これが………アルファ。
オメガという獲物に狙いを定めた、アルファの本能なんだ。
自分の熱と体臭で僕の意識はぼんやりしてるのに。
体の震えは止まらないのに。
健二郎さんから発せられる鋭い香りに飲み込まれて、体が余計熱くなる。
なに……?
僕………健二郎さんが………欲しい………!!
健二郎さんが怖いのに………すごく、欲しい!!
「………ピルが……効かない………!!」
「ん……ぁ、あ……や」
「さっきから我慢してるってのに………煽るな!!他のヤツにヤらせるくらいなら………!!………みつるは、俺のものだっ!!」
僕の甘い香りと、健二郎さんの鋭い香りがぶつかって青白い光が見えた気がした。
シャツを強引に引きちぎられて、白い小さなボタンが暗闇を舞う。
「…っあ、ぁあ」
露わになった胸や鎖骨を甘噛みする健二郎さんが、僕のパンツまで剥ぎ取って、あっという間にその手が僕の中を弄ってくる。
体は相変わらずガタガタ震えて、怖くて仕方がないくせに、健二郎さんに抵抗できない。
正直、僕は童貞で、ホられたことなんてもちろんないんだけど………。
本能的に知っている。
それって、オメガの本能なんだろうか。
その本能が、アルファがなんたるかを知っている。
車の外で僕を犯したくて仕方がないアルファと。
僕に今覆い被さっているアルファと。
ヒート真っ最中の僕には、わかるんだ。
健二郎さんがどのアルファより僕にピッタリなアルファかということを。
「……挿入……れ………て」
「みつる……」
「おねが………挿入……れ」
「………みつる!!」
手が僕の中から抜かれて………。
「んあっ!!あ、あーっ!!」
お腹の底から脳天まで電気が走るような。
僕の中を突き上げる健二郎さんのソレが、僕の理性までぶっ壊す。
………ヤバい。
ヤバい、ヤバい………。
初めてなのに、こんなにクるなんて………。
「みつる………俺、ヤバいかも」
低く、それでいて耳の奥まで突き刺さるような健二郎さんの声で、体中が脈打つようにゾワゾワ、ドクドクした。
ぐっと、体が反りかえって。
僕の首の後ろっかわに、健二郎さんがキスをする。
………あ、これ。
…………番に、なるの?僕。
体はまだ震えていて、未体験が洪水のように押し寄せて………怖いのに。
次々と降りかかる恐怖と快感の連続に、僕はもう、健二郎さんから離れられないと確信した。
健二郎さんも、きっとそう。
間違いじゃなければ、僕たちは出会うべくして出会った番なのかも、しれない。
「……んぁあ、あっ………や、やぁ………」
「みつ……る………ムリだっ」
「あ、っっあーっ!」
首の後ろが………熱いっ………!!
未だ止まらぬ、体の震え。
体から湧き上がる香りと、健二郎さんの香りが入り混じる。
それでも香りと熱は体の中から湧き上がって………何も気にならないんだ。
「…あ、ん………奥……や………」
「みつる………みつる………」
狭い車内だから、かな。
あんなに存在が遠くて。
触れることすらできなかった健二郎さんが、今僕と肌を寄せている。
………すごく、幸せで。
健二郎さんとずっとこうしていたい、って思った。
「こんのぉ…!!バカタレッ!!!」
長くて深い眠りから覚めた直後、はじめちゃんの怒号と共に、僕の頭に重たいゲンコツが入った。
「ったぁ?!はじめちゃん、何すんだよぉ!!」
「どんだけ心配したと思ってんだ!!外出禁止を破った上に、いきなり突き抜けて『番ができました〜』じゃねぇんだよ!!」
………あ、そうだった。
はじめちゃんが怒り狂うのも無理はない。
はじめちゃんが言ったとおりのことを、僕はやらかしてしまったから。
気がついたら、僕はあのオメガ専用の病院のベッドにいた。
ヒートの熱はだいぶ落ち着いてはきたものの、健二郎さんと肌を重ねた余韻が残って、体がまだ小さな火の粉を宿して燻る火のように疼いている。
だから、つい………愛しい人の名前を呼んでしまった。
「健二郎……さん」
その瞬間、僕の頭にあったかい手が、ふわっと着地する。
でも、この手………健二郎さんじゃない。
「みつる君、もう大丈夫だよ。健二郎はすぐそばにいるけど、まだみつる君は発情の熱が冷めてないから、もうしばらくゆっくりしよう。いい子だから、ね」
この声………順一郎さん。
優しい、でも………僕に今触れて欲しいのは………。
「健二郎さん………どこ?健二郎さん…がいい……。健二郎、さ………健二郎さん」
煮えきらない思考で、思いどおりにならない腕を振り回して、地面をとらえない足で立とうとする。
健二郎さんの、健二郎さんのそばに………いたい。
ただ、それだけ。
それだけなんだ。
「みつる君!そんなに動くと君がキツいから、少しお薬を使うね」
「や……やだ………健二郎さん……健二郎さん」
なんで?
こんなに健二郎さんを呼んでるのに、健二郎さんは来てくれないの?
僕と健二郎さんは番じゃないの?
健二郎さん!健二郎さん!!
そうちゃんと、叫んだかどうかは定かじゃない。
だって、もうそこから………僕は深い眠りに落ちてしまって。
次に起きた時には、はじめちゃんにゲンコツをお見舞いされていたから。
「健二郎さん……は?」
「アルファ・ピルが効かなくなったらしいから、大事をとって別な病院に入院してる」
ゲンコツをお見舞いした怒髪天から一変、はじめちゃんが申し訳なさそうな顔をして言った。
入院?
………健二郎さんが入院って、どういうこと?
