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1-淫魔ヤンキー、淫魔先生と出会う
桜舞い散る四月の初め。
その日はとある男子校の入学式だった。
お世辞にも品行方正・頭脳明晰とは呼べない、自由奔放極まりない生徒らが通う、地方一自由な校風で知られている学校の……。
「今日からお前達の担任になる」
浅黒い褐色の肌。
白アッシュ色の髪は短め。
片耳にはピアス。
恐ろしく生意気そうな目つき。
エンブレム入りのブレザーは全開でストライプ柄のネクタイをだらしなく緩めた、新入生の中で最も目立っていた中村 岬 は。
「社会科担当の志摩 だ。とりあえずクラス委員を決めて雑用手伝ってもらう」
春めく教室で彼と出会った。
教師にしては割とドライな眼差し、そう、死んだ魚の目を彷彿とさせる目つきが印象的な志摩先生と。
なんだよ、あのヤル気のなさ。
どこ見て挨拶してんだよ。
窓の方ばっか顔向けやがって、幽霊でもいんのか、生身の生徒には興味ナシか。
黒板前に立った黒縁眼鏡の黒髪教師を一目見た瞬間、岬の胸はやたらめったら逆立った。
さも素行が悪そうなルックスに反して中学時代の生活態度は可もなく不可もなく、これといったトラブルも起こさずに無難な学校生活を送ってきたというのに、彼は入学初日から志摩に絡むようになった。
「テキトー教師の志摩センセェ、後ろプリント足りないンですけどー? これってワザとですかー? え、前まで取りに来いって? ソッチのミスなんだからソッチが持ってくるのがトーゼンじゃないンですかー?」
第一印象通り、生徒を放任しがちのドライな担任をどうにかしてやりたくて、反抗心を剥き出しにして、ホームルームや授業では一貫して完全馬鹿にした態度を突き通した。
しかも棒付きキャンディを堂々と舐めながら。
「ほら、プリントだ」
志摩は渋るでも怒るでもなく言われた通りにした。
わざとらしいくらい乱暴にプリントを奪い取られても、説明が聞こえないと野次られても、ヤル気がないと嘲笑されても、顔色一つ変えなかった。
高校入学と同時に模範的ヤンキー生徒と化した岬は断然面白くなかった。
あンのテキトー教師が。
いつかギャフンと言わせてやる、なんかとにかく血眼にさせてやる、すげぇ正気なくすくらいブチギレさせてやる。
「中村、次の章、読んでくれ」
「はい」
「はーい」
「今返事をしなかった中村が読め」
「はぁ? それって隣のクラスの中村も入んねぇ? どの中村かわかりませーん」
自分も含めて中村姓が三人いた教室で岬が茶化せば志摩は丁寧に指名した。
「岬、読んでくれ」
下の名前で岬を呼んだ。
初めて志摩に名前を呼ばれた岬は、小学校で習う漢字をことごとく間違えつつ社会科テキストをお経さながらに読み上げた。
俺だけ名前呼びかよ。
ふーん。
俺だけ、か。
「岬、周りが迷惑する。音楽を聞きたいんならイヤホンにしろ」
授業中にスマホで音楽アプリの曲を流していた岬に、居眠りや飲食はスルーする志摩でも、さすがに注意を入れた。
それでも曲を流し続けるヤンキー生徒に肩を竦め、後ろの席へ向かい、手にしていたスマホを取り上げて再生を停止した。
「次やったらアプリの代わりにお前を教室からアンインストールするから」
お、今日初めて目が合った。
もっと俺のこと見ろ、志摩センセェ。
もっと見て……。
高校生活が始まって岬が一番目に興味を抱いたのは無愛想な担任だった。
「中村、どしたの、中学ンときよりガキ度増してね?」
「アイツ気に入らねぇんだよ、志摩のヤロー」
「そ? 俺は楽でイイと思うけど」
「いやいや、確かに志摩って何考えてんのかわかんない時あるよ。ときどき怖いっていうか、おっかないっていうか」
「あ!? どこがだよ!? 怖くもおっかなくもねぇし!? お前の目ぇ節穴か!? そもそも両方同じ意味だろうが!! 」
「中村、どっちなの? 志摩のこと貶したいの? 庇いたいの?」
「ああ!? アイツを庇うとかキモチワリィこと抜かすな!!」
自分自身は悪口を連発するくせに、同じ中学だった顔馴染みの生徒や知り合ったばかりのクラスメートに志摩のことをとやかく言われると腹が立ち、不貞腐れた岬は一緒に帰るのを拒んで教室に一人残った。
花冷えする放課後だった。
「まだ残ってたのか」
岬以外に誰もいない教室へ志摩が見回りにやってきた。
岬はあからさまに顔を輝かせる。
さぁ、どんな風にからかってやろうか、意気揚々と席を立って窓の戸締まりをチェックしている担任の背後に歩み寄ってみれば。
「お前、淫魔の血を継いでるだろ」
意味深に一呼吸おくでもなく平然と淡々と投げかけられた言葉。
振り返った志摩が事も無げに口にした台詞に岬はその場で凍りついた。
「……は……?」
淫魔の血。
淫魔筋。
志摩の言う通りだった。
岬は淫魔と呼ばれる淫夢魔 の血を引いていた。
いつまで経っても極端に若々しい、自称母親の百合也 に育てられて生きてきた。
『普通の人間として生を全うすることもあるし。
淫魔の血が多少騒いで私みたいになることもあるし。
もしくは。
もっと深い悪夢に魅入られることもあるかもしれないわね』
だけど、なんで、どうして、友達みんな知らねぇのに、必死こいて隠してきたのに、俺の最大の欠点なのに、一体いつ志摩センセェにバレてーー
「俺もだ」
岬はさらに凍りついた。
「俺はインキュバスの血を引いてる」
血潮にも似た色濃い西日で濁る窓を背にして志摩は自分の正体を生徒に明かした。
いつの間に自分の正体を知られ、想像もしていなかった担任教師の正体を知らされて、岬はリアクションに窮した。
これまで肉親である百合也以外の淫魔筋と接したことはあった。
彼が経営する店のスタッフの過半数がそうであったからだ。
しかし学校生活において同種と対面するのは初めての経験だった。
頑なに凍りついたまま呆然としている生徒を志摩はうっすら笑った。
「匂いでわかった」
「っ……俺、別に臭くねぇけど!?」
「声でかいよ、お前」
全くもっていつも通り、通常運転であるドライな志摩に岬は段々イライラしてきた。
なんだよコイツ。
俺が今まで周りに死守してきた秘密を簡単に暴露しやがって。
自分も淫魔筋だって、さらっと抜かしやがって。
余裕ぶっこきやがって。
俺、ぜんっぜん気づかなかった。
匂いって何だよ……クンクン……わかんねぇよ、あークソ、腹立つッ。
「ばれて恥ずかしいのか?」
ワイシャツに無地のセーター、身長178センチの志摩に見下ろされて171センチの岬は不愉快そうにドライな教師を睨め上げた。
「反抗期ちゃんにはコンプレックスに値する重荷だったか」
とうとう苛立ちが頂点に達した岬は志摩の胸倉を引っ掴んだ。
「うるせぇテメェに何がわかんだよッ!!」
「痛いほどわかるに決まってる、岬」
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