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6-淫魔ヤンキー、冬休みに入る

ふとした拍子に岬は気がついた。 「志摩センセェ、弁当ちょっと作り過ぎたから後でやるわ」 「友達にあげたらいい」 「トーゼン、友達にもやるし!? 寝惚けておにぎり握り過ぎたからやるっつってんだよ!」 九月に開催された体育祭。 ラインを引き直したばかりの校庭のトラック・フィールドでは朝一から白熱した競技が行われ、その周辺を囲むテント下では生徒や保護者らが応援に精を出していた。 午前中の時点で岬の父親の百合也は来ていない、午後に来る予定もなかった。 今は自宅マンションのベッドで睡魔と戯れている頃だろう。 「テメェ、今ズルしたろ!」 「何だとコラ?」 ヤンチャな生徒が多く、極端に喧嘩っ早い者もちらほら、白熱する余り派手に衝突することもあり、大半の教師は一時たりとも気が抜けずに周囲に目を光らせていた。 「かーちゃん、おれ、頑張ったよ!」 一方では児童並みに純粋な生徒も存在し、レースで勝利した喜びを家族に即座に報告している場面もちらほら見受けられた。 ……俺も今までハードル走とかリレーのアンカーで一位になったし、テストだって百点とったことあるし。 ……一回くらい報告してみてぇよな。 スピーカーから流行曲が流れ、障害物競争が大いに盛り上がる中、我が子の金髪頭を微笑ましそうに撫でる母親をぼんやり眺めていた岬だが。 ふと隣に立つ志摩を見上げて小首を傾げた。 ジップアップのジャージを腕捲りした志摩も数メートル先の親子に意味深なくらい視線を注いでいた。 岬の眼差しにすぐに気がつくと顔を背けて「借り物競争の準備にいってくる」と言い残し、はしゃぎ回る生徒の合間を練って足早に去っていった。 秋の校外学習、一年生限定の科学館見学の際には。 「パパ、ママぁ、これなーに」 幼いこどもにぴったり付き添って説明している若い両親、仲睦まじい親子連れにちょっとばっかし気をとられていた岬だが。 「おもしろいねーすごいねー」 自由時間が始まって、半分は友達と共に、残りの半分は担任の隣をずっとついて回っていた。 「これはー?」 志摩もまた同じ対象へ関心を向けていることに漠然と気がついた。 あどけない声がする度にレンズの下で不自然に多くなる瞬き。 作品に触らないよう優しく注意する母親の呼びかけ、ちょっと頼りない父親のしどろもどろな解説が聞こえてくると、口元にそっと浮かんだ笑み。 「うるさいな」 「はっ?」 「お前の視線」 ばれないよう横目で必死に窺っていた岬は顔を赤くした。 「俺なんかを見ていないでちゃんとトリックアートを鑑賞したら」 無地のセーターを腕捲りした志摩は手にしていた資料を覗き込んだ。 ……やっぱり。 ……センセェも気にしてる。 体育祭のときもそうだった。 極々ありふれていそうな家族に意識が引き寄せられていってる。 そして、いつだって。 ついさっきまでの自分の振舞をさり気なく誤魔化そうとする……。 「ほら、みえる?」 「うん、みえる、おにぃちゃん」 早足になった志摩と距離が開かないよう、同じく早足になった岬は、両親に寄り添われて無邪気に笑い合う小さな兄妹を肩越しに見送った。 『いないよ、家族なんて』 志摩センセェ、前に言ってたな、家族がいねぇって。 あんときの目つき。 今でもはっきり思い出せる。 いつも干乾びてるみたいな、いわゆる死んだ魚の目ってやつが、じんわり濡れてた。 俺の肘鉄喰らって、痛くて、つい涙が出たのかと思ってたけど。 本当は違ったのかもしんねぇ。 志摩センセェの、あの目、もっかい見てみてぇ……。 「何しにきたのか知らないけど、ここに来るのは今日で最後にしろ」 岬は心臓が止まりそうになった。 自分が言われたわけでもないのに、これまでに聞いた覚えのない志摩の冷えた声色に思わず立ち竦んだーー。

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