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「どうして今日来たんだ」
初めて立つ簡素なキッチン。
冷製パスタを作るため、たっぷりのお湯を鍋で沸かし、てきぱきと準備を進めていた岬の手が中途半端なところで止まった。
「ッ……センセェ、危ねぇな、包丁で刺すとこだったぞ……」
また気配もなしに死角となる背後を易々と志摩にとられた。
すぐ真後ろから寄越された質問に、まな板の上で材料を丁寧に刻んでいた岬の両手は強張る。
気配を殺して急接近してくる志摩が腹立たしく、毎回動揺してしまう自分自身にもイラついた。
「来たいときに来て悪ぃかよ」
「そんなに俺の家に来たかったのか」
「ッ……通りかかったんだよ、偶々」
「スーパーでわざわざ買い物して?」
「自分ちで作る予定だったけど!? 荷物重てぇから! センセェんちでテキトーに処理してやれって思ったんだよ!!」
包丁を掴んだまま声を荒げて回答した岬に志摩は「ふっ」とやおら吹き出した。
「もしも今日が俺の誕生日でご馳走してくれるのならまだしも」
膨れっ面のまま岬は閉口する。
耳たぶを掠めていった志摩の短い笑い声に下半身と胸底が猛烈に疼いた……。
「今日はお前の誕生日だろ」
視線の拠り所に迷っていた吊り目が大きく見開かれた。
……センセェ、今日が俺の誕生日だって知ってたのかよ。
……まぁ、担任だから知っててもおかしくねぇか。
いや、でも。
クラスの生徒全員の誕生日なんて覚えてるもんか?
「自分の誕生日に俺のところにわざわざ来たんだな」
「か……勝手に足が向いたんだよ、俺の脳みそバグりやがった」
「ふぅん。お父さんと一緒に過ごさなくていいのか」
「は? 百合ちゃんと? だって百合ちゃんは仕事だし、いちいち一緒に過ごすとかねぇけど?」
昔からそんな感じだった。
友達に敢えて申告することもせず、誕生日会もナシ。
年に一度のバースデー。
普段と変わらない平穏な一日として今の今まで送ってきた。
「ケーキも食べないのか」
「ケーキ? いや、食いたくなったら食うけど? 誕生日だからって特別食うことはねぇかな」
「プレゼントは」
「あー。普段から誕生日関係ナシに百合ちゃんいろいろくれっから、特に」
「ふぅん」
「つぅか、いつまで背中に張りついてんだよ……そんな近くいたらガチで包丁刺さんぞ……おい、志摩センセェ……?」
包丁を握り締めていた手に不意に絡みついてきた長い五指。
「刺されたくないから、とりあえず包丁離せ」
心臓がドクンと跳ねた。
意味深に触れられて甘い不埒な期待に瞬く間に胸がいっぱいになる。
反抗心も忘れ、言われた通り、包丁を手放した。
「こっち向いて」
自分で向きを変えるのではなく、岬自ら動くよう、志摩は言う。
言われるがまま、岬は、俯きがちに担任と向かい合った……。
「十六歳の誕生日おめでとう、岬」
俯きがちだった岬は堰を切ったように志摩を見上げた。
くしゃりと柔らかく頭を撫でられ、真正面から笑いかけられると、抑えきれない胸の高鳴りにもう喘ぎそうになった。
その日は岬にとって特別な日だった。
身も心も、こんなにも昂 る特別な誕生日は初めてだった。
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