「………すごく、謝ってた」
「え……?どうして………?」
「強引に連れ出して、危険な目に合わせた挙げ句、無理矢理〝番〟にして申し訳ないって」
「違う……違う!無理矢理じゃない!!健二郎さんは悪くないんだよ!健二郎さんは!!」
「分かってる、分かってるから。もう興奮するな、みつる。おまえが落ち着いたら、健二郎くんに会いに行こう、な」
「健二郎さんがいい………!!健二郎さんに会いたい………会いたいんだよ!!」
「分かったから」
「健二郎さん……健二郎さん!!」
こんなに悲しいのって、経験がない。
こんなに泣いたのって、どれくらいぶりかな……。
涙が止まらない。
僕ははじめちゃんにしがみついついて、泣いてしまった。
目を瞑ると、健二郎さんの優しい笑顔とアルファそのものの強い顔が交互に浮かんで、余計、胸が苦しくなる。
恋愛の〝れ〟の字も知らなかったんだ。
憧れだった愛しい人と繋がって、急速に近づいて燃え上がって………僕の運命だって気付いたのに。
どうして、会えないの?
どうして………健二郎さん!!
涙は体の外に出て行くのに、健二郎さんを思うが故の体の中の熱が、行き場を失って僕の中にこもる。
苦しい……苦しいよ………。
人を好きになるって、ツラい。
その人に会えないなんて、もっと苦しい。
「暑い、なぁ」
太陽が朝からジリジリ僕を照らして、マンションの玄関を出た瞬間に、体中から汗が噴き出す。
世間では夏休みなのに。
あの人生初のヒートのおかげで、僕は中間テストを受けられずに、補習のために学校に行かなきゃいけない。
………期末テストで10位内に入ったんだし、別に補習なんて受けなくていいじゃーん!!
あーあ……やだな。
なんか……ドキドキすること、ないかな。
あの時みたいに………健二郎さんと過ごしたあの夜みたいな、ドキドキすること。
あれから、もうすぐ4カ月。
僕は未だ、健二郎さんに会えていない。
首の後ろにある健二郎さんの証が、色濃く残っているから、健二郎さんとの番は、解消されてはいないみたいで………。
それでも、健二郎さんは僕の前から姿を消した。
はじめちゃんに聞いても、順一郎さんに聞いても、健二郎さんのことは何も答えてくれないから、僕もそれ以上のことを聞くのを辞めたんだ。
いつか会える。
そう信じて………僕は生きている。
「健二郎さん、元気かなぁ……」
いつか、健二郎さんに会えるその時まで。
健二郎さんに「みつる君が番でよかった」って言われるように、僕は生きるしかないんだ。
「よし、補習テストも中々いい感じだし。七村は今日で終了!」
先生の言葉に、僕はようやくホッとして体の力が抜ける。
その瞬間、僕とは違う理由で補習を受けていたクラスメイトのため息が教室に響いた。
………やったー!これで晴れて自由の身だーっ!!
したいこと、たくさんあるんだ!!
駅前にできたアイスクリーム屋さんに行きたいし、近所のケーキ屋さんのフルーツがたくさんのったプリンも食べたい。
たまりにたまった録画のドラマもみたいし、見たかった映画もみたい。
………全部。
全部………健二郎さんと一緒にしたかったなぁ。
………健二郎さん、どこ?
どこにいるの?………なんで会えないの?
なんで………?
「………っ!!…」
………ヤバ。
なんで泣いちゃうかな。
ここは駅前で、人の往来も激しいのに。
ましてや今は夏休み。
こんなトコで意味なく泣いちゃう人とか、絶対にアヤシイ人じゃん。
………でも、涙が止まんない。
健二郎さんに会いたくて泣いたあの日から、泣くことなんかなかったのに。
泣いたら、きっと。
はじめちゃんもつぐむちゃんも心配するし、何より、僕が泣いたり落ち込んだりしたら、健二郎さんに2度と会えない気がして………ずっと、気持ちを閉じ込めてた。
………あれかな。
補習から解放された嬉しさに触発しちゃって、閉じ込めていた気持ちの入れ物が、割れちゃったのかもしれない。
「みつる君!!」
道路でしゃがみ込んで泣いてる僕に、すごく聞きたかった声が降り注ぐ。
たまらず、顔を上げた。
「………健二郎……さん」
忘れるハズがない、忘れることもできない。
光の加減でグレーに見える瞳も、風が吹くたびになびくサラサラな髪も、僕を呼ぶいい声も………その、笑顔も。
全部、忘れない………記憶の中の健二郎さんが、今、目の前にいる。
「こっち!早く」
そう健二郎さんが言うや否や。
あの時みたいに、僕は愛しい人に体ごと引っ張られてた。
………また、助けてもらっちゃった。
健二郎さんはヒーローみたいに僕を抱えて走ると、近くに停めていた車に誘導する。
話したいことは山ほどある。
健二郎さんの番に相応しいっで言われるために、勉強も頑張ったし、はじめちゃんや順一郎さんの言うこともちゃんと聞いたんだよ、とか。
また、一緒に出かけたい、とか。
…………なんで、会えなかったの、とか。
いろんな言いたいことが溢れて、口から溢れ出そうなのに、涙が邪魔して一言も口から出てこない。
………僕は反射的に、健二郎さんに抱きついたんだ。
「健二郎さん………会いたかった………」
「………みつる君」
「もう2度と離れたくない………僕を一人にしないで」
健二郎さんに会ったら、どんなことをどれだけ伝えればいいのかって、ずっと考えてた。
でも、一番言いたかったのは、これだったんだ。
僕は、健二郎さんと一緒にいたい………ずっと。
それ以外、いらない。
それ以上、望まない。
だって、それだけで………。
「幸せ……。健二郎さんに会えて、幸せ」
「俺もだ、みつる君」
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