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二人のやり取りを眺めていた百合也は口元に片手を翳してクスクスと笑った。 「岬、ほら、座って?」 百合也に言われると岬は膨れっ面ながらもすんなり着席した。 頭を撫でられても大して嫌がらず、あくまでも向かい側の志摩に威嚇の目線を送り続けていた。 「この髪の色。特徴的でしょう」 「ええ。数分前まで染めていると思っていました。地毛なんですね」 剣呑な様子の岬と反対に百合也は穏やかに頷いてみせた。 「白百合色の髪。黒に染めた方がいいとおっしゃる先生方もいましたけれど、地の髪色ですし、この肌に一番よく馴染むので断りました。私自身、誇りに思ってもいるので」 梅雨入りはまだ先、カーテンが全開にされた窓の外は五月晴れの余韻を引き摺って清々しく晴れ渡っていた。 「岬にはあるがままに自由に生きてほしいと思っています」 たおやかな指先で我が子の髪を梳きながら褐色美人の父親は続ける。 「でもお店の手伝いはしてほしいと思っています。先月のゴールデンウィーク、約束を守らないで一度も出勤してこなかったのには驚きました。そういえば先生のお家に泊まらせてもらったとか。お礼を言うのが遅くなってごめんなさい? 本当、岬がお世話になりましたね……?」 岬は二人の会話に我関せず、まだ口元をゴシゴシやりながら吊り目を尖らせて担任を威嚇している。 家族に一体どこまで明かしているのか。 この場で尋ねるわけにもいかず、志摩は一先ず無難な返事を口にしておいた。 「いいえ、とんでもないです、おとう……百合さん」 そうしてやっと本日最後の三者面談は肝心な本題へと入るのだった。 岬は百合也と二人で暮らしていた。 オーナーママである父親は昼夜逆転の生活が基本となっており、店の事務所に泊まり込むことも多く、家族団欒の時間はなかなか限られていた。 幼い頃から慣れっこの岬は不満に思うこともなく、見晴らしのいいマンションの上階で日々の家事を黙々とこなしている。 母親の顔は知らなかった。 岬を産んでから、間もなくして、行方知れずの身になったらしい。 『私と岬を置き去りにして蝶みたいにどこかへふわふわ飛んでっちゃったわ』 俺の母親、どこにいるんだろうな。 生きてんのかな。 まさか死んでたりしねぇよな? 我が子を見守る女性らを間近にすると、岬は、顔も知らない母親の現在に思いを馳せることがあった。 どこかで生きているのなら。 幸せでいてくれたら。 「岬」 生徒用玄関で靴を履き替え、校庭に面する本棟の正面玄関へ向かっていたら、凶器にも等しいピンヒールをものともせずに優雅に前進する百合也に出迎えられた。 「私、これからお店へ直行するわ」 棒付きキャンディを口に咥えていた岬は頷いた。 髪と肌の色は百合ちゃん譲りだけど。 顔はちっとも似てねぇ。 俺の母親ってどんだけ凶悪なツラしてんだろうな……。 「あら」 ふと百合也が立ち止まった。 岬も足を止め、繁々と頭上を仰ぐ父親に首を傾げて目線を辿り、あわやキャンディを噛み砕きそうになった。 三階教室の窓辺に佇む志摩がこちらを見下ろしていた。 頑なに強張る我が子の隣で百合也が手を振れば、浅く会釈し、翻るカーテンの向こう側へと消えていった。 「ドミナントにしては謙虚な淫魔筋ね」 ピンヒールのおかげで現在190近くある身の丈の父親を岬は勢いよく見上げた。 「センセェは百合ちゃん達とは違うんだよ」 「同じドミナント、しかも私と同じインキュバス筋。何が違うのかしら?」 「えーと……俺が知るかッ、とにかくなんかどっか違うんだよ!」 やたらムキになって言い返してくる岬に百合也はクスリと笑う。 一つ結びしていた髪を解き、部活動は休止中でがらんどうの校庭を駆け抜ける風に自由にさざめかせ、世界で一番いとおしい我が子の肩を抱いた。 「志摩先生、今度お店に招待しましょうか」 「はぁ!? やめろ!! 柄でもねぇし、完っ全浮くし、周りが盛り下がるわ!!」 「そう? 彼は岬のお気に入りなのね」 「別に!? ただのいけ好かねぇ無愛想なツラした担任で!? 口摘まんでくるようなモラハラ眼鏡教師野郎に過ぎねぇけど!!」 三者面談が終わって家路につく他の保護者や生徒の注目をビシバシ浴びる中、百合也は我が子とお揃いの色をした髪を掻き上げて「次の休みには豚汁食べたいわ」なんて愉しげに駄々をこねた。 間髪入れずに舌打ちしようとした岬であったが。 担任の注意が脳裏を掠め、ぐっと堪え、口元に蘇った彼の手の感触にどぎまぎするのだった。

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