2 / 112

1-2

吸血鬼、狼男、魔女、人魚。想像上の産物として淫夢魔も数えられることが極々当たり前になっている。 彼らは実在していた。 オスのインキュバス、メスのサキュバスと存在し、かつて人間を装って夜を渡り歩き、人々に紛れて生きていた。 獲物と定めた相手を夜な夜な誘惑しては「とめどなき淫欲」を満たしていた。 彼らは決して相手を犯すことはしなかった。 必ず事前に合意を得ていた。 事後、一夜の過ちに恐れ戦き、害をなすものとして彼らを忌み嫌うものもいれば、その一方で途方もない性的魅力に平伏して溺れるものもいた。 道ならぬ禁断の恋に互いに落ちることもあった。 ヒトの血と混ざり合うにつれ、インキュバスならば女を身籠らせる、サキュバスならば男の精を奪うという、淫夢魔が本来持つべき本能は息を潜めていった。 ただ「とめどなき淫欲」は純血からどれだけ遠ざかろうと脈々と受け継がれていった。 そうして淫らな悪夢は密やかに悶々と引き継がれてきた……。 「今日の欠席は……いないな」 朝のホームルーム、一人一人の点呼を省いて教室をざっと見渡し、欠席者がいないことを確認した志摩は出席簿をぱたんと閉じた。 「来週の金曜、土曜、新入生宿泊研修がある、今からプリント配るからな」 志摩が教室を訪れてから岬はずっと顔を伏せていた。 一番後ろの席でまたしてもプリントが足りず、前の席の生徒が「志摩先生、プリント一枚足りませーん」と声を上げても。 「ほら、プリントだ」 志摩が直接渡しにやってきても、いつものように乱暴に分捕ることもなく、腕の下にプリントを差し込まれても「伏せ」したままでいた。 「なぁなぁ、研修楽しみじゃ!? 怖い話大会しよーよ!」 「いやだ、怖ぇよ、エロ話大会の方がいい」 「中村は? 絶対怖い話大会派だよな!?」 「……俺、行かねぇ」 「えっ!?」 「なんで!?」 「……代わりに便所行ってくる」 もうすぐ一時間目開始だというのに、やたら猫背になった岬は騒がしい教室をフラフラと後にした。 「は、ぁ……」 教室から近い場所ではなく、最寄にしている旧校舎の隅っこにあるトイレへわざわざ遠出した。 本棟の喧騒が遠退いて、明かりも点されずにシンと静まり返った奥の個室。 微かに震える指先をズボンのベルトへ伸ばした。 「う、わ」 下肢の制服を緩めてボクサーパンツをずり下ろしてみれば勢いよく跳ねたペニス。 華麗に脱皮済みにして純潔。 初々しい色をした、しかし滾るに滾った熱源。 「あークソ……チクショー……」 いつの間に全身汗ばんでいた岬は文句を垂らしつつ利き手を股座へ。 青筋まで走らせて屹立するペニスを素通りし、双球と尻孔の狭間に潜む亀裂をぎこちなくなぞった。 中学二年生のとき、三日三晩の高熱と腹痛に魘された後、問答無用に授かった。 淫唇(いんしん)と呼ばれ、その奥に膣、子宮と、女性の内性器が三日三晩の内に独りでに出来上がっていた。 それが岬の顕著な第二次性徴期だった。 胸は平らなままで乳房はない。 傍目には平均サイズをやや上回る男の体つきをしている。 ただし男女の生殖器をどちらも併せ持っていた。 併せ持っているだけなら淫魔筋の中では特に珍しくもない話だった、だが、どちらもいずれ正常に機能するとなると異例なケースに該当した、それにはちゃんと理由があって……。 「ん」 愛液で温む感触。 悔しげに歯軋りし、扉に片肘を突かせ、尋常でない疼きをなぞり続けた。 こんなハズじゃあなかった。 一生、封印しておくつもりだった。 誰にも明かさないつもりでいたのに。 『痛いほどわかるに決まってる、岬』 恐ろしく生意気そうだったはずの吊り目が弱々しげに濡れそぼった。 昨日の放課後の記憶が、感触が、鮮明に蘇る。 岬は苦しげに呻吟した。 『俺もこの血のおかげでお前の年の頃は、な、色んなことがあった』 『っ……』 『今でこそコントロールできるようになった。でも昔はそうじゃなかった』 『志摩センセェも……周りにナイショにしてたのかよ……?』 『ナイショ、か。随分かわいい言い方するのな』 『っ……うるせ、ッ、ッ……もご……っ?』 『しー。俺がお前の慰め役になろうか、』 「岬」 岬は涙ぐんだ吊り目を見張らせた。 は……? 今の声、記憶にしてはやけにハッキリ……? コン、コン 「岬、いるんだろ」 「ッ、ッなに、しに、きやがった……クソ教師……ッ」 「お前の後をついてきた」 「このクソムッツリ死ねッ!!」 「しー」 無意識に扉に縋りついていた岬の肩がブルリと震えた。 記憶と重なった、扉越しに聞こえてきた志摩の声に亀裂が独りでに……濡れた。 保ちたい尊厳と「淫魔の(さが)」、その狭間で葛藤して先に進めるのも憚られ、ただなぞるだけを繰り返していた褐色の指先に透明な蜜が滴った。 「朝、つらかったか」 「セ……センセェ……」 「俺の声を聞いただけで発情したのか」 「あ、ううぅ……志摩センセェのせいだ……ッ……俺ぇ……こんなモン、一生使わずにいたかったのに……」 「インサバスか……俺達の界隈で語り継がれるただの都市伝説かと思ってた……」 インサバスとは。 インキュバスとサキュバスの間に生まれ落ちたこどもを指す。 岬の母親を自称する百合也は実のところ女装家の父親でインキュバスの血を引いていた。 本当の母親はサキュバスの血を引いており、ずっと、行方が知れない……。 「同種だってのはわかったが、まさか淫魔筋同士の混血とはな」 「こんなモン、呪いだ……嫌いだ……いらねぇよ、うざってぇ……醜い……」 扉に額をゴシゴシ擦りつけ、止められずに溢れてくる愛液に指先をどんどん濡らされながら、岬は呟いた。 「醜いなんて難しい言葉、よく知ってるな」 ああ、イラつく、腹立つ、むかつく、ほんっとテメェのせいだ、バーカ。 「開けろよ、岬」 「……」 「楽にしてやる」 「……」

ともだちにシェアしよう